第10話 循環の声
夜が、やけに静かだった。
黒い塊は消えた。
軍勢は引いた。
星は減っていない。
なのに、空気が重い。
「……眠れないな」
小屋の外に出る。
エリシアも起きていた。
「レイ」
「見えたか」
「はい」
昼間の亀裂。
あれは、錯覚ではない。
ハルトも出てくる。
「さきほど、兵が一人倒れました」
「怪我か」
「いえ……夢を見たと」
嫌な予感。
「どんな」
「“世界が傾く”夢だと」
ああ。
来てるな。
俺は空を見上げる。
星は変わらない。
でも、星と星の“間”が、わずかに暗い。
「……来いよ」
ぼそりと呟く。
その瞬間。
空間が、歪んだ。
音はない。
光もない。
ただ、視界の奥が引き延ばされる。
エリシアが俺の腕を掴む。
「レイ!」
ハルトが剣を抜く。
意味はない。
これは軍じゃない。
亀裂が走る。
今度は、はっきりと。
星の背後に、巨大な影。
声が響く。
直接、頭の中に。
《剪定者》
……は?
《可能性を刈る者》
俺は眉をひそめる。
「誰だ」
《循環に干渉する者よ》
声は低く、感情がない。
でも怒りでもない。
観察だ。
《お前は枝を切る》
「必要な枝だけだ」
即答。
エリシアが俺を見つめる。
彼女には声は聞こえない。
俺だけか。
《枝は幹を支える》
「知ってる」
《切り続ければ、幹は枯れる》
俺は歯を鳴らす。
「だから止めてる」
《止めていない》
空の奥で、影が揺らぐ。
《延期は干渉だ》
「消してない」
《形を変えた》
……まあそうだ。
俺は腕を組む。
「じゃあどうしろと」
《循環に委ねよ》
「戦争を許せ?」
《均衡を保て》
俺は笑う。
「面倒だな」
沈黙。
《お前は何を望む》
単純だ。
「畑を守る」
《それだけか》
「それで十分だ」
影がわずかに揺れる。
《小さい》
「俺は小さい」
正直だ。
俺は世界を救いたいわけじゃない。
大義もない。
ただ面倒を減らしたいだけ。
《小さい願いは、大きな循環を歪める》
「歪ませない」
俺は空を睨む。
「止めない。減らす」
《減らすとは何だ》
「死ぬ数を減らす」
沈黙。
長い。
星がわずかに震える。
《循環は数ではない》
「じゃあ何だ」
《変化だ》
……なるほどな。
戦争は、強制的な変化。
文明を進め、技術を生み、秩序を組み替える。
だから必要。
そう言いたいわけか。
俺は言う。
「変化は戦争だけじゃない」
《……》
「交易でも、思想でも、技術でも変わる」
影が揺らぐ。
《遅い》
「遅い方が削れない」
俺は空を指す。
「枝を守れる」
沈黙。
エリシアが震える声で言う。
「レイ、誰と……」
「世界」
短く答える。
《お前は循環を理解していない》
「全部はな」
俺は息を吐く。
「でも、壊さない方法は探す」
《遠回りか》
「楽だから」
ほんの一瞬。
影の揺らぎが、わずかに緩んだ。
《遠回りは、不確定だ》
「だから削らない」
沈黙。
長い。
やがて。
《観察する》
「勝手にしろ」
亀裂が閉じる。
空が静まる。
星はそのまま。
削れていない。
俺は膝から力を抜く。
エリシアが支える。
「レイ!」
「平気」
ハルトが辺りを見回す。
「何が起きたのです」
俺は空を見る。
「世界が、文句言いに来た」
エリシアが息を呑む。
「……怒っていましたか」
「怒ってない」
観察。
判断保留。
「削らないなら、様子見だ」
ハルトが苦笑する。
「あなたは本当に……」
俺は立ち上がる。
足は震えていない。
星も減っていない。
今日は削らなかった。
遠回りを宣言した。
世界に。
「宣戦布告かもしれませんね」
エリシアが小さく言う。
俺は首を振る。
「違う」
「では?」
「交渉」
世界と。
循環と。
戦争と。
俺は空を見上げる。
星はまだ、多い。
削らない限り、続けられる。
遠回りで。
「……面倒だけどな」
そう呟いたとき。
ほんの一瞬。
星が一つ、強く瞬いた。
消えない。
増えもしない。
ただ、瞬いた。
世界が、応答した気がした。




