力み
放課後。
私は意を決して、旧校舎の裏にある道場へと足を運んだ。
最新鋭の設備が整う本校舎とは対照的に、そこは時が止まったような木造平屋建てだ。
タイラ先生は、職員室にはいない。
「用があるなら道場に来い。気が向けばいる」と言っていたのを頼りに来たのだ。
ガララ……と乾いた音を立てて引き戸を開ける。
夕日が差し込む板張りの床。
その中央に、先生は立っていた。
ただ、立っていた。
木刀をダラリと下げ、棒立ちのように見える。
けれど、その姿は奇妙だった。
床板の継ぎ目に溶け込んでいるというか、そこにあるのに「質量」を感じない。
「……失礼します」
「ん、来たか」
先生は振り返りもせず、私の気配だけで答えた。
「顔に書いてあるぞ、『私のふざけたギフトをどう扱えばいいか分かりません』と」
「……全部分かっているんですね」
私は悔しさを噛み殺しながら、靴を脱いで道場に上がった。
先生はゆっくりと向き直る。その動作も、コマ送りが抜けたように滑らかで、目で追うと少し気持ち悪い。
「先生は言いました。『認めろ』と。でも、認められません」
私は一歩踏み出し、自分の掌を見つめた。
「私のギフトは『強運』です。バニーガールの姿になることで、確率に干渉する。……それだけです。
身体能力が上がるわけでも、魔法が撃てるわけでもない。
ただの運任せです。そんな不確定なものを、どうやって戦力にすればいいんですか?
私は……確実な強さが欲しいんです」
ジムで体を鍛えているのも、勉強をしているのも、すべては「運」という不確定要素を排除するためだ。
それなのに、先生は「認めろ」と言う。それは私に、サイコロの出目に命を懸けろと言うのと同じだ。
先生は、ほう、と息を吐いた。
「確実な強さ、か。……なら、試してみるか?」
先生は足元に転がっていたもう一本の木刀を、爪先でひょいと跳ね上げた。
木刀は空中で回転し、私の手の中に収まる。
「打ってこい」
「え?」
「お前がジムで鍛えた筋肉と、計算し尽くした身体操作で、俺を叩いてみろ」
先生は構えもしない。
完全に無防備だ。
「……怪我をしても知りませんよ」
私はカチンときた。
私は座学トップだ。剣道の授業だってA評価を取っている。
相手が武器を持っていないなら、当てて止める(寸止め)くらいは造作もない。
私は床を蹴った。
最短距離、最高速度の踏み込み。
教科書通りの鋭い面打ち。
間違いなく、先生の額を捉える軌道――
「――ッ!?」
カッ、と乾いた音がした。
私の木刀は空を切り、床を叩いていた。
先生は、いない。
「遅い」
声は、私の真後ろからした。
振り返ると、先生はあくびを噛み殺している。
「な……!」
もう一度。今度は横薙ぎ。
当たらない。
突き。
当たらない。
当たると思った瞬間、先生の体が蜃気楼のように揺らぎ、刃筋から消えている。
避けているのではない。「そこにいない」のだ。
「はぁ、はぁ……っ! なんで……!」
息が上がる。
先生は一歩も動いていないように見えるのに、私の攻撃はすべてすり抜けていく。
「お前は、『当てよう』としすぎだ」
先生の声が、静かに響いた。
「床を蹴り、筋肉を固め、『今から打ちますよ』と看板を掲げて突っ込んでくる。
だから、未来が見えているかのように読みやすい」
「じゃあ、どうすれば……!」
「捨てろ」
先生は私の手から木刀を取り上げ、ふらりと立った。
「筋肉も、思考も、意図も。すべて捨てて、ただ落ちるように動くんだ」
先生が動いた。
予備動作がない。
私の目が「動いた」と認識した瞬間には、もう先生の木刀の切っ先が、私の喉元にピタリと止まっていた。
殺気さえなかった。
風が吹くように自然で、だからこそ回避不可能な一撃。
「これが『居着かない』ということだ」
先生は木刀を下げた。
「お前は運を嫌っているがな、東雲。
『運』ってのは、隙間に宿るもんだ」
「隙間……?」
「ガチガチに固まった器には、新しい水は入らん。
お前が『自分でなんとかしよう』と力めば力むほど、世界(運)はお前に味方できない」
先生は私の肩を、トンと指先でつついた。
それだけで、私の膝がカクンと折れそうになる。
「力を抜け。体を液体にしろ。
『私がやる』という自我を薄めれば薄めるほど、お前のギフト――『強運』は、その空白に入り込んでくる」
「自我を……薄める」
「そうだ。それが古流武術の極意であり、お前がそのふざけたギフトと付き合うための唯一の道だ」
「今日から放課後はここに来い。
「……武術を、教えてくれるんですか?」
「武術じゃない。『在り方』だ。
運を呼び込むための、器の作り方だ」
私は、ジンジンと痺れる手を見つめた。
確実な強さを求めていた私に示されたのは、「力を捨てる」という逆説的な道。
けれど、先生のあの「消える動き」を見た後では、それがデタラメだとは言えなかった。
私のバニーガールの能力は、きっと、私が考えているよりもずっと奥が深いものなのかもしれない。
「……よろしくお願いします、師匠」
私は初めて、心からの敬意を込めて頭を下げた。
夕日の差し込む道場で、奇妙な師弟関係が始まった。
あおいの成長を応援したくなったら、下にある『☆☆☆☆☆』から評価をいただけると執筆の励みになります! ブックマークもぜひお願いします!




