魔境
バスを降りた瞬間、肌にまとわりつくような湿気を感じた。
第7演習場。通称《魔境》の浅瀬。
ここは魔力の澱みが滞留し、異形の魔物が自然発生する場所だ。
「うわー! 魔境だー! なんか空気重いけど、燃えてきたー!」
クラスメイトのカミムラ・ジュンが、無邪気にはしゃいでいる。
彼女の指先からは、すでに赤い火花が散っていた。
意識して出しているのではない。
楽しい、興奮する、そう思った瞬間に**「息をするように」**ギフトが溢れ出ているのだ。
一方、私は。
「……装備チェック、完了」
渡された『汎用魔導ライフル』を強く握りしめた。
これは、ギフトを使わない者のための補助武器。
冷たい金属の感触だけが、今の私の拠り所だった。
(絶対に、使うわけにはいかない)
私のギフト――バニーガール化。
あんな恥ずかしい姿、もしこの衆人環視の中で晒したら?
「優等生の東雲さん」のイメージは崩壊する。
「いやらしい」「ふざけてる」と指さされ、笑い者になる。
そんなことになったら、私は二度と顔を上げて歩けない。
『社会貢献』『高潔な精神』
私が掲げる理想と、私の現実のギフトは、あまりにも乖離しすぎている。
だから私は、自分自身を封印するしかなかった。
◇
実習が始まった。
低級の魔物が現れるたび、生徒たちの派手な魔法が飛び交う。
「ターゲット確認。距離40。風速微弱……」
私は感情を殺し、ライフルの照準を合わせる。
引き金を引く。
パンッ!
氷の弾丸が、正確に魔物の急所を貫いた。
「よし」
完璧だ。無駄がない。
教科書通りの処理。誰にも文句は言わせない。
それなのに――私の胸の中は、鉛を飲み込んだように重苦しい。
周りのみんなが「自分自身の翼」で空を飛んでいるのに、私だけが「作り物の飛行機」にしがみついているような劣等感。
本当は、私の中にだって「飛べる力」があるのに。
それを自分自身で否定し続けている苦しさ。
「……随分と、丁寧な『作業』だな」
不意に、横から声をかけられた。
心臓が跳ねる。
いつの間にか、担任のタイラ レン先生が立っていた。
ポケットに手を突っ込み、どこか遠くを見るような、力みのない立ち姿。
「命中率は100%です。何か問題が?」
私は反射的に防御の姿勢を取った。
完璧な成績を見せれば、何も言われないはずだ。
けれど、先生は私のライフルには目もくれず、静かに私自身を見ていた。
「東雲。お前、今、楽しいか?」
ドキリとした。
技術の指導ではない。心の在り方を問う質問。
「……実習は遊びではありません。結果を出すことが全てです」
「そうだな。じゃあ質問を変えよう」
先生は一歩、私のパーソナルスペースに踏み込んだ。
威圧感はない。ただ、静かな水面のような目が、私の心の奥底にある「澱み」を映し出した。
「お前は、何が怖い?」
「っ……!」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
私の視線が泳いだ。
クラスメイトたちの笑い声。ジュンの輝くような炎。
それらと比較して、惨めな自分の姿を想像してしまう。
「……笑われるのが、怖いんです」
私は、蚊の鳴くような声で絞り出した。
一度口に出すと、堰を切ったように言葉が溢れた。
「私のギフトは……みんなみたいにカッコよくない。高尚でもない。
こんなふざけた力が私の才能だなんて、認めたくないんです。
だから、これ(ライフル)で結果を出せば、それでいいじゃないですか」
私は俯いた。
先生はきっと、「そんなこと言うな」「どんな能力も素晴らしい」なんていう、ありきたりな説教をするだろう。
そう思っていた。
けれど、先生の言葉は違った。
「なるほどな。自分のギフトが嫌いか」
先生は、あっさりと私の感情を肯定した。
「よくあることだ。自分の理想と、生まれ持った才能が食い違うなんてことはな」
「え……?」
「親が音楽家でも、子供の才能が格闘技にあるかもしれない。本人は平和を愛しているのに、破壊のギフトを持って生まれる奴もいる」
先生は視線を巡らせ、破壊の跡だらけの演習場を見た。
「自分の一部を『こんなものいらない』と切り捨てていれば、そりゃあ苦しいし、うまく回らんよ。
車の片輪を自分でパンクさせて走ってるようなもんだ」
先生の言葉が、私の凝り固まった思考に染み込んでいく。
否定もせず、無理な励ましもせず。
ただ事実として、私の現状を整理してくれる。
「でも……どうすればいいんですか? 嫌いなものは嫌いなんです」
「好きになれとは言わん。ただ、**『認める』**だけでいい」
「認める?」
「ああ。『今の自分には、このどうしようもないギフトがある』。
まずはそこをスタート地点にするんだ」
先生は私の目を見て、諭すように言った。
「東雲。お前は賢い。理想の自分になろうとして、背伸びをしすぎている。
ギフトは無意識の領域だ。お前がそれを『恥ずかしい』と拒絶している限り、そいつはお前に牙を剥くし、制御もできない」
先生の手が、私の肩にポンと置かれた。
重くもなく、軽くもなく。
ただ「そこにいていい」と許可されたような温かさ。
「笑われるのが怖いなら、隠しながらでもいい。
ただ、自分の中だけでは、そいつと仲直りしてみろ。
『まあ、これも私か』とな。
そうすれば、呼吸ができるようになる」
呼吸。
言われて初めて、自分が実習中、ずっと息を詰めていたことに気づいた。
ライフルを握る手が、白くなるほど力んでいたことにも。
「……これも、私」
心の中で、リフレインしてみる。
あの恥ずかしいバニー姿。
運任せで、理屈が通じない、ふざけた能力。
でも、それが私の中に確実にある「何か」なのだ。
「少し、考えてみます」
私が顔を上げると、先生はもう興味を失ったように、あくびをしながら歩き出していた。
「ま、怪我だけはすんなよ。あと、そのライフル、肩に力が入りすぎだ。もっとリラックスしろ」
背中越しに投げられた言葉。
私は、先ほどまでとは少し違う感覚で、大きく息を吐き出した。
魔境の空気は相変わらず澱んでいたけれど、私の胸のつかえは、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
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