師弟
放課後の道場。
夕日が畳に長い影を落としている。
「……はぁ」
私はため息をつきながら、竹刀の手入れをしていた。
今日、私の格好は少しだけ変わっている。
相変わらずバニーガールの衣装だが、上から着ているジャージは、袖を通さずに肩から羽織っているだけだ。
前のジッパーも閉めていない。
動くたびにジャージが揺れ、素肌が外気に触れる。
以前なら恥ずかしくて死んでいたかもしれない。
けれど今は、この「空気が肌を撫でる感覚」がないと、少し息苦しく感じるようになっていた。
私も少しずつ、このふざけたギフトと折り合いをつけ始めているのかもしれない。
「……辛気臭い顔だな」
道場の隅で、壁にもたれて文庫本を読んでいたタイラ先生が、視線だけをこちらに向けた。
「何かあったか?」
「……今日、生徒会長に会いました」
私がその名前を口にした瞬間、先生の読むページをめくる手が、ピタリと止まった。
「オオクラ・レイか」
声のトーンが、わずかに下がった気がした。
怒りではない。もっと冷めた、興味のなさそうな響き。
「凄かったです。あれが『王』なんだって、一目で分かりました」
私は膝の上で拳を握った。
あの時感じた、魂を吸われるような威圧感。
自分がちっぽけな存在だと思い知らされた敗北感。
「彼は生まれながらにして完成されています。努力なんて言葉、彼には必要ないんでしょうね。
……先生。私、あんな怪物に勝てる日が来るんでしょうか」
弱音がこぼれた。
私は「持たざる者」だ。
どれだけ計算し、どれだけ運を味方につけても、あの圧倒的な質量の前では無意味な気がしてしまう。
先生はパタンと本を閉じ、天井を仰いだ。
「勝つ必要、あるのか?」
「え?」
「あいつはな、ただの『ダム』だ」
「ダム……ですか?」
「ああ。他人の力をせき止めて、自分の中に溜め込んでるだけだ。
確かに水量は多いし、頑丈だろうよ。
だが、水は流れてこそ腐らない。
溜め込んだ水はいずれ濁るし、新しい何かを生み出すこともない」
先生はあくびを噛み殺しながら、私の肩に掛かっているジャージを指差した。
「俺は、ああいう『完結した強さ』には興味がないんだよ。
変化もしない、迷いもしない。……見ていて退屈だ」
先生の言葉は、レイへの批判ですらなかった。
ただの「評価対象外」。
最強の武術家である彼にとって、生徒会長の強大な力は、道端の石ころと同じくらいどうでもいいことのように聞こえた。
「お前は隙間だらけだ。
迷うし、恥ずかしがるし、未完成だ」
先生がニヤリと笑った。
「だから、面白い。
運も、新しい風も、お前のその『足りない部分』に吹き込んでくるんだ」
その時、窓から夕風が吹き込んだ。
私の肩から、羽織っていたジャージがふわりとずり落ちた。
露わになったバニーガールの背中に、風が当たる。
以前なら慌てて隠していただろう。
でも、今は――
「……そうですね」
私は落ちたジャージを拾わず、そのまま竹刀を構えた。
肌で感じる風が、少しだけ心地よかった。
「先生。私、あいつにはなれないし、なりたくありません。
私は私のやり方で、あいつが無視できない場所まで行きます」
「おう。その意気だ」
先生は再び本を開き、活字の世界へと戻っていった。
未完成な弟子と、無関心な師匠。
けれどその空間には、確かな信頼と、心地よい風が流れていた。
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