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第3話:革手袋の下の秘密と、屋上の特別授業

ポワーチョー技術学校の月曜日の朝は、いつも通りの喧騒で始まった。コンクリートに響く革靴の音と、友人たちの名前を呼ぶ怒鳴り声。服装検査の列に並びながら、2年生が通り過ぎるたびに、僕の心臓は不規則なリズムを刻んだ。

「おい、サン!どうしたんだよ。体がガチガチだぞ」

隣にいた友人が小突いてきた。

「いや……ちょっと寝不足なだけだよ」

生返事をしながら、視線は無意識に、見覚えのある小さな後ろ姿を追っていた。

フェース先輩は、いつものように友人たちと歩いていた。相変わらず華やかで凛としている。けれど、一瞬だけ視線が重なったとき、初日のような小悪魔的な笑みではなく、どこか意味深で優しい眼差しを向けられた。そして彼女は、何事もなかったかのように友人との会話に戻る。

(ずるいですよ……。何もなかったような顔をして)

僕は、思わず強く握りしめていた自分の手をさすった。

[時は過ぎ、午後の実習時間]

熱気のこもった機械実習室。僕は鉄のワーク(作業対象)をヤスリで削る作業に没頭していた。髪の生え際から流れる汗が目に入りそうになる。その時、鼻先をかすめたのは、記憶に焼き付いているあの石鹸の香りだった。

「そんな手つきじゃ、あと10年経っても表面は綺麗にならないよ、『サン君』」

聞き覚えのある甘い声が背後から響く。慌てて振り返ると、そこには濃紺の作業用ツナギを着たフェース先輩がいた。髪をきっちりとまとめ、白いうなじが露わになっている。彼女は腕を組み、僕の作品を眺めていた。

「せ、先輩……。ここで何を? ここは1年生のゾーンですよ」

僕は声を潜めて聞いた。

「先生に、新入生の指導を手伝うように言われたの」

彼女は柔らかく微笑み、肩が触れ合う距離まで近づいてきた。

「ほら、見せて。手が震えてるよ。集中力、どこに行っちゃったのかな?」

彼女は、あの日(土曜日に二人で選んだ!)新しい革手袋をはめた手で、ヤスリを握る僕の手を上から包み込んだ。手袋越しに伝わるその温もりに、息の仕方を忘れそうになる。

「手を離してください、先輩……。みんなが見てます」

抵抗しようとするけれど、心臓はそのままじっとしていろと命じていた。

「誰が見てたっていいじゃない。私はただ、可愛い後輩に『お仕事』を教えてるだけなんだから」

彼女は僕の耳元に顔を寄せ、温かい吐息を感じるほどの距離で囁いた。

「放課後……第4校舎の屋上で待ってるね。渡したいものがあるから」

最後に僕の手を軽く握りしめると、彼女は離れていった。僕の友人たちに満面の笑みを振りまきながら去っていく彼女を見送りながら、僕は工場の機械音よりも激しく高鳴る鼓動を抑えきれずにいた。

僕たちの秘密は……このカリキュラムの中で、一番難しい課題になってしまったようだ。

放課後のチャイムが鳴ると同時に、僕は道具を片付け、第4校舎へと走り出した。心臓が跳ねているのは、走ったせいだけじゃない。一日中積み重なった緊張のせいだ。

屋上に出ると、冷たい風が吹き抜け、湿った汗が冷えていく。夕焼けの朱色が、あの土曜日のように空を染めていた。フェンスに一人で寄りかかる小さな背中が見える。

「来るのが早いね、サン君」

フェース先輩が振り返って微笑んだ。すでにツナギを脱ぎ捨て、端正でありながらどこか色香を感じさせる制服姿に戻っている。その手には、小さな紙袋が握られていた。

「先輩……。渡したいものって、何ですか?」

息を切らしながら尋ねる。

彼女は一瞬ためらった後、歩み寄ってその袋を僕に差し出した。

「ほら……。土曜日のお礼。ちゃんと選んだんだから」

中を開けると、そこには『S』の文字が刻まれた、シンプルで上品な革のキーホルダーが入っていた。

「ちょっと普通すぎるかもしれないけど。私のとお揃いになるように選んだんだ」

そう言って彼女は、自分のバッグに揺れる『F』の文字が刻まれたキーホルダーを見せた。

「これなら……誰にもバレない、二人だけの『ペア』でしょ?」

顔が熱くなる。

「こんなの……大丈夫なんですか? もし誰かに見られたら……」

「だから、これは二人だけの『秘密』なんだってば」

彼女は、僕が屋上のドアに背を預ける形になるまで距離を詰めてきた。少しだけ背伸びをして、耳元で囁く。

「学校では先輩と後輩だけど……二人きりの時は、ただの先輩でいたくないの」

風が二人の間を吹き抜けていく。幸せそうに笑うフェース先輩の瞳には、もう茶化すような色はなく、目を逸らすことができないほどの真剣さが宿っていた。

「サン君……。これからも、私の『一番大切な秘密』でいてくれる?」

僕は手の中のキーホルダーを見つめ、それから彼女の瞳の奥をじっと見つめ返した。そして、静かに頷いた。

「はい……。フェース先輩」

太陽は沈んでしまったけれど、これは教科書には載っていない、二人だけが答えを知っている「特別授業」の始まりに過ぎなかった。

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