第2年生編 第10話:技術者の誇りと、夕暮れの誓い
月曜日の朝、ポワチョー技術専門学校の中央実習棟は、いつもより張り詰めた空気に包まれていた。今日は、僕の家とアイビーの家が共同で進める「インテリジェント・油圧制御システム」プロジェクトの始動日だからだ。
僕は、濃紺の作業服に身を包み、機械の最終チェックを行っていた。まくり上げた袖からは、日々の実習で鍛えられた腕が覗く。僕はメガネをかけ直し、真剣な眼差しで手元の回路図を見つめた。
「あら……作業服姿も様になって、ずいぶん大人っぽくなったじゃない、サン先輩」
毒を含んだ甘い声が響く。白衣をまとったアイビーが、余裕の笑みを浮かべて近づいてきた。「アイビーの『助手』になる準備はできていますか?」
僕はスパナを置き、冷徹なまでの静かな声で彼女を真っ直ぐに見据えた。
「僕はプロジェクトの代表としてここにいるんだ、アイビー。君の個人助手じゃない。今日の仕事で証明してみせるよ。僕の力が、誰かのコネによるものじゃないってことをね」
アイビーは僕の豹変した態度に一瞬ひるんだが、すぐに不敵な笑みを浮かべて制御盤へと向かった。
「ふうん、なら見せてもらいましょうか。少しでもミスをすれば……お父様の名前まで泥を塗ることになりますからね」
システムのテスト稼働中、突如として高圧バルブが激しく振動し始めた。液体が漏れ出し、警報音が建物内に鳴り響く。
「きゃあ! 何これ!? システムの暴走!?」
顔を引きつらせたアイビーは、ただ悲鳴を上げるだけで何もできなかった。
僕は迷わずメインバルブへと飛び込んだ。
「アイビー、下がれ! コン、予備電源を遮断しろ!」
待機していたコンが即座にスイッチを叩き切る。僕は冷静に原因を分析した。「システムエラーじゃない……誰かが意図的にセンサーの配線を入れ替えたんだ」
僕はドライバーを手に取り、機械の下へと潜り込んだ。数分間の迅速かつ的確な作業の後、不気味な振動はピタリと止まった。
【頑張った人へのご褒美】
「……終わりました」
オイルで頬を汚しながら、僕は機械の下から這い出した。
「サン! 怪我はない!?」
実習室の外で見守っていたフェースが、周囲の目も気にせず僕のもとへ駆け寄った。彼女はピンク色のハンカチを取り出すと、僕の頬の汚れを優しく拭い取ってくれた。
「大丈夫です、フェース先輩。ただのトラブルですよ」
フェースは顔を青くして立ち尽くすアイビーを鋭く睨みつけた。
「見たかしら、アイビー? これが私の愛した男よ。あなたが所有したがっている『助手』なんかより、彼にはずっと価値があるわ」
アイビーは何も言い返せず、悔しそうに顔を背けると、逃げるように実習棟を後にした。どうやら今回は、サンの「技術」に完敗したようだ。
「サン……本当にかっこよかったわよ」
フェースが僕の耳元で囁き、背伸びをして僕の乱れた髪を整えた。「今夜……頑張ったサンにご褒美をあげる。興味あるかしら?」
僕の顔は一瞬で赤くなった。「ご、ご褒美……ですか?」
フェースはいたずらっぽく微笑んだ。「秘密よ。夕方、屋上で待ってるわね」
【夕暮れの屋上:ご褒美と本当の贈り物】
沈みゆく夕日が屋上をオレンジ色に染め上げ、心地よい風が今日の疲れをさらっていく。僕は柵に寄りかかり、昼間の出来事を思い出していた。「ご褒美」という言葉に、心臓の鼓動がまだ収まらない。
背後から軽い足音が聞こえた。振り返ると、制服姿のフェースが立っていた。いつもより少し、しとやかで優しい雰囲気を纏っている。彼女は僕の隣に並び、空を見上げた。
「ねえサン……今日、あなたが機械の下に潜り込んだ時、本当に心臓が止まるかと思ったわ。でも、迷いなくトラブルを解決する姿を見て気づいたの。あなたはもう、私の可愛い後輩じゃないんだって」
彼女は僕を見つめた。夕日を反射したその瞳が、息を呑むほど美しい。
「サンは、私が本当に頼れる『男』になったのね」
「フェース……」
「目をつぶって」彼女が微笑みながら言った。
素直に従うと、一瞬の静寂の後、頬に柔らかく温かい感触が触れた。フェースが僕にキスをしたのだ。彼女の淡い香水の香りが鼻をくすぐり、世界が止まったような錯覚に陥る。
「これが今日の頑張りへのご褒美」僕が目を開けると、そこには僕以上に顔を赤らめた彼女がいた。「それから……これは私からの本当の贈り物よ」
彼女から渡された茶封筒を開けると、僕は目を見開いた。それは来年のドイツ留学に関する公式な招待状だった。そして驚くべきことに、共同研究の助手リストの中に、「サン」の名前が記されていたのだ。
「先生にサンの実績を話して、推薦したの。これでもう……離れ離れにならなくて済むわね」
フェースは満面の笑みを見せた。僕は感極まって彼女を強く抱きしめた。距離という不安は、彼女の愛と努力によって消え去ろうとしていた。
しかし、その幸福感の影で、僕は校門の近くで立ち尽くすコンの姿を見つけた。彼の表情は暗く、手には**「強制異動命令」**と記された一通の封筒が握られていた。アイビーの魔の手は、今度は僕の親友に向けられていたのだ。




