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鹿木正成  作者: nataliej
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第四章 決戦


 東の空が白み始める頃、鹿人間軍は進撃を開始した。寒風吹きすさぶ寒い朝だった。おそらく最低気温は氷点下に転じていただろう。号令なき静かな出撃は、ただならぬ悲壮感を全軍に感じさせた。

 築地から永田町に向かう途中の進軍は、静かすぎるほど静かだった。猫人間軍は、まさか首都、東京が急襲されるなど夢にも考えていなかったし、何せ、寒さには弱い猫人間軍のことである。城の周りの警備兵も極めてずさんな警備体制しか布いていなかった。ほとんどの警備兵は、詰所のコタツに入り、マージャンに興じていて、たまに物見櫓に立ち、ざっと周りを見渡す程度だった。

 夕刻、鹿人間軍は、何ら攻撃を受けることなく、敵の本拠地、永田町の大猫城にたどり着いた。さすがに正成らの姿に気づいた猫人間軍の警備兵が上官に報告した。

「隊長、なにか軍隊のようなものが城に近づいてまいります。遠くで良く見えませんが、かなりの大軍です」

 警備兵の隊長は、「面倒だなー、このくそ寒いのに……」と愚痴をこぼしながら物見櫓に登った。もう、日が傾く時間だったので、西日がまぶしくて鹿人間軍の姿はシルエットしか見えなかった。

「おそらく日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋してきたのだろう。一応、上に報告は上げておけ」

部下にそう命じた警備兵の隊長は再び詰所に戻り、コタツに潜り込んだ。

「大帝、日光の猿人間・豚人間の連合軍を撃ち破った関東軍が凱旋した模様です」

参謀から報告を受けた化猫大帝は、首をかしげた。

「妙だな、偵察隊からは、かなり苦戦していると聞いていたが……。関東軍の司令官を呼んでこい!」

 城門の横の小さなくぐり戸が開き、猫人間軍の使者が近づいてきた。

 正成はアントラーアーチェリーをキリキリと引き絞り、使者めがけてアントラーアローを発射した。

「ニヤ~!」という悲鳴と共に、使者はその場にバッタリと倒れた。使者が撃たれるのを目の前で見た警備兵は血相を変えて、隊長に報告した。

「使者が撃たれました。あれは関東軍などではありません。敵軍です!」

 それを聞いた警備隊長は、ぶったまげてコタツを飛び出し、正成の軍勢を確認した。

「間違いない、敵軍だ! それも大軍だ!」

 警備隊長は、すぐその報告を城の守備隊長に送った。守備隊長からの報告を受けた副官の三毛猫参謀総長は仰天して、化猫大帝に報告した。化猫は怒りを露にし、三毛猫に怒鳴った。

「何? 敵の大軍だと、どこの軍勢だ!」

 三毛猫は恐る恐る答えた。

「それはまだわかりません」

「貴様ら、城の目の前まで迫っている大軍がどこの兵かもわからないのか?」

「すぐに調べてまいります」

 三毛猫は大本営を飛び出した。守備隊長からの報告があった。敵軍は間違いなく、鹿人間軍だとのことだった。

 三毛猫がいぶかしげに言った。

「鹿人間軍? 鹿人間軍は我が軍の主力部隊三百万に包囲されて、吉野に篭城しているはずではないか?」

 守備隊の使いが答えた。

「はい、そのはずです」

「まあいい、どこの軍勢だろうとたいした戦力はないはずだ。ウルトラ猫ニャン砲の発射準備にかかれ。その敵軍を殲滅するのだ!」

「心得ました」そう言って三毛猫は大本営を出た。

 大本営を出た三毛猫は近衛師団の司令官である銅鑼猫(どらねこ)中将に命じた。

「ウルトラ猫ニャン砲発射準備、敵を殲滅せよ!」



 鹿人間軍の目の前に、敵の本拠地、大猫城が姿を現した。四方を高さ二十メートルの超合金の壁に囲まれた、それはそれは堅固な城だった。城の内部は、城壁の死角になり見えなかったが、城の中央部には、豪華な天守閣のような背の高い建物があった。おそらくあれが化猫大帝の居所だ。

 鹿人間軍は、先頭に投石器を並べ、城門への攻撃を開始した。

「ゴーン!」という大きな音がした。投石器から発射された巨岩には爆薬が仕掛けられていた。如何に強固な城門でも、爆薬を備えた巨岩で攻撃すれば、破壊出来るだろう。誰もがそう考えていた。

「ゴーン!」、「ゴーン!」という轟音が城内に鳴り響いた。

 城壁の各所には、通常のレーザー機関銃よりも強力なレーザー砲が装備されており、城の守備隊は、それを使って反撃してきたが、射程距離の短いレーザー砲では、超合金で表面を覆われた鹿人間軍の投石器を破壊することは出来なかった。

 鹿田率いる第一師団は、投石器の前にたちふさがり、兵に長いはしごを持たせて、城壁の突破を試みた。鹿田の号令を皮切りに、鹿人間軍の第一師団が城壁に向けて突撃した。レーザー砲の一斉掃射を浴びて、鹿田の兵はバタバタと倒れた。それでも鹿田は撤退しようとはせず、ひたすら城壁に向けて突撃を続けた。鹿田のまわりの兵士たちがバタバタと倒れた。兵士たちは動揺して突撃を躊躇した。

 鹿田が再び号令した。

「何を躊躇している! 突撃せよと命じたはずだ! 全軍突撃! 敵の城壁を突破せよ!」

「ウワー!」という喚声と共に鹿田の兵が突撃を再開した。レーザー砲の一斉掃射で、兵士たちがバタバタと倒れた。それでも鹿田の兵は突撃を続けた。城門の近くまで来ると、鹿田が号令した。

「マタタビ砲を発射せよ! 猫じゃらし砲も発射せよ! 撃って撃って撃ちまくれ!」

 城内で、マタタビ砲や猫じゃらし砲が炸裂した。猫人間軍は戦意を喪失し、猫じゃらしに興じ始めた。しかし、レーザー砲の周りは、堅固な防弾ガラスによってシールドされていた。レーザー砲による攻撃は激しさを増した。城壁の周りには、鹿人間軍の屍の山が築かれた。

 その間も投石器による城門への攻撃は続けられていた。しかしながら、城門は堅固で、投石器による攻撃ではビクともしなかった。

 鹿田の軍勢は、城内にロケットアンカーを打ち込み、城壁をよじ登ろうとしたが、やはり、レーザー砲による攻撃で、犠牲者を増すばかりの結果となった。

 そうこうするうちに、猫人間軍の最終兵器『ウルトラ猫ニャン砲』の発射準備が整った。

 「ドカン!」という轟音と共にウルトラ猫ニャン砲が発射されると、鹿人間軍はまるで紙切れのように飛び散った。ウルトラ猫ニャン砲の破壊力は、通常の猫ニャン砲の十倍はありそうだった。ウルトラ猫ニャン砲が着弾するたびに、その周りにはまるで、地震のような地響きとともに爆風が広がった。ウルトラ猫ニャン砲が次々と着弾し、そのたびに、味方の兵士たちがバタバタと倒れた。恐るべき最終兵器だった。

 鹿上は、必死の形相で投石器による攻撃を続けたが、城門は相変わらずビクともしなかった。見る見る間に、城の回りは鹿人間軍の屍で埋めつくされた。ウルトラ猫ニャン砲の砲口は投石器にも向けられた。ウルトラ猫ニャン砲の砲撃で、大多数の投石器は破壊され、発射不能となった。

 一方、城壁を包囲してマタタビ砲と猫じゃらし砲を城内に撃ち込んでいた鹿川の軍勢は、一定の成果を挙げていた。敵守備隊の指揮系統は乱れ、城内の兵士たちは猫じゃらしで遊んでいた。それでも、敵のレーザー砲による死傷者の数は、時間を追って増すばかりだった。

 『全滅』という言葉が正成の脳裏をよぎった。しかし、退却という選択肢はない。敵の本拠地を落とさない限り、鹿人間軍に逃げ場はないのである。

 その時、敵のレーザー砲の一基が故障したのか、一箇所からレーザー砲の掃射が止まった。それに気づいた鹿田はそこに攻撃を集中させた。内部に向けてマタタビ砲と猫じゃらし砲を十分に撃ち込んだ後、城門にハシゴをかけ、兵士たちは城内に侵入しようとした。しかし、城門の上からの攻撃により、なかなか内部には侵入出来なかった。四時間に亘る攻撃で、鹿人間軍は兵力の約半分を失った。

 数十名の兵士が城への侵入に成功したが、内部の守備隊による集中攻撃を受け、無残な最期を遂げた。

 鹿田の突撃隊は、既に兵力の大半を失っていたが、それでも攻撃をやめようとはしなかった。その時、一発のレーザー砲が鹿田の太ももを貫いた。鹿田は四つんばいになり、それでもロケットアンカーの先のワイヤーをよじ登って、城内に侵入しようとした。次のレーザー砲が鹿田の胸を射抜いた。

 鹿田は吐血し、それでもワイヤーに手をかけたまま、壮絶な憤死を遂げた。大将の死にも怯むことなく鹿田の兵は城攻めを続けた。しかし、残された兵力は僅かだった。城門の周りには、累々たる鹿人間軍の屍が積み重なった。

 「もはやこれまでか……」正成がそう思ったとき、使者から一報が届いた。信濃のカモシカ人間軍の援軍が到着したというのだ。兵力は約二万、鹿人間軍とは逆の、城の北側の城壁を攻撃しているという。既に損じた兵力の約半分が再び補充されたことは大きい。しかし、城門を突破出来ない限り結果は同じだ。苦悩する正成の横顔を心配そうに佐和子が見つめていた。その時だった。

 護衛の鹿光とともに鹿姫が正成の所に歩み寄ってきた。鹿姫は胸に勾玉を抱きしめていた。

「わたくしを投石器に乗せて城門に向けて発射してください!」

「何をおっしゃるのです! 心配は無用です! 姫は後方でお待ち下さい!」

「このままでは味方は全滅します! あの城門を突破出来ない限り、我が軍に勝利はありません!」

「それはそのとおりです! しかし、鹿姫を城門に向けて発射して、それでいったいどうなると言うのですか?」

「提督、提督は、わたくしがこの勾玉に念じれば何が起こるかご存知ですね!」

「存じています。しかし、それは出来ません!」

「提督、お願いします! わたくしにはもう、これ以上味方の兵士たちが倒れていくさまを見ることは出来ません! どうか、わたくしを投石器に乗せて、城門に向けて発射してください!」

「出来ません! 断じてそれだけは出来ません!」

 鹿姫が瞳を潤ませながら言った。

「提督、提督はわたくしが死にに行くと思ってらっしゃるのですね。そうではありません。

 わたくしの肉体は消滅するかもしれません。でも、そうすることで、わたくしの魂は永遠にあなたがた鹿人間軍の中で生き続けるのです。人の一生などというものは悠久の自然の営みに比べれば、ほんの一瞬のことです。でも、その一瞬にも価値ある一瞬と、無意味な一瞬があるのです。わたくしは、価値ある一瞬を生きたいのです。提督、勝ちなさい。絶対に勝つのです。この一戦は、人類の将来のために絶対に負けられない戦いなのです。その戦いでわたくしはお役に立ちたいのです。わたくしは、あなた方の女神となって永遠にあなたがたを見つめ続けるでしょう。そして、あなたがたの幸福のために祈り続けるでしょう。わたくしは死にません。たとえ肉体が滅んでも、わたくしは死にません。提督、どうかわたくしを投石器に乗せてください」

 正成は、鹿姫の言葉を聞いて嗚咽しながら部下に命じた。

「鹿姫様を投石器にお乗せしろ! それから、全軍とカモシカ人間軍に伝えよ! 今から城門を破壊する。城門が落ちたら、全軍、城内に突入しろ。雑魚にはかまうな! 我々の目標はただ一つ、敵の総帥である化猫大帝を討ち取ることだ。繰り返し言う。この作戦の目的は敵の殲滅ではない。一直線に敵の大本営に斬り込み、化猫大帝を討ち取るのだ! よいな!」

 全軍に通達がいきわたったことを確認した正成は、投石器に乗って静かに待っていた鹿姫に言った。涙で鹿姫の顔が見えなかった。

「発射します」

 鹿姫は、目をつむって念じていた。

「オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ、オンベイシラマンダヤソワカ……」

 正成が号令をかけた。

「第18号投石器発射用意! 目標! 敵正面城門! 秒読み開始! 発射10秒前! 9! 8! 7! 6! 5! 4! 3! 2! 1! 発射!」

「ガーン!」という投石器の発射音が響いた。勾玉を胸に抱いたまま、鹿姫が宙を舞った。城門に落下する瞬間、鹿姫は両目を見開き、唱えた。

「オンサンマヤサトバン!」

 次の瞬間、目がくらむような青白い閃光が走った。鹿姫が勾玉を自爆させたのだ。

 敵味方双方とも一瞬、目を伏せた。

 閃光の後を追うように、「ドスン!」という地鳴りのような大きな音が響いた。城門が倒れたのだ。



 それを見た正成が号令をかけた。

「全軍、城門に向けて突撃! 城内に侵入し、大本営に斬り込むのだ!」

「ウオー!」という喚声とともに全軍が城内に突入した。城内で、血で血を洗うような白兵戦が始まった。

 正成、佐和子、それに佐和子率いる近衛兵三百名が鹿ロボットに跨った。

 先頭に立った正成が号令した。

「我々の目標はただ一つ、化猫大帝を討ち取ることだ。雑魚の相手はするな、一直線に敵大本営に向かえ、行くぞ!」

「ウオー!」という喚声と共に、鹿ロボットに跨った三百名の軍勢が突撃を開始した。「ドドドドドド」という鹿ロボットの足音が響いた。それはまさに生還の希望なき特攻隊だった。

 正成率いる特攻隊は、城内の乱戦には脇目もふらず、大本営に上る石段を駆け上がった。石段を登りきって、さらに進むと、おそらくこれが大本営の入り口と思われる小さく堅固な門があった。門は百人ほどの衛兵で守られていた。特攻隊が衛兵に向かって突撃した。衛兵は、レーザー機関銃を乱射してきた。特攻隊の兵士たちはバタバタと討ち取られ、鹿ロボットから転がり落ちた。

 レーザー機関銃をかいくぐった特攻兵たちが今にも衛兵に飛びかかろうとした時、「ガーン!」という大きな音と共に、特攻兵が次々と鹿ロボットもろとも、何かに跳ね返されて転倒した。

 正成は目の前に薄い半透明のスクリーンがあるのを見て叫んだ。

「防御シールドだ! このままでは前に進めない!」

 佐和子が叫んだ。

「何とか防御シールドを破らないと!」

「防御シールドは、我々の武器では破れない。防御シールドのコントロール機構を破壊する必要がある。しかし、コントロール機構はおそらく大本営の内部にあるだろう。何とかして大本営に侵入しない限り、防御シールドは破壊出来ない!」

 その間にも、衛兵からのレーザー機関銃の攻撃は続いた。味方は、物陰に身を潜めたまま、身動き出来ずにいた。

 佐和子が正成に視線を向けた。瞳が涙に潤んでいた。

「ここまでで終わりなのですか? 大本営は目の前なのに……」

 その頃、鹿人間軍とは行動を別にしていた海王軍の少年たちは、地下の下水道を泳いで、大本営に侵入していた。大本営の窓から、防御シールドに行く手を阻まれている正成たちの姿を見た海仁王子は、仲間に向けて言った。

「この建物のどこかに防御シールドのコントロール室があるはずだ。それを探してシールドの電源を切るんだ!」

 少年たちは、手分けして大本営内部を探索した。少年たちは次々に大本営内の衛兵に見つかって射殺された。海仁王子は、天井裏に潜り込み、その中を這い回って、電気系統の配線を探った。そして心の中で叫んだ。

(最上階だ! 主要な信号ケーブルは全て最上階の鐘楼に繋がっている。最上階が防御シールドのコントロール室だ!)

 海仁王子は、天井裏のダクトを通って、エレベーターシャフトに出た。そして、シャフト内の配管をよじ登って、最上階の鐘楼の天井裏に侵入した。海仁王子は、天井裏の点検口をそっと開いて、部屋の中を見た。そこは間違いなく、防御シールドのコントロール室だった。部屋の中には四人の兵士がいた。奴らを倒さなければ防御シールドのスイッチは切れないのか? 海仁王子は考えた。そして、意を決して腰の短剣を抜いた。

(奴らを倒せなくてもスイッチは切れる)

 海仁王子は、防御シールドの制御盤の位置を確認し、天井裏を這って、その真上に移動した。

(いくぞ! いち、にの、さん!)

 海仁王子は、勢いよく天井板を蹴破り、真下に飛び降りた。兵士たちが驚いて、彼を見た瞬間、海仁王子は、防御シールドのスイッチを切ると同時に、制御盤に繋がっている太い信号ケーブルに短剣を突き立てた。

 衛兵たちが腰のレーザー拳銃を抜いて、海仁王子めがけて発射した。海仁王子は、体中にレーザー銃を受けながら、薄れゆく意識の中で窓の下を見た。防御シールドが消えていた。

「やったぞ……」

 それが海仁王子の最後の言葉になった。

 最上階の鐘楼で閃光が走り、それと同時に防御シールドが消えたのを見た正成は、直感的に叫んだ。

「防御シールドが消えたぞ! 誰かがコントロール機構を破壊したんだ! 今だ! 突っ込め!」

 特攻隊は防御シールドよる防衛線を突破し、なりふりかまわず、城門の衛兵に襲いかかった。白兵戦になれば、アントラーサーベルを持つ鹿人間軍の方が有利だった。衛兵を全て倒し、門を開けようとした時、一発の流れ弾が正成の肩を貫いた。

 正成は、バッタリと鹿ロボットから転がり落ちた。佐和子が血相を変えて正成に駆け寄り、正成を抱き起こした。

 正成は苦痛に顔をゆがめながらも厳しい口調で言った。

「行け! 私のことはいい、行くのだ! 君だけでも行って化猫大帝を倒すのだ!」

「いやです!」

「命令だ! 行け! 行って化猫を倒せ!」

「いやです!」

「今、行かなければ我が軍に勝利はない! 今までの苦労が全て水の泡になるのだぞ!」

「提督のいない勝利など、私には何の意味もありません。約束をお忘れですか? 春に二人で吉野の桜を見ると約束したことを、二人で生きて桜を見ようと約束したことを…… 約束を守れない提督の命令に従う義務はありません。私もここに残ります」

 正成が苦痛に顔をゆがめながらも体を起こした。

「わかった。私を鹿ロボットに乗せろ。一緒に行こう。一緒に行って二人で化猫大帝を討ち取ろう」

「わかりました。その前に止血をしないと…… 傷口を拝見します」

 佐和子は自分の衣を引き裂き、それで正成の肩を強く縛った。佐和子に支えられながらかろうじて鹿ロボットに跨った正成が、声を絞り出した。

「さあ、行くぞ!」

 今度は、正成に代わり佐和子が先頭に立ち、約二百名の特攻隊が大本営の長い廊下を駆け抜けた。豪華な石張りの壁に赤いじゅうたんが敷かれた煌びやかな廊下だった。途中、要所要所に敵の衛兵が伏せていてレーザー機関銃による攻撃を仕掛けてきた。レーザー機関銃を受けた兵がバタバタと鹿ロボットから転がり落ちた。兵力は百名にまで減った。大本営を抜けるとさらに中庭があり、その向こうにひときわ豪華な御殿があった。正成が言った。

「あれが化猫大帝の御所に違いない」

 御所の前にも百人ほどの衛兵がおり、レーザー機関銃を構えていた。

 佐和子が号令した。

「全軍、突撃!」

「ウオー!」という喚声とともに、百名の特攻隊が衛兵に襲いかかった。レーザー機関銃の掃射で、仲間の兵士がバタバタと倒れた。それでも、特攻隊は突撃を続け、アントラーサーベルで衛兵に襲いかかった。佐和子は、鮮やかな剣さばきでバッタバッタと敵の衛兵を斬り捨てた。敵の衛兵は全滅した。

 佐和子が御所の扉を開けた。中央に噴水のある豪華な御所はもぬけの殻だった。正成が周りを見回した。

「吹き抜け階段の奥に両開きの豪華な扉がある。あの中が化猫大帝の居所だ」

 生き残った八人の特攻隊が階段を駆け上がり、扉を開いた。



 部屋の奥に一人の男が座っていた。その男が不敵な笑いを浮かべた。

「鹿人間の坊やたち、よく来たね。しかし、一人も生かしては帰さぬ」

 奥の扉から三十人ほどの敵兵が飛び出してきた。敵兵は、恐ろしく敏捷な動きで正成らに襲いかかった。敵兵の動きはとても人間とは思えないほど敏捷で力強かった。佐和子が軽やかな身のこなしで敵の攻撃をかわし、アントラーサーベルを一閃した。佐和子のサーベルで、まともに腹を突き抜かれた敵兵は、何と表情一つ変えずに攻撃を続けてきた。

 それを見た正成が叫んだ。

「こいつらは人間じゃない! アンドロイドだ! 闇雲に切ってもダメだ。どこかに急所があるはずだ。急所を探せ!」

 八人の鹿人間兵と敵アンドロイドの間で、壮絶な戦いが繰り広げられた。敵サーベルの攻撃を味方のサーベルが受け止め、火花が散った。一人の兵士が敵アンドロイドと刺し違えた。刺し違える瞬間に兵士はアンドロイドの首を斬り落とした。首を失ったアンドロイドは、コントロール回路を切断され、まるで壊れた機械のように痙攣して倒れた。それを見た正成が叫んだ。

「首だ! 敵の弱点は首だ! 頭のコントロール回路と体の筋肉は、首の信号ケーブルでつながれている。敵の首を狙え!」

 それを聞いた兵士たちは、敵アンドロイドの首を狙って襲いかかった。しかし、敵のアンドロイドは強かった。味方兵士はバタバタと討ち取られ、正成と佐和子の二人だけが生き残った。佐和子は、華麗な剣さばきで次々に敵アンドロイドの首を斬り落とし、正成も最後のアンドロイドを倒した。正成と佐和子はサーベルを手にゆっくりと化猫大帝に近づいた。化猫大帝は立ち上がり、真っ赤に光り輝く猫ニャンサーベルを抜いた。

「鹿人間の坊やとお嬢ちゃん。なかなかチャンバラごっこがお上手だね。だが、お遊びはこれで終わりだ。二人仲良くあの世にゆくがよい」

 正成と佐和子は一瞬、互いに視線を向け、呼吸を合わせて二人同時に飛びかかった。

「ダーッ!」全身全霊を込めた二人のサーベルが化猫大帝に襲いかかった。

「ウァハハハハッ」化猫大帝は二人の攻撃を軽くかわしながら高らかに笑った。

「二人ともガンバレ、ガンバレ、ファハハハハ」

「天誅!」佐和子が叫びながら斬りつけた。「カチン!」佐和子の剣は軽くはたかれた。

「おのれ!」今度は正成が剣を突きつけた。化猫大帝は、それを軽くかわしながら、ヒョイとジャンプし、高さ三メートルはある回廊に飛び乗った。正成と佐和子が階段を駆け上がって化猫大帝を追った。二人が回廊に上がると、化猫は回廊からヒョイと飛び降りた。

「どうした、どうした、鬼さんはこっちだよ」

 正成と佐和子も回廊を飛び降り、二人同時に化猫大帝に飛びかかった。

「グサッ」という鈍い音がして、佐和子の足元に鮮血が飛び散った。「ウッ」という声を漏らして佐和子がその場に倒れた。正成が叫んだ。

「佐和子!」

 正成が必死の形相で佐和子に駆け寄り、傷口を見た。佐和子は腰を切られていた。

「佐和子! しっかりしろ! 傷は大丈夫だ! 傷は大丈夫だ! 佐和子! 佐和子!」正成は、声を震わせて叫び続けながら、ハチマキで佐和子の傷口を縛った。佐和子が瞳を潤ませながらか細い声で言った。

「正成さま、あなたと二人で桜を見たかった。約束を守れなくて、ごめんなさい」

 その言葉を最後に佐和子はガックリと力尽きた。正成が叫んだ。

「佐和子! 佐和子!」

 正成は、こぼれる涙を拭おうともせず、振り返って化猫大帝をにらみつけた。

「おのれ! この化け猫!」

 鬼神と化した正成の猛烈な攻撃を化猫はかわし続けたが、さすがに少し恐れをなしたか、化猫は大きく後ろに跳びよけた。そして、真っ赤に輝く猫ニャンサーベルを頭上に振りかぶり、低い声で唱えた。

「ダンワラ、ワバイニ、この世に巣くう魔物ども、我に力を与えよ! ヌオー!」

 猫ニャンサーベルの先端に閃光が走り、真っ赤な雷撃が正成に向けて放たれた。正成は、アントラーサーベルで雷撃を防いだが、その反動で、壁際まで弾き飛ばされた。

バッタリと倒れ込んだ正成に化猫大帝が飛びかかり、馬乗りになって、サーベルを振りかざした。化猫大帝が低い声で叫んだ。

「これで、終わりだ!」

「ガチン!」化猫の一撃を正成はアントラーサーベルで受け止めた。両手で必死にサーベルを支え、化猫のサーベルを防ごうとする正成だったが、肩に受けたレーザー機関銃の傷のために、左腕に力が入らなかった。化猫のサーベルがじわじわと正成の喉に近づき、とうとう、その刃先が正成の喉に触れた。正成の心に、撤退の時間を稼ぐために憤死した熊鹿、体中にレーザー砲を浴びながらも城壁をよじ登ろうとして死んでいった鹿田、そして、城門を破るために自爆覚悟で投石器に身を託した鹿姫の姿が走馬灯のように思い出された。その時だった。

「ヌオー!」という叫び声とともに、化猫大帝の攻撃が緩んだ。床をはいずりながら近づいてきた佐和子のサーベルが、化猫大帝の太ももに突き立てられていた。佐和子は、鬼のような形相で、そのサーベルをさらに深く突き刺した。

「ハッ」一瞬の隙をついて、正成は身をかわし、立ち上がって、化猫大帝の背中を踏みつけた。正成はサーベルを両手に握り、全身全霊の力を込めて、それを化猫大帝の背中に突き立てた。

「ウニヤ~!」という化猫大帝のうめき声がした。正成は、化猫大帝の背中に突き立てたサーベルをグリグリと回しながら言った。

「これは、熊鹿の分!」

 そして、一旦、サーベルを抜き、今度は、それを化猫のわき腹に突き立てた。そして、それをグリグリ回しながら言った。

「これは、鹿田の分!」

 そして、もう一度サーベルを抜き、乾坤一擲の力を込めて、それを化猫の心臓に突き立てた。

「グハッ」と口から鮮血を吐き、化猫大帝は絶命した。正成は、既に息絶えている化猫の心臓に突き立てられたサーベルをグリグリ回しながら、叫んだ。

「これは、これは、鹿姫の分だ!」

 正成は、化猫大帝の屍の横にバッタリと倒れ込んだ。その正成に、佐和子がにじり寄り、正成のほほをなでながら言った。

「帰りましょう、二人で吉野の桜を見るのです……」



 静まりかえった室内にドタドタと靴音が響いた。血相を変えて鹿川らの部隊が飛び込んできた。

「提督! 近衛隊長!」そう叫びながら、鹿川が気を失って倒れている正成と佐和子のところに駆け寄った。鹿川は二人の胸に耳をあてて、叫んだ。

「二人とも生きてるぞ! 医療班は、生きてるのか?」

 そばにいた若い兵士が答えた。

「鹿光様の部隊の医療班は、健在のはずです。今、城外で、負傷者の手当てにあたっているはずです」

 鹿川が叫んだ。

「すぐに連れて来い!」

「はい、わかりました!」その若い兵士は、そう答えて駆け出して行った。

 鹿川が大粒の涙をポタポタ落としながら、すがるように叫んだ。

「提督、近衛隊長、お願いです。死なないで下さい。お二人に逝かれたら、いったい何のための勝利なのですか?」

「うーん」という正成のうめき声がした。鹿川が叫んだ。

「提督、提督、聞こえますか? 鹿川です。お願いします。お気を確かに、我が軍の勝利です。我々は勝ったのです。わかりますか?」

 うっすらと見開いた正成の目に、ぼんやりと鹿川の顔が映った。正成がかすかな声で訊いた。

「鹿川か? 勝ったのか?」

 鹿川が嗚咽して、声を震わせながら答えた。

「勝ちました。我が軍の勝利です」

「そうか……」朦朧としていた正成がハッと目を見開いた。そして訊いた。

「佐和子は? 佐和子は? 佐和子!」

 苦痛に顔をゆがめながら正成が顔を横に向けると、目の前に佐和子が倒れていた。

「佐和子! 佐和子!」

「近衛隊長もご存命です。ご安心下さい。もうすぐ医療班が来ます。大丈夫です」

 正成は、震える手を伸ばして、佐和子のほほを撫でた。そして呼び続けた。

「佐和子、佐和子……」

 医療班が血相を変えて飛び込んできた。医療班が叫んだ。

「提督!」

「私は大丈夫だ。佐和子を頼む」

 医療班が佐和子に駆け寄り、傷口を覗き込んだ。

「大丈夫です。酷い出血ですが、傷は内臓には達していません。輸血すれば助かります。近衛隊長はA型でしたね」

 医療班は、佐和子の首にかけられていた身分証の血液型を確認し、後ろを振り返って叫んだ。

「A型の者は前に出ろ! 輸血を開始する」

 五~六人の兵士が前に進み出た。輸血が開始された。

 医療班は、佐和子の胸に聴診器を当て、脈を計り続けた。一同が固唾を呑んでその様子を見守っていた。長い長い時間だった。正成は朦朧とする意識の中でその様子を見守り続けた。正成も輸血を受けていた。正成の出血も酷かった。

 佐和子を診続けていた医療班がホッとしたように肩の力を抜いて言った。

「どうやら、安定したようです。あとは意識が戻るのをお待ちするだけです」

「そうか…… ありがとう」正成がそう言って再び意識を失った。

 医療班が立ち上がり、鹿川に言った。

「お二人とも、もう大丈夫です。でも、動かすのは良くありません。意識が戻るまでここでお待ちしましょう」

 鹿川は黙ってうなずいた。攻撃開始からまる一日が経過していた。

 鹿川が思い出したように言った。

「お前! 全軍に伝えるのだ! 化猫大帝は討ち取った。提督も近衛隊長もご無事だと!」

「わかりました!」命令を受けた兵士がそう答え、勇躍して駆け出して行った。



 数時間後、佐和子の意識が戻った。佐和子がうっすらと目を見開き、横を向くと、隣のベッドに寝かされている正成が穏やかに微笑んだ。

 佐和子がか細い声で訊いた。

「私たち、助かったのですか?」

「そうだ、傷は痛むか?」

「いいえ、ちっとも……」

「我が軍の勝利だ。我々は勝ったのだ」

 それを聞いた佐和子の瞳からとめどなく涙が溢れた。

 ずっと二人を見守っていた鹿川が二人の会話を聞いて声を上げて泣いた。

 正成が鹿川に言った。

「鹿川、全軍の兵士に伝えてくれ」

「はい、何と?」

「皆、ご苦労だった。ありがとう……」

「心得ました」

 鹿川は、医療班に後を頼み、部屋を出て行った。

 城門の物見台に上った鹿川は、思わず目を伏せた。見渡す限り、屍の海が広がっていた。半数近くは、味方の屍だった。意を決して鹿川は顔を上げ、号令した。

「全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える」

 その声を聞いた全軍が静まりかえった。

「もう一度言う、全軍、静まれ! 提督のお言葉を伝える。提督のお言葉は、次のとおりだ!」

 少し間を置いて、鹿川が大声で言った。

「提督のお言葉はこうだ! 『皆、ご苦労だった。ありがとう』」

 それを聞いた全軍が怒涛のような喚声を上げ、抱き合って勝利を喜んだ。狂ったように踊り狂う者、大声で泣き声をあげる者、黙ってうつむきすすり泣く者、喜びの表現は様々だった。

「勝ったんだ!」、「俺たちは勝ったんだ!」

 喜びの喚声はいつまでもやむことがなかった。



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