鈴森美咲23歳2025年10月2日PM1:20パンプローナ空港上空
飛行機に乗っている時、自分は確かに地上にいない。その感覚が鈴森美咲は好きだった。生きているのに別次元に隠れているような不思議な感覚。雲の中に入れば霧の中の白はミステリアスで、雲上に出ると、太陽の美しさと雲海の美しさにため息が出る。初めて飛行機に乗った13歳の頃、飛行機の窓から眼下に広がる異国のジオラマが、どんどん大きくなりその世界に滑り込んでいく迫力に圧倒された。英語が飛び交い、快適に過ごせるように工夫された客室内も、目的地にちなんだ飲料が選べることも魅力的だった。
今、美咲は今まで乗ったことがなかった小型ジェット機で、スペインのパンプローナ空港を目指してフライトしている。小型ジェット機は13席程の小さなもので、バルセロナからの乗継便である。所謂、普通の観光ではない旅では、主要都市から小さな空港へ飛行機で行くか、バスになるのだが、美咲はやはり飛行機を選んだのだった。
だが今回の旅は、13歳の頃グアバジュースを楽しんだハワイ便とは違い、混沌とした不安と未来が分からない事への焦燥に満ちていた。美しい青空も回想の前に霞んでしまう。
美咲は県立大学を卒業してから、高校時代にコロナ禍で叶えられなかった留学の夢を果たそうと、アメリカへ渡った今春を思い出す。大学時代にアルバイトでお金を貯めて、半年だけのささやかな夢の実現だった。学校はなんとなく選んだワシントン州南部の町で、その地が核燃料開発の地であることを知ったのは、渡航から3週間ほど経ってからのことであった。
町は奇麗で、人々も優しい。それでも、原爆を栄光の様に語る人もいて違和感を覚えた。何も知らずここへ来て、歴史も知らず無知な自分にも憤りを覚えた。日本にいると世界唯一の被爆国である認識はあるが、加害者側の側面は意識しにくい。こちらから情報を取りにいかないと教育の場面がない、と言える。留学先の地で、日本人は加害者でもあるという認識を持つ場面も多かった。確かにそうだと、美咲は思った。亡くなった曽祖父は、押し黙っていたが、敵国の誰かに銃口を向けたことがあるのだと母から聞いた。
敵国の孫同士が、今は握手を交わし、祈りを共に捧げる。その境地に自分はまだ至れていない。何も知らないからだ、と美咲は思った。
アジアの人達は、どうして日本を寛容に受け入れてくれたのだろう?どうして今、許し手を握ってくれるのだろう?どうやって超えていくのだろう?
家族を奪われた相手の国の人を、受け入れていく葛藤を、もっと自分達若い世代は意識して、その平和への想いを教えて欲しい。分かりたい。
ずっと平和な日本で何も考えずに過ごしてしまった内省と、原爆を栄光と考える人もいること、また、きのこ雲の下の惨劇を知らない人が多い事、何もかもがショッキングで、美咲は異国の地で悩んでしまった。日本は、被害者であると共に加害者でもある。それでも、それを超えて、許し合う。
そのためには…知る事だ。お互いの痛み、実際起こった事を。
普段は意識しない偏見や差別、日本の加害と被害、両面の歴史。核爆弾が実際使われたらどうなるかを知らない人ばかりであることの認識。
「私、ぼけーっとなんとなく生きてきてしまったなぁ…。」美咲は呟く。
半年の留学を終え、日本に戻っても、モヤモヤした何かと、鬱蒼とした心持で何かをする気になれない。ひたすら学生時代に部活や趣味で取り組んだユーフォニアムを無心で吹き続けた。
ユーフォニアムはチューバを小さくした様な見た目の金管楽器だ。管を伸び縮みさせて音の高さを変えるトロンボーンと音が似ているが、トロンボーンより柔らかい音が出る。吹奏楽では縁の下の力持ちの様な役割で、深みを持たせる役であるが、世に生まれたのが早くはないので、オーケストラにはパートがない。いつかオーケストラにもユーフォニアムのパートが入るようなコラボレーションが、生まれてくれるといいのになぁと思った、サキソフォンも。
「良い響き」がユーフォニアムの語源だ。無心で吹き続けると少し心が楽になった気がした。
就職するのか取り合えずアルバイトするのか、実家の両親が心配し始めた頃、お遍路から戻ってきた叔母に、『英語が出来るなら海外の巡礼をしてみては?』と提案された。
ただ、ひたすら歩く、歩き続ける。巡礼のイメージに、美咲は思わず次の言葉を躊躇ったのだが、叔母が次に告げた言葉が全てを払拭してしまったのだ。
『自分はどうありたいのかを見つめるのが巡礼旅。求めている答えが見つかる。』
斯くして、美咲は中世にキリスト教の三大聖地となり、スペイン北西部からフランスまで伸びる約800キロの、『星に導かれた道』を歩いてみることになったのである。
三大聖地とは、ローマ、エルサレム、そして美咲が今回選んだ、サンディアゴ・デ・コンポステーラである。ゴールであるサンディアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には、イエスの十二使徒の一人である聖ヤコブの遺骸があるとされる。至る道はいくつかあるのだが、美咲は『フランス道』を選んだ。スタート地までの行程としては、
成田(空路)→バルセロナ(空路)→パンプローナ(バス)→サン・ジャン・ピエ・ド・ポル
サン・ジャン・ピエ・ド・ポルはフランスとスペインの国境付近にあるフランスの町で、ここからスタートとなる。きちんとシステム化されていて、巡礼事務所で巡礼手帳を貰い、旅の説明を受けるのだ。休憩所や巡礼者の為の宿泊施設に行った時に、巡礼手帳にスタンプを押してもらう、所謂スタンプラリーになっている。
山の高低差や危険な箇所もよく分かる地図も貰えて、道はしっかり決まっていてモホンと呼ばれる標識もある。巡礼者も多いので迷いにくい。だが、滑りやすい場所もあるので、怪我をする人はやはりいて、約800キロを5週間ほどかけて、高低差のある山も越えなければいけない過酷さは、よほどの覚悟が要ることなのだった。
『機長よりシートベルトの着用指示が出ました。当機はまもなく着陸態勢に入ります。』キャビンアテンダントのアナウンスと共に、飛行機はパンプローナ空港の滑走路へ向かう。
上空から見たパンプローナは、深い緑の丘陵や、黄土色の麦畑、赤い屋根の可愛らしい家々、聖堂や広場、川や橋が、ただひたすらに美しい、のどかな町である。
最近行ったばかりのアメリカとも、日本とも違う、欧州の雰囲気が独特の威厳を醸し出している。
パンプローナは牛追い祭りが有名だ。パンプローナはスペインなのだが、ここからバスで向かうスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポルはフランスで、スタートの後、また徒歩でパンプローナを通り過ぎることになる。バスで行って徒歩で戻る感じになるのだが、巡礼路はそうである。皆ここで、スマートフォンが繋がる繋がらないに頭を悩ませたりする。国が違うからだ。
だんだん町が大きく迫ってくる。間もなく着陸である。
ドン、という振動と共に、飛行機が地に沿って進むのを感じる。着陸時のこの鈍い衝撃が美咲は好きだった。まるでスタートのホイッスルのように、これから始まる一日にエールを送る。
無事に飛行機を降りた美咲は、パンプローナ空港のバスステーションで大型バスに乗り、行程通りサン・ジャン・ピエ・ド・ポルへ向かった。
バスで降り立った町も、とても美しい。
2016年よりフランスの最も美しい村に加盟したと、インターネットで調べた時に見たのだが、確かに頷けると美咲は思った。砂岩が敷き詰められた斜面となっている通り、立ち並ぶ古い建物は、魔女が住んでいそうな、おとぎ話の中の世界の様な可愛らしさである。バスク風と言うそうだが、木の扉の周りを石が枠の様に囲んでいて、白い壁とのコントラストが目を楽しませてくれる。
今日はインターネットで予約しておいたアルベルゲ(巡礼宿)に泊まり、明日の朝、この旅の最初にして最大の難関、ピレネーの山越えに挑む。
標高1450メートル。約25キロの行程を超えて、次の町であるロンセスヴァリェスのアルベルゲを目指す。天候によっては危ないのであるが、幸い晴天の予想である。今は10月なので大丈夫だが、夏は脱水にも注意が必要だそうだ。吸水ポイントの事前チェックなど自己管理が大事である。
美咲は巡礼事務所に寄って手続きをした後、アルベルゲにチェックインしてバックパックを下ろした。成田空港からとても長い、気の張りつめた一日だった。明日山越えをするなんて信じられないとさえ思った。でも行くのだ。
「ぼやっと生きてちゃダメだ、美咲!」と叫んでしまってから周りを見渡して誰もいないことに安心した。
アルベルゲはドミトリーの様な、二段ベッドが部屋に幾つもあって、大人数で相部屋となっているところが多い。修道院を改装した様な趣のある場所、民営と公営の違いもあり(値段が公営の方が安い)、ホスピタレーロ(世話人)が家庭的な料理を作ってくれて、そのもてなしの元、巡礼者達は仲良くなり、歌を歌ったり、巡礼路を歩く理由を共有する機会となるようだ。
お遍路の様に、巡礼路も巡礼者をサポートしてくれる人達がいて、多くの善意はキリスト教が教える隣人愛の精神に通じている。ドネーションのポイントには果物や水分が用意されていていたり、巡礼を終えた先輩たちが、靴を置いていってくれていたりする。
とはいえ、自分に必要な物は一応パーソナルなので、美咲はあてがわれた二段ベッドの下段に、寝袋を敷いてから、自身の荷物を確認してみる。アルベルゲはベッドはあれど布団はないので、皆ベッドの上に寝袋を敷いて眠るのだそうだ。
バックパックは蛍光色の黄緑で、何かあった時に見つけてもらいやすい色を選んだのだった。美咲は152センチと背が低いので、5歳の子供位の大きさのバックパックを背負うと、後ろから見ればバックパックが歩いているように見えるかもしれない。重さは7キロくらいまでが理想だそうだが、美咲のものは10キロほどだ。これでも精鋭達を選んできたのだ。後悔はなかった。
寝袋と、頭に付けるライト、帽子、時計、水筒、防寒具、救急セット。非常食。サンダルは今履いている。アルベルゲは外で靴を脱いで置いて、サンダルで中を歩く。スマートフォンやお金、手帳に日記。家族の写真。巡礼事務所からここへの道すがら、巡礼のシンボルである赤い十字架が現されたホタテの意匠と、ストックと先端に付ける石突もお店で購入してきた。ストックをポールという人もいるが、スキーの時に両手に持つ様な杖である。手ぶらな方が身が軽いように思えたが、事前に調べた資料に持っていない人は映っていなかった。木製のものからステンレス製のものまで様々だが、美咲は黒のスタイリッシュなデザインにした。石突は杖を道に突いた時の衝撃を和らげるためにあるのだと思われた。山道だけでなく、町や美しい通りも通過する行程である。石畳を傷つけない、なるべく『カッカッ』という杖を突く音を出さない為に有効になるだろう。
「あー。ユーフォ―吹きたい。」とうなだれる。
アメリカ留学中もそうだったが、楽器が恋しかった。まだ旅は始まったばかりである。。相棒は日本の家族に任せ、レセプションで貰った周辺地図などを確認して気を紛らわせた。
スペインの夕飯は開始が遅い。まだ夕方なので少し休もうと、寝袋の上に身を委ねると、3秒後にはもう眠りに落ちていた。
「ミサキ!ディナーイズレディ!」肩を揺すぶられて重たい瞼を開けると、ホストのソフィアが笑顔で目の前に迫っていた。
「アーユーOK?」金色のパーマネントの長い髪をポニーテールの位置でまとめているソフィアは、赤いチェックのエプロンがとても似合う、中高年位の世代の女性だ。髪型は美咲と同じだが、美咲は天然パーマで黒髪という違いはあった。一人旅に出ると、初対面の人に自分との共通点を探してしまうのが美咲の癖だ。
「アイムOK…。」と眠気眼を擦りながら夕飯会場へソフィアと一緒に歩む。
今日のアルベルゲはこじんまりとしたペンションのような造りで、美咲の部屋は二階にあった。階下に降りて、レセプションの隣の部屋にある10畳程の部屋に歩みを進めると、長い一枚板の木のテーブルに、所狭しと並んだ料理の数々が見えた。
山の様に盛られたチョコレート色のクロワッサン。円形だけれど切り取られた跡はある大きなチーズ。スライスしたパンに生ハムとオリーブをのせて串を刺してあるピンチョス。ワイン。深緑色のスープ。林檎などの果物も籠に盛られている。
テーブルの両脇には切り株状の椅子が20脚ほどあり、もう既に10人の先客が、ソフィアのもてなしに舌鼓を打っていた。美咲の登場に『オラ!』と、スペインの挨拶が飛び、皆がおいでと誘う。
美咲は空いている真ん中の席に着席し、まずは水を飲んだ。飲み干したその勢いに、皆が陽気に笑い、
水じゃなくワインを、と勧められる。
注いでもらったワインもスピード感を持って飲みながら、ピンチョスを一口食べると、体中の細胞が空腹だと叫んだように弾んで反応した。
「ボーノ!」大声で叫んでしまい、小さく日本語で『すみません…』と小さくなると、ソフィアが全然大丈夫、と微笑む。
遅れてきた美咲の為、皆がもう一度自己紹介をしてくれる。
フランスのガブリエル。マーケティング会社勤務の26歳。金色の直毛の長い髪を後ろで束ねている、細身の男性だ。
ドイツのミア。看護師で長期休暇を取って来た。濃いブラウンの長いソパージュで、黒縁のメガネが文学少女のような雰囲気である。28歳。
アメリカのシャーロット。飲食店勤務。ワンレングスの金色の長い髪で、長身の女性だ。ブルーアイが奇麗な33歳である。
中国のシンユ―。大学生。留年するかもしれないけど来てみたと話し、皆爆笑する。小柄で、長くも短くもない黒髪を遊ばせているような、お洒落な22歳。
アイルランドのグレース。ホテルのフロント勤務。深い緑の瞳が印象的な45歳。半そでのシャツから見える腕が細くて美咲は少し心配になるが、健康の為に歩くのだと握りこぶしを作る姿に、ホッと胸をなでおろす。
チリのマテオ。褐色の肌に黒髪で、元気で満ち満ちている18歳。運送業。信仰心は人一倍。
メキシコのホセ。同じく褐色に黒髪だが、体格ががっちりしていてTシャツがきつそうである。口元から見える歯が白く輝いている。ドライバー。35歳。
オランダのヤンセン。ペットショップ経営。淵のない眼鏡で温和な表情が印象的な青年。腹囲を医師に指摘されて旅を決意。52歳。
最後に日本人夫妻。中山実さんと妻の美江さん。ご主人が定年退職されたばかり。白髪が混じったショートヘアで、ペアルックの様に青いパーカーを着ている。夫婦なのだから違うのだろうが、兄妹なのかなと思えるほどご夫妻はそっくりだと美咲は思った。
スペイン語と英語が混在する世界に、中山夫妻と美咲の日本語が少し割って入るような雰囲気の会になっていった。
ワインも進み、自分探しに来た23歳の日本人女性に、質問が飛び交う。陽気な雰囲気を壊さないように気を付けながら話す英語はたどたどしくなった。
美咲が日本について何を知っているのか聞いてみると、ほとんどのメンバーが『アニメ』と答える。お気に入りのキャラクターの小銭入れを持っていたフランスのガブリエルは、『マイヒーロー』と称えてそっと両手でそれを包み込んだ。日本のアニメーションは世界一。皆がそう言う。
それ以外には?その質問には、キモノ、ニンジャ、ハラキリ、ブシ、エド、ゲイシャ、キョウト、ナラ、トウキョー、アサクサ、と、代表的な名詞が挙がる。日本は未だに、着物を着て下駄で歩いているような印象を持っていたり、そもそもどこにあるのか分かっていない人もいた。『アジア』と美咲が答えると、『中国の横?』とホセが答える。中国のシンユ―が『日本は島国だ』と答えると、驚きの声も上がっていた。
美咲は驚いていた。被爆国であること、戦争加害者でもあることなどは出て来ない。日本は、場所も明確でなく、江戸のような暮らしをしていると思っている人すらいるのだ。
中山実さんが『アイアム ア サバイバー ザサード』(被爆者三世)とぼそっと言うと、周りが静寂に満ちた。
「リアリー?」ドイツのミアが切なそうな顔をする。
だが、やはり、原爆の被害者や被爆地のむごさを知る者はいない様子だった。
実さんが『核兵器が世界からなくなって欲しい』と話すも、『一番お金がかからない防御法だ』という反論や、『世界をリードする大統領達が押すはずがない』という意見が出た。
美咲は意を決して、日本の加害者の側面を説明した上で、今のアジアは日本を受け入れてくれている事をどう思うか聞いてみる。
しばらくの沈黙の後、フランスのガブリエルが小銭入れをもう一度取り出して言った。
「この作品はとてもとても素晴らしい。命って素晴らしいって教えてくれた漫画だ。この作者さんが日本人。それだけでもう、今の日本は、良い国だって分かるよ?」
美咲はハッとした。それは紙に描かれた絵であるのだ。でも彼は自分の英雄だと両手で抱きしめた。
そうやって、元気で勇気のある、日本の天才達が生み出した良心は、日本と世界を繋ぐ橋渡しをして、含み超えていく手助けをきっとしてくれているのだ。もう何十年と前から。
「アニメは日本のつよーい味方だね!」とアメリカのシャーロットも微笑む。
美咲が『全世界の人と仲良くしたい』と無意識に呟くと、皆、
「ブエン・カミーノ!(良い巡礼を!)」と口々に叫んでワイングラスを掲げた。
美咲は宴もたけなわの頃、銀婚式も終えたばかりという中山夫妻に長く寄り添える秘訣をこっそり聞いてみる。
「美咲ちゃん夫婦はね二人三脚なの。いつもいつもいつも、それをイメージする。一人が転べば一緒に転んでしまうから、パートナーが疲れていないか、疲れてたら一緒に休もうとか、病気なら治してあげようとか、しんどいならその分自分が力を出して足を踏み出そうとか、その繋いでいるあなたがいるから私は今、歩いていけてるんだって、尊敬する気持ちをいつも持っていることが大事だと私は思うわ。」
日本語で紡がれたその文章は、清流の様に美咲の中に流れ、心に何かを残していく。言葉のありのままに、本質を受け取り、明日から始まるカミーノに想いを馳せる。ソフィアに許可を貰って、門限を少し過ぎていたが星を皆で見に行く。
ここがスタート地点で同じスタートを切るが、当然スピードが違うのでバラバラになる。
空より星の方が多いような美しい光景に、皆が言葉を失った。確かに、星の道だ。
モヤモヤしていた自分にエールを送ってくれるように、と、美咲も手鏡の裏にある日本のキャラクターをそっと撫でた。ホタテの意匠以外にも、自分にはお守りがある。きっと歩き抜けると心に言い聞かせた。
一日目、ピレネー山脈を越える、25.2キロの道のりを行く。
風景は有名な画家の描いた絵を思い起こさせる美しさだ。目にも鮮やかな緑の山々。白い雲が悠々と泳ぐ青空は、日本と同じ清純さを持って私達を見守っている。
息を切らして、坂を上り、何度も何度も山を越える。確かにストックがないと厳しいと美咲は思った。とにかく坂だ。坂道を登るのにエネルギーを使う。
濡れていれば危ないであろう大きな岩盤のような下り道もある。亡くなられた巡礼者を弔う石塚も時折見かけた。
それでも自然は美しい。夏はポピーやジャスミン、麦畑。今は10月なので葡萄の季節である。
山羊が気ままに牧草地を闊歩している。気持ちがよさそうで、美咲も草の上に寝転がってみる。
標高が高い地の緑の上で、青空を正面に捉える贅沢さは、何物にも代えがたい経験だった。
国境を越え、水飲み場を過ぎ山頂に至る。クロワッサンを頬張り栄養補給をし、ロンセスバリェスへ。
これで一日目が終了となる。
中世のように洗足をし、巡礼の歴史を辿ってみる。
813年、目指す地、サン・ディ・アゴ・デ・コンポステーラで、ペラギウスが天使のお告げでヤコブの墓があることを知り、星の光に導かれて司教と信者が墓を発見したとされ、これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。巡礼者はその大聖堂を目指して歩く。巡礼の歴史は951年からである。信仰の為、健康の為など歩く理由はひとそれぞれだが、皆、願いや祈りを込めて石を積んでいく。
ロンセスバリェス、パンプローナ、プエンテ・ラ・レイナ。ログローニョ、そしてブルゴス。
一日20キロから25キロ程を、計画通りに町から町へ、町のアルベルゲへ。
アルベルゲに着いたらフレデンシャルにスタンプを押してもらう。一泊にだいたい15ユーロを支払って、ベッドメイキング、シャワー、洗濯と、段々流れを掴んでくる。
200キロ、300キロと歩くと足マメも出来てしまい、水膨れを針で刺して処置をするような辛さも、関節痛にサポーターを当てて踏ん張る時もあった。
日本より濃い珈琲を飲み、ずらっと顔を揃えた生ハムを選んでみたり、焼き立てのクロワッサンやデニッシュを楽しんだり、食の楽しさは底なしであり、生きている喜びを感じる。でもそれ以上に足や、腰が痛くて辛い。
何故歩いているのだろう。確かに景色は美しい。食べ物もおいしいし、他の巡礼者との会話も、アルベルゲの世話人の方たちの親切も身に染みて嬉しい。でも、歩いても歩いても、大聖堂はまだまだ何百キロも先の地だ。身体は悲鳴を上げたままだ。
でも願う、答えが欲しいのだ。自分がこれからどうありたいのか知りたいのだ。
『歯を食いしばれ美咲、越えて行け!』
美咲は涙を堪えながら、震える膝を鼓舞した。
ゴールの少し前、『歓喜の丘』に辿り着くと、眼下にスペイン・ロマネスク様式のカテドラルを見る。有名な像を間近に、美しい聖地をもう少しで着く、という位置にとらえ、もう旅が終わってしまう寂しさで一杯になる。
ここまで一か月程の、過酷な徒歩だけの旅だった。色々な想いが溢れ、涙も溢れる。
オブラドイロ広場にそびえる大聖堂。栄光の門のくぼみに震える右手を合わせる。
ヤコブ像。スペインバロック様式の主祭壇。
着いた。やり遂げた。美咲は溢れ出る様な充実感に満たされていた。ようやくちゃんと、人間になれた気がした。無心で歩き、ただ心と向き合う。
そうして得た答えは、
『自分が平和の為に出来る事をしたい』という一文だった。
「美咲ちゃん!着いたのね。良かった、途中体が辛そうだから心配してたのよ。」ふいに懐かしい日本語が訪れて脳が混乱する。英語脳から日本語脳へスイッチしてから声の主を探すと、中山夫妻が笑顔で手を振っていた。
再会とゴールを一緒に喜んだ後、巡礼が終了したことを証明してくれる場所へ三人は歩む。
『自分探しの旅に答えは出たか?』と問う実に、『平和の為に何かしたい』と絞り出す美咲。
その答えに、まるで用意されていたかの様な画像を妻、美江が見せるのだ。
それは松の木の視点で原爆の、きのこ雲の下での惨劇をリアルに映し出すVRである。
「大学生達が作ったって。今、話題になってるって孫たちが言ってて…。」と説明文を読ませてもらうと、それは、美咲が卒業した県立大学で、知っている教授、六角正平の名もあるのだ。
「ちゃんと求めている答えが見つかる…。」美咲は叔母の言葉を思い出し、身震いしながらカテドラルを見上げる。
美咲は昔何かで勉強した、飛行機の部品を運ぶ為だけに作られた飛行機を思い出していた。
ジャンボジェット機の、アメリカで作られた部品を運ぶ為に、飛行機の機体後部が大きく横に開き、格納出来る様になっている、世界に4機しかない特別な、そして小さな飛行機だ。
きっとその飛行機の様に、自分にしか出来ない役割がある。大きくはない。でもそれを欠いては全体も達成しない、そんな、大切な一部分。
「きっとそうだ。この800キロの巡礼のゴールで、こんな奇跡が起こるのだから…。」美咲は夫妻が驚くのも気にせずにボロボロと涙をこぼした。
後日談である。
無事日本に帰り着いた美咲は、すぐその足で大学へ向かい、六角正平に会うのである。巡礼旅に出た理由、サンディアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の前で起きたことを話し、自分はこのきのこ雲の下で起こった事を伝える動画を、世界に広める為に活動したいと、相談するのだ。
今度はバックパックの他にユーフォニアムも携え、世界中のバルやレストランで、ソロで弾かせてもらう交渉を店主としてみる。その時のお客さん達に、この動画にすぐ辿り着ける様な情報を貼った紙を渡したい。音楽は言葉の壁を越え、平和を伝える架け橋となり得る。心を込めて演奏するから、力を貸して欲しいと言う小柄な女の子を、正平は畏敬の念を持って見つめた。
正平は雅彦に相談し、発足会のアイデアの元、VRにすぐ辿り着ける情報の載った小さな紙袋や、VR説明の五か国語の翻訳、そして『味方』にお願いして、アニメーションキャラクターの飴を作った。元禄飴と呼ばれるどう切っても同じ絵柄が現れる技法の飴で、日本の技術力とキャラクターの魅力を、一円玉ほどの小さなカンバスに表している。情報の載った紙袋に飴を一粒入れ、色んな人の手に渡る様にと、発足会は祈りを込めた。
今日も彼女は異国の小さなレストランで、VR説明が書かれた五か国語の翻訳をバックに、飴の紙袋を置き、ユーフォニアムで平和を歌う。その祈りは届き、心を打たれた人々は心ある小さな紙袋を大切そうにカバンに入れる。
まるでタンポポの綿毛の様に、平和への祈りが世界中へと飛んで広がっていくのだ。
日本でも海外からの旅行者に配る活動を発足会が中心となって行っていった。
味方を得て、風を得て、星の導きを得て、発足会が祈りを込めたVR動画は、反核の為に広がっていく。
それは世界中の誰もが目にする響きとなり、世界に波打ち始める。
『良い響き』、ユーフォニアムの音と共に。




