井上雅彦とハッカソン 2025年10月26日AM10:25新聞社第一会議室
アイデアソンから三か月後の10月末である。井上雅彦はこの三か月で既に通い慣れた、地方新聞社の会議室にいた。ビジネス仕様の会議室はモニターやプロジェクターが備え付けの洗練された空間だ。白い天板の長机に付属するパイプ椅子も、白で統一され、壁も白いので、SF映画に登場する宇宙船の中の様に近未来的に感じる。予定では15人程の技術者が集まると聞いている。椅子は50脚程あるだろうか?十二分に広い。長机でも一席分ごとに、パソコンをインターネットと電源に繋げる事が出来る仕様になっている。
壁付の時計は10時25分を指している。受付開始の10時45分までまだ間がある。雅彦はスマートフォンを取り出し、約一か月前にオンライン動画共有サービスにアップした動画のチェックをする。
アイデアソンで出来たシナリオを基に、知り合いを辿り制作スタジオが作ってくれた、きのこ雲の下を追体験するVRは、雅彦が驚く程、チーム5の意図を再現し、写実的で良いものが出来た。現代のCG技術の素晴らしさに触れた瞬間だった。きちんと伝わる、そういう手応えがある。火も煙もホログラムで奥から手前に迫ったりする迫力は、どちらかというとアナログを好む雅彦には未知の領域だった。
寄付も順調に集まり、エンドクレジットに間に合う限りの、1万3523人分の名を載せた。これに留まらず、今後寄付をしてくれる人の名も刻んでいけたらと思っている。郷里の母が『善意は広がりやすい。人間は善の生き物だから』とよく言っていたのを思い出す。その通りだ、と雅彦は母の言葉を噛み締める。
アイデアソンの総意で出た視聴への配慮を汲んで、子供達は視聴に親の同意を得て、とした。どうしてこのVRをアップしたのか、その意図もきちんと説明書きを載せ、成人は誰でも視聴可能である。オルゴール音と共に流れるナレーションの字幕は英語も載せ、説明書きは5か国語で翻訳を付けた。
約一か月で2万2067回再生。
正平は、とにかく反核の世論が広がる事が大事だと言っていた。今、チームBが取り組んでいる事も、国民の支持がなければ何も結果に結びつかないと。まず日本がほぼ100%の反核の意思を持ち、それを、唯一の被爆国として世界に広げ、全世界が反核の意思、総意となること。そうならなければ、鍵があっても鍵穴が見えない、と先日言っていた。
今までの人生で、大事なのは成し得るかより努力した過程だと思ってきた。でも、今回だけは、結果が出ることが何より大事だ。雅彦はそう思う。
正平もこのきのこ雲の下を追体験するVRには、『凄い!』という台詞を繰り返し、チームAに何度も頭を下げてくれた。
『この動画が広がる事、それがとても重要ですね、その為にはやはり、デジタル平和プラットフォームを作製して、そこからワンクリックで飛べるようにしてもらうことだなぁ…。』
雅彦も同感だった。
動画の完成を待たずして、主体となる新聞社に何度も交渉した。それが大変だった。
まずいきなり行っても『アポイントが必要』だと受付係に断られてしまう。電話をしてもアポイントが取れない。どうも就職活動中の学生だと思われていたようで、何度も通う内に見兼ねた受付の女性が、就職説明会の告知チラシをくれたのだった。
そのチラシを頼りに何とか来社出来る手はずを取り、少し話を聞いてもらえる段階までようやくきたのが、今いる新聞社である。
熱意しかない身振り手振りで、出来たばかりの試作VRを見せながら、いかにデジタル平和プラットフォームの作成が大事で、なぜ新聞社に主体になってもらいたいかを、打ち明けた。人事担当者に、である。ただ、運が良かった。もしかしたら何かの力が後押ししてくれたのかもしれない。
この人事担当者が、試作VRを見て、エンドクレジットの意味を熟考し、寄付のプロジェクト画面を鑑みて、感銘してくれたのである。雅彦を学生ではなく、『さくらわ』の代表でコーディネーターなのだと、認めてくれた最初の人だった。
「よう、雅彦くん、来たね!」
小柄で短髪の黒髪、タイトな紺の、ストライプのスーツで会議室に現れた、その人である。
「真柴さん、おはようございます!こんな凄い会場を用意してもらえて凄くびっくりしてます!」
真柴勇作は入社5年目、27歳の若手社員で人事部である。飛び込みで学生が面接に来ることはないではないが、学生がいきなり営業トークを始めたのには驚いたのであった。ただ、その順番や方法が違う礼のなさを、上回るほど感銘できる熱意が見受けられ、若いが故に不器用なことが人事担当の自分に話している理由だと、大いに理解できるので、話を上から上へ伝えてもらったのである。
新聞社は地域活性化や、住民の文化活動、伝統の継続などを協賛する。勇作も度々、自社が協賛しているイベントに足を運び、作品を堪能する休日を過ごしていた。
しかし、今回の雅彦の案は、とても特殊、である。
協賛ではない。
主体、である。
社に大きな影響が出る。
それでも。
確かに彼の言うことは分かる。
我々新聞の地域に根差した会社としての社会的アイデンティティ。信頼性。
彼を後押しした全てが、行動で新聞社を褒めてくれたような気がした。
折しも戦後80年の節目で、紙上は戦争関連の記事に溢れる。
何か出来る事があるのなら。
上の人達はきっとそう判断してくれたのだ。
結果、雅彦は無事、新聞社一社をクライアントに得ることが出来た。発足会の理想では3社合同だが、まず実績を出さなければいけない。
最初のコンタクトが未熟過ぎた反省を持ち、マネージメントに必要な人脈や、製造元、販路先を確保していくこと二か月。
ようやくプラットフォームに採用出来るものが確保出来たところで、プログラマーの有田万里に中心となってもらい、ハッカソンを行うにまでようやく至ったのである。
「井上さん、おはようございます!」高い声で挨拶をしながら入室してきた女性は、福田唯さん。保育園児のお子さんがいるワーキングマザーである。腰まである茶色い髪をピンだけで留めている、大人っぽい印象の女性だ。
彼女はコラムを書いていて、雅彦の不自然に多い投稿にも気付いてくれていた人だった。面と向かって俳句に評価を受けた時は恥ずかしかったが、句の一言一句をたがえずに覚えてくれていたことが嬉しかった。
「ようやくここまで来ましたねぇ…。凄いわ。官にも民にも、通いまくったのよね?」
「はい、感無量です…。精鋭の技術者さん達にハッカソンでプラットフォーム作ってもらえるなんてもう、僕泣きそうですよ。」と雅彦が照れくさそうにすると、
「うん、でも…何回か繰り返さないと完成しないかも…。地道に、頑張っていきましょう。」唯が微笑むと、雅彦は何度も頷いた。良い物を、工夫を込めて作れば、人は集まる。共感してくれる、その信念があった。
「雅彦くん、おはよう!よろしくお願いします!」と、もう涼しいのにクールビズの爽やかな半袖シャツで現れた男性は、千弦の兄の有田万里である。大量の資料をキャリーバッグから取り出し、手早く司会進行席の上に並べた。
「おはようございます。今日はありがとうございます。」と、雅彦は深々と頭を下げる。発足会の杉浦雫も入室し、新聞社の勇作や唯と挨拶を交わす。
万里や新聞社が協力して声をかけてくれた技術者達も続々と入室し、パソコンをそれぞれの席に設置する。アイデアソンとはまた違う、独特の雰囲気に、雅彦は胸が高鳴った。
システムエンジニアが設計し、プログラマーが書く。という、二文だが、複雑な工程、法令などがあるのだろうなぁと、遠い目で見つめる。
管理しやすく、効率的に。適切なアクセス制限とセキュリティ構築。ツールの利用状況を追跡可能にする、データを安全に保護する、ツール利用者の適切な安全管理。
万里と話した時に感じたことは、セキュリティ対策と、管理しやすさを徹底することだった。どういったプラットフォームにするかのアイデアだけが膨らんだ自分にとって、違う側からの縁の下の力持ちのような土台だ。
「本日は新聞社主催『デジタル平和プラットフォームを作製する為のハッカソン』にお集まりいただきありがとうございます。進行の有田です。
主催の新聞社様、コーディネーターの『さくらわ』井上雅彦くんと発足会のご意向に沿った公民連携の土台となる平和プラットフォームの構築です。こちらでチームを分けてますので、あ、はいそう、お座席のお名前の通り座って頂けている時点で既にチーム分けされております。5人3グループです。話し合いやすいように動いて頂いて、早速初めて下さい。」とアナウンスして、グループ内の話し合いが始まる。
「万里さん、成長する木の世界地図、国の数のことはどうなりましたか?」と雅彦は聞く。雅彦は万里に会ったことがあるが、最近は自治体や農家、工場へ奔走していて、万里や雫、新聞社の勇作や唯に任せる状態になっていた。
「うん、あ、雫さん、こっち来て!」と、手を振る。雫は万里とは季節が違う様な、厚手の、朱色のカーディガンを着ていた。雅彦は普通のスーツ姿だったので、季節感が三角形の様な3人だった。
「おはよう、井上くん。」と、今日も落ち着いた凛とした印象である。
「色々話し合ったけど、プルラリティはグローバルな考え方であるから、日本からではなく、『地球』から見た時、国は1か197かのどちらかだろうということになって。
そして『地球』というプラネットから見た時に、物凄く俯瞰で見ると、国家は政治組織、国は国境線で区切られた領土、その『線』の意味で考えても1か197だろうということになって。話し合いの結果は1か197になったんだ。」と万里が雅彦に説明する。
「197本の木と、全世界で一本の木があって。197の木に電子署名された数が、最後の全世界一つの木に集約されていく感じなんです。全体の木はVRに基づき、『松』が採用です。日本は桜で、アメリカはハワイに寄せてヤシの木、カナダはメープルなど、色々考えました。」と雫が詳細を教えてくれる。
「…なるほど。凄い…ありがとうございます!」万里が作った成長する木の世界地図の見本を見て雅彦は喜ぶ。197本の木が世界中に生えている。素晴らしい出来栄えだった。
「難しい問題がありますよね。複雑で、悲しい過去と、現在も当事者の方々に続く苦しみを考えると、会議でも沈黙が続きました。でも『松の木』には必要な一本の木の総意ですし。」と雫が小さな声で呟く。
「無力ですよね、僕達。二つの国家のことも、子供達がお腹を空かせて泣いているのに、何も出来ていない。」と雅彦は唇を噛む。
「…同じ場所を愛する人達だ。感性は似ているんだと俺は思うなぁ。ボタンを掛け違って、憎しみ合うのではなく、よく話しお互いを理解したら、制圧することではなく、新しく一緒に子供達が夢を描ける未来を作っていけると俺は思う…。」と、今朝ネットニュースで見た、瓦礫の中に佇む住民の画像を思い出して万里がうなだれる。
「力で制圧しても人はついてこない。心を動かすのは心ですよね。話し合いも、オンラインを活用して、会わずとも今の世は会議の場が持てる。圧することではなく、終わった『点』からの自治をどうしていくのか。人間には言葉がある。言葉は人間の宝である。この宝こそが、諍いや戦争を遠ざける事が出来る。」雫の言葉に、「六角先生みたいだ。」と雅彦が驚くと、「いえ、お祖父ちゃんの影響かも。」と切なそうな目をした。
「過去を乗り越えて、歴史を乗り越えて、握手を交わせる人達がいる。私達も、曽祖父が銃を向けたかもしれない国の人と交流し、お互いの文化を楽しみ、一緒にスポーツで汗を流す。アメリカの方々も、平和記念公園へ訪れて祈ってくれる。私達のその『今』が、戦争をしている場所にも届いて欲しい。許し合えることに気付いて欲しい。」と、雫は目線を落として言葉を絞り出す。
『曽祖父』の一言に込められた哀しい過去を感じた雅彦は、もう一度成長する木の世界地図の試作を見つめ、
「197であり、1だ。本当にそうだ。」と語調を強めて言った。
ハッカソンが進み、昼休憩前の頃、会議室に食べ物の匂いが充満した。
「あ、みなさん、お疲れ様です。戦時中の食の再現通販になるパッケージのサンプルを持ってきましたので、ご試食下さい。すいとんと、里芋とうるち米のおはぎ、とうもろこし粉の蒸しパンです。」と雅彦はそろそろ空腹を感じ始めた参加者たちに促し、最前列の机に参加者分の試食を紙皿に盛り、給湯室にあったフォークを配る。
「蓋はぱこっと開けられる仕様です。蓋の箱に紙飛行機が印刷されていて、よく見ると切り取り線がありまして、手で切り抜いて、お子様が遊べるようになっています。この、紙飛行機部分だけ鶴の柄にしました。
レトルトパウチのすいとんは、小麦粉を水で練って団子状にして煮ています。一緒に入っているのはさつま芋のつるです。茎の部分ですね。出汁は、当時は調味料が配給制で全然なかった事情から、イワシで醤油を住民が作り出していた話を聞きまして、いわし醤油と塩だけで汁を作っています。
おはぎは、米と里芋を一緒に炊き、潰して団子状にしたところにきなこをまぶしています。節米運動から、芋類を代用して工夫されていた様です。砂糖も手に入らなかったとのことで、素材の味そのものの、ものすごく素朴な美味しさのものです。蒸しパンも、砂糖やベーキングパウダーなどは手に入らなかった事情から、とうもろこし粉の甘さだけが中心の素朴な味わいです。それでも戦時中の砂糖やとうもろこし、米、小麦より、今の物の方がずっと美味しいので完全再現とはならないのですが、日頃味の濃いものを食べていらっしゃる方には、薄く感じられるかもしれません。
節米から、米、砂糖などの調味料も配給制になっていき、その配給もされなくなっていった様です。塩を海水からとり調味料にした体験談も伺いました。
あとは資料や挨拶と共に色紙と、鶴の折り方の手順書が入っています。公園へ寄せられた千羽鶴が、キーホルダーに加工され海外の方もお土産に買っていかれる取り組みを知りまして、このプロジェクトは鶴を中心に考えてみました。
発足会で出ていたふるさと納税には時間的に間に合わずなのですが、今回ご協力頂いた縁を大切にして、違うバージョンの物をふるさと納税の返礼品に出来る様に今、動いております。あと、やはり商品の性質上国内発送に限られてしまうので、海外の方にも試食して頂けるような乾燥しているものも思案中です。」と雅彦がパッケージの箱を掲げて発表を終える頃には、皆すっかり試食を食べ終わっていた。
「確かに素朴な味だけど、素材の味を感じるし、勉強になるね…。」「箱が紙飛行機になるのも面白い発想だね。」と、口々に感想を口にする参加者を前に、雅彦は大きな充実感を覚えた。
唯は試食を終え、ハッカソンの為何度となく雅彦に連絡した日々を思い出していた。
夜に電話をかけた時、駅のベンチで眠ってしまっていたという事もよくあった。気になるものを足で追い、あちこちに頭を下げ、酷暑の中、歩いて走って疲れ切って、それでも、今こうして、その情熱は実を結び、我々の口に入った。どれほどの努力の元にこれが生まれたのかと思うと、唯は目頭が熱くなった。
ハッカソンはそれからも続き、約一か月半後の12月中旬に完成し運用を開始した。
最終的な内容である。
トップページに最初に真奈が発足会で描いた、平和の駅の絵である。淡いピンクで優しい出迎えだ。
エントリーをクリックすると、折り鶴のデジタル画が羽ばたき、エントリーポイントが増える。
その後現れるのが、新聞社の誰かが毎日投稿するコラムである。平和をテーマにしたものだ。
そしてその日の時事ニュース。天気予報と気温。
コンテンツは、
成長する木の世界地図(反核の電子署名をすると魔法のステッキが動き、木が躍動する)
アバターでの参加型万国博覧会
平和がテーマの絵本の公募は毎月月間賞を決める
オンラインツアー
戦時中の食を再現した通販
ストックシェアリングの相談窓口
子供の為の学びのコーナー
体験者の体験の、残っている肉声を、データ化しデジタル図書館の様にし、海外の方も聞いてもらえるように翻訳処理をした
オンラインイベントは大人数で拡張熟議が出来る様に工夫されている。
松の木のVRをワンクリックで見られるようにしてある
体験者団体のホームページへ飛べるようにしてある
スマートフォン版も用意された
名は『新聞社主催・デジタル平和プラットフォーム 反核の木』
すっかり寒くなった師走の朝、雅彦は目を擦りながら始発電車を待っていた。息が白く、南の大地もこんなに寒くなるのかと震える。
今日はいよいよデジタル平和プラットフォームがスタートする日である。
駅のベンチに腰を掛け、缶コーヒーを一口飲んで側に置く。
スマートフォンを開き、ページを開くと、今まで皆で取り組んだ情熱の全てが、様々な色と迫力を持って、箱から飛び出してくるように弾けた。雅彦の予想以上に、予想を遥かに超えて素晴らしくて、誰もいない駅のホームでむせび泣いた。
一刻、時が流れ、落ち着いたところでふと、唯の書いた、初刊行、最初の『新聞記者の今日のコラム』が目に入った。
『今日、沢山の人の想いが詰まった、デジタル平和プラットフォーム『反核の木』がこけら落としを迎えた。このプラットフォームを立ち上げたいと、弊社に彼が相談に来てくれてから半年。皆の力が形となり、素晴らしい場所が生まれた。そしてこの場所は今スタートを切っただけに過ぎず、これからも皆の協力の元に成長し、広がっていくであろう。皆を繋げて、打開案を探し、平和の為にある場所。ずっと大切にされていくものだと信じている。
彼が弊社と僅かながらでも縁を繋ごうと、必死で弊社の載せている公募に、沢山の投稿を寄せてくれていた梅雨の頃をよく覚えている。中でも印象に残っているものを紹介したい。
ー赤米の稲穂が揺れて我鼓舞すー
その稲穂の周りに、蝶は羽ばたいているだろうか?
大丈夫。きっと、バタフライエフェクトは、起こる。




