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井上雅彦とアイデアソン 2025年6月25日AM9:55公民館多目的室

 井上雅彦は、自身の通う大学に程近い寮に暮らしていた。アルバイト先の居酒屋も近いので、気が付くと数週間この町を出ていない、ということがよくあった。雅彦にとっては大学生活も既に三年目で、大学や寮の周辺は庭の様なものになっていた。当然近くにある公民館の存在も熟知しており、広報から、市民なら多目的室が借りられるという情報も得ていた。

 3日前に予約して、10時から正午までの2時間である。

 大学は高台の上にあるが、公民館は坂を下りた、大通りに面した場所にあった。二階の多目的室は50人程が会議を行えるように、長机とパイプ椅子が列を連ねている。正面にホワイトボードがあって、その脇に立って発表や司会が出来るように、マイクスタンドが付いた木製の台がある。

 大通りに面した南側の腰窓にはレースのカーテンがかけられていて、通りの向かい側にある地方銀行の建物と、行き交う人々が透けて見える。交通量も多いので、エンジン音やクラクションも響くのだが、慣れている雅彦にとっては全く気にならない環境音だった。

 故に、今目の前にある新聞の数独パズルも、集中して取り組めている。

 雅彦は先週から、経済紙と地元紙、全国紙と3つの新聞社の朝刊を毎朝コンビニエンスストアで購入している。時間を見つけては熟読し、パズルや俳句、意見などを、片っ端から投稿するという、新聞と歩むような毎日を過ごしていた。

 一番前の席でパズルを解いていると、ドアをノックする音がした。


 「雅彦!来てやったぞ!なんだって?起業したって?」

 相撲部で一つ上の先輩の、真下恭介(ましたきょうすけ)である。雅彦と同じようにスポーツ刈りで、体格が良い。黒いTシャツに粗い筆書きの白文字で、『元気しかない』と書かれていて思わず雅彦は吹き出してしまった。

 『はい。』と答える間もなく、続けざまに十数人がスマートフォンを片手に入室してくる。雅彦は初対面の人物ばかりだ。その後も年齢も性別も様々な人々が集まり、計33人、雅彦と合わせ34人となる。

 雅彦は出席者に名前と年齢、職業を記入してもらい、『入り口で資料をお取りになられて、まずはお好きな席へのご着席を。』とアナウンスした。中にはご高齢とみられる紳士、昭和を思わせる、粋な扇子を持っているご婦人もいた。

 最後にゼミの友人、杉浦雫と、雅彦の妹の香奈枝(かなえ)である。二人は雅彦の知らない内に友人関係になっているようだった。親しそうに話しながら入室してくるが、他の出席者は知り合い同士ではないので場は静寂である。その雰囲気に気付き二人は会話を止め、他の出席者に会釈した。香奈枝はこの春から事務系の専門学生で、女子寮に入っている。身長が低く華奢なので、体格の良い雅彦の隣に立つとその差が目立ち、『ギャップ兄妹』と呼ばれていた。黒髪を後ろで結い、落ち着いている雰囲気は雫と通じる。気が合うのだろうなぁと雅彦は推測した。

 計36人となったところで、会員制コミュニティサイトで事前告知した、

 『被爆体験を伝えるVRを作る会』のスタートである。

ご年配の方々は正平が声をかけた人達のようだ。体験を風化させず、受け継いでいく為の協力に、名乗りを上げてくれた人々だった。平日の午前中にも関わらず、30代、40代の会社員と見受けられるスーツの人達もいる。皆、目が穏やかであるのに熱意を帯びていて、頼もしいと雅彦は思った。


 『えー、初めまして、私はこの会の主催をしました井上雅彦です。隣が妹の井上香奈枝、僕の…最近個人事業主として起業したのですが、事務などを手伝ってもらっています。その隣が杉浦雫さん、僕のゼミの友人で、『デジタル平和プラットフォーム』発足の会、のメンバーです。』

 雅彦、香奈枝、雫がホワイトボードの前に立ち挨拶すると、参加者達は軽く会釈する。

 『お手元にある資料を見ながら、僕の事業の内容や、発足の会の詳細などをお話していきたいと思いますが、今回皆様にお忙しいところ集まって頂いた一番の目的は、事前告知の通り、原爆が落ちた日の広島、長崎の、きのこ雲の下、を追体験出来るバーチャルリアリティーの画像を作る事です。

 それで、恥ずかしながら僕は、あの日の広島、長崎の状況を、映像に出来る程分かっていないのです。それで皆さまのお力をお借りしたくて、『アイデアソン』を開くことにしました。

 『アイデアソン』に対し『ハッカソン』という言葉があります。ハッカソンは集まった中からチームを組んで、テーマに沿ったソフトウェア開発やプログラミングをして、作品を競い合って作るイベントのことです。今回はその前段階の、アイデア、のようなイメージになります。パソコンは使わず、絵コンテやシナリオで、バーチャルリアリティーのストーリーをチームごとに作り、皆で一位を決めます。』

 参加者達は頷きながらパステル調ピンクのリーフレットを見遣る。

 『一位となったチームのストーリーはバーチャルリアリティーで再現しますが、一位のメンバーにはその製作は見届けて頂きたいと思いますのと、この製作は何とか人づてでお願いできるところを探す…外注になります。製作費はWEB上で、このプロジェクトに賛同して頂ける方に寄付を募る形で、と思っています。不成立の場合は僕が責任を持ちます。

 返礼は、一位になったチームの皆さまもそうですが、作品の最後に製作者、寄付をしてくれた方として『名前』が入ることです。エンドクレジットに『名前』を入れさせて頂く…。

 えー、、この名前を入れさせて頂く案は、私達は発足の会チームAなのですが、Bチームのリーダー六角先生の最近の呟きが由来で…。』と微笑しながら続ける。

 『この大きなプロジェクトは『名前』が大事で、キーワード…鍵のような存在になるかな、って。そこから雫さんの案で、『名前』を入れさせて頂く事となりました。六角先生のチーム…、向こうは向こうで、途方もなく大きな大海を漕ぎ出せるかもしれないアイデアを見つけたようなことを仰ってましたが…。そのうち明らかになっていくのかなと思います。

 じゃあまずは、職業やご年齢がなるべく分かれる様にチーム分けしていきます、香奈枝お願い。』

 と、参加者名簿を渡し、6人から7人のチームが5つ出来る様に香奈枝がチーム分けしていく。テーブルをくっつけたり離したりしてチームごとに話し合いやすく設置し、絵コンテやシナリオが描きやすいように文房具を配った。

 

 「確かに、情報発信に対して匿名が多い時代に、名前をきちんと記すことは責任も取るってことだから信頼に繋がるよなぁ…。」と、恭介が正平を思い浮かべているのか目線を天井に遣って呟いた。

 5グループに分かれて、恭介は1になったので一番マイクスタンド台に近い位置にいる。皆が挨拶をそれぞれ交わし、談笑し始める間、しばし雅彦は恭介に近況を語る事にした。

 

 「平和プラットフォームを作る会発足の後、僕や雫さんは主に『デジタル平和プラットフォームの立ち上げ』と『追体験できるVR』を担当する、Aチームになって、

 六角先生と千弦は、主に核兵器を廃絶、反核の思い、標榜を掲げるBチームに分かれたんです。

 あの時ゼミ生だけで8人参加に手を挙げて、六角先生とで全体9人で、Aチーム6人、Bチーム3人な感じですね、今のところ…。それで、大学は教育機関なのだし、ただの有志として『発足の会』とすることにして…で、個人で動くより屋号で動く方が動きやすいかなと思って、かねてより行動に移したいと思っていた個人事業主を始めたわけです、青色申告出しまして。」

 雅彦は分かりやすいようにと、ホワイトボードに描き出していく。


     <平和プラットフォーム発足の会>

   Aチーム                Bチーム   

  リーダー井上             リーダー六角先生


☆VR制作(アイデアソンと外注・      ☆核兵器廃絶目標

プロジェクトにWEB上で寄付を募る)        

☆新聞社に平和プラットフォームの主体に

なってもらうための交渉

☆平和プラットフォームを新聞社と

共に作成ハッカソン  

☆戦争体験者団体にプラットフォームに

参加してもらえるように交渉

☆みんなへ告知、参加を募る

☆ストックシェアリングで慰霊碑維持の為の講習会などを定例で


 「おお!?なんか行数が違うなぁ!」と恭介が苦笑いする。

 「いや、向こうの目標は…大き過ぎて僕にもよく何をやり始めたのか分からないんですけど、大丈夫だから待っててって千弦が。六角先生曰く、先生達は高い柳の枝に飛びつこうとしている蛙で?、僕らAチームは蛙が柳に届くように押し上げてあげる噴水みたいな?存在だって。

 直線と、その直線を回る螺旋の様に、螺旋が直線を守りながら、同時に上に向かって進行していく、自然界の好む『2』だって言ってました。」

 と、雅彦が螺旋をイメージして右手の人差し指をくるくる回す。

 「うーん、文学的だなぁ…流石です。」と恭介が溜息をつく。

 「僕の事業としては、コーディネーターに近い感じで、コンサルタントではないんですけど、繋いでいく感じですかね…。こう、フードコーディネーターが例だと分かりやすいかなぁ?あ、事業の屋号は『さくらわ』って言います。綺麗な桜のイメージと、『わ』は、私のわ、とか、輪、和、丸い、和む感じを足すような…。」と、またホワイトボードに書き込んでいく。


さくらわーーーーーーーー→<主体・新聞社>

(コーディネーター)  →☆動画、画像

            →☆ストックシェアリング

            →☆告知

            →☆タイアップ

            →☆スポンサー


 「新聞社が飲食店だとしたら、店が主役で、僕は黒子みたいなもので、動画や画像は食材みたいなもので、店が良い食材と出会えるように仲介したりするようなイメージで、ストックシェアリングは、使われていない小学校などを住民が活動できるようにする取り組みなのですが、店と内装業者が繋がる様に、慰霊碑維持の講習会の会場に出来る様に交渉するような役どころです。

 サンプルは持ってるけど在庫は持ってない、人と人、会社と繋いでいくような事業です。」

 『伝わったかな?』と自信がなさそうに首を傾げる雅彦に、恭介は『大丈夫、分かる』と頷く。

 「現場監督みたいな感じだな?主役は施主で、現場監督は建築士や、鳶職さん、内装業者、電気工さんや水道屋さんを仲介して見守っていく感じだ!」と、少し語調を強めて言う。

 「そうそう、そんな感じです。隙間家具みたいな感じで、調整役ですかね?で、クライアントになって欲しい新聞社は、僕らがメディアを発信する会社として最も信頼しているから、なので、そこは新聞社さんにどうしてもなって欲しくて、で、僕の名前を僅かながらでも覚えてもらう為に、こうして下心たっぷりに、片っ端から新聞上の公募に毎日送っている訳なんです。」と、先ほど解いていた数独パズルの紙面を見せた。

 「へぇ。そりゃ地道な努力だなぁ。」と恭介が感心する。

 「なるべく記者さんの名がある時は覚える様にしています。あの文章は〇〇さん、みたいな。で、流れとしては、すぐには出来ないかもしれないけど、まずこのVRを作り、オンライン動画共有サービスにアップします。で、それを見てもらいながら、新聞社さんにお願いして、平和プラットフォームの主体になって欲しい旨をなんとか、なんとか伝えて、結び付けたい。それが『さくらわ』の初仕事ですね…仕事になるといいなぁ…。」普段、自信に満ちている雅彦にそぐわない発言に、恭介は彼の背中をポンと軽く叩き勇気付けた。

 「大丈夫!さっき、成立しなかったら自分が責任を取るって、淡々と話したお前は凄くカッコ良かったぞ?」

 恭介の言葉に雅彦がはにかむと、周りから小さな拍手が起こった。

 「あ、みなさんいつの間にか静粛で…。」と雅彦が慌てると、

 「平和プラットフォームのこと、あなたの事業の事、今のでよく分かりましたよ?もう説明しなくても大丈夫です。」と、扇子のご婦人がマスクを取って微笑んだ。雅彦は心に小さな自信の火が灯るのを感じた。


 「じゃあ、アイデアソン、始めていきましょう。チームごとにアイデアを出して、ストーリーを作り、30分後に発表です。作品はだいたい1分の尺で短いものということを前提にして下さい。」

 もう十分打ち解けたそれぞれのチームは、絵をかいたり身振り手振りを加えながら構想を練っていく。雅彦は室内をうろうろしながら、全員を気配り話しかけていく。

 ご年配の方も戦後生まれか終戦時には幼児の人ばかりで、体験談は持っていないとのことだったが、昭和は令和より戦争を教えてくれる資料が身近にあり、知り合いが話してくれた体験談も、ケロイドなどの傷も、記憶にあるということだった。

 その記憶を頼りに絵コンテを起こしていく。絵が得意な人がコマ割りした紙に、あの日の朝を描いていく様は、雅彦の心に、情熱的に響いた。


 「はい、終了です、皆さまお疲れ様です!」と、香奈枝が鳴り響くストップウォッチを止めて叫んだ。

 「じゃあ15分休憩後、チーム内で一人代表を決めてもらって発表していきましょう。」と、雅彦が準備しておいた緑茶を配る。粗熱の取れた緑茶に、給湯室に用意してあった氷を持って来てグラスに入れると、涼しげなカランという音と、清涼なお茶の香りが漂った。

 

 発表の場面は、制作時に外注先に見てもらうため映像に残すことにした。雫がスマートフォンを片手に『どうぞ!』と合図をする。ホワイトボードに絵コンテを貼り、代表者がマイクスタンドに立って、コマごとに説明していく。

 1グループから6グループまでの発表を見ていて、雅彦は自分の視点が妙に俯瞰的であることに気付いた。

 ストーリーは6グループとも、主格の違いはあれど、だいたい同じなのだ。

 『冒頭、戦時下の日常風景が流れる。そこへ原爆が落ちる。町は姿を変え、廃墟と化し、人々が苦しんでいる』である。

 主人公は少女、母、少年、鳥、木、青年で分かれたが、あの日の広島、長崎を想う時、出席者に浮かぶ場面は、共通しているのである。

 では違うことは何か?と、雅彦は自身に問いてみる。

 それは、『表し方』の違いだ、と気付く。

 地獄のような場面を、人の死を、呻きを、リアルに表すかどうか。

 見た人の心の傷とならないように、ぼかしたり、実写ではなくアニメーションで伝える、音だけで伝えるなど、間接的な表現を好むチームと、

 写実的にありのままに、予算的に実写は難しくても、なるべく人が演じリアルを追求するような、直接的な表現を好むチームで、まず大きく分かれているのである。

 発足の会の時にも、後の討論となっていたところだった。正平が会の終了間際の、あの時、

 『きちんと伝えなければいけないんだ』と、脂汗をにじませながら呟いていたのを思い出す。

 

 全チームの発表が終わったところで、全員でまず話し合い、それからの採決で一位を決める事にする。

 「皆さん、発表、ありがとうございました。発足の会でも上がっていた声なのですが、VRを見て、それが見た人の心の傷になってしまわないか、どう表現するべきなのか、それが今、ここで話し合われるべき事なのかなと僕は発表を通して思いました。意見のある方は挙手して頂けますか?」と雅彦がマイクを通してアナウンスすると、40代の会社員男性が右手を挙げた。営業職で、清潔感のあるグレーのスーツを着ている。マイクを通さなくてもよく通る声量の持ち主だ。

 「僕が子供の頃…40年ほど前には、戦争や被爆に関する資料は、学校の図書館や公民館に当たり前にありましたが、今はありません。配慮が必要、と判断されているからだと思います。肌が露出していたり、生々しい傷を見せることを、自分は小学生の親なのですが…大丈夫かな?と思う気持ちがあります。少し柔らかく表現することで、見てくれる人の幅が広がるような気がします。」と、野太い声でチームのメンバーを見渡しながら話した。皆、頷いている。

 次に扇子の持ち主のご婦人である。雅彦はコードレスマイクをご婦人に渡す。佐藤菊(さとうきく)さんは、出席者名簿では、77歳で主婦という記述だった。グレーヘアーをお団子に結い、漆塗りの様な赤のシックなかんざしを挿して、黒のジレ、白いブラウスと、コントラストが美しい。お洒落で洗練されたスタイルだと雅彦は思った。

 「私はね、何が良くて何がダメなのかは、その時代時代が左右すると思うのよ。終戦後、それまで良いとされたことが180度変わってダメとなり、教科書は黒塗りを指示された。彼が言うように、昭和では閲覧して当たり前だった被爆の資料も、令和の今は違っている。きっと、時代だけじゃなく国にもよるわ。社会主義、民主主義では違ってくる。

 私は今、作ろうとしている動画は、きっと後世まで残ると信じているの。その時の時代が、何を良しとするのかは明確には分からない。未来の事だもの。だからこそ、『真実』を『ありのままに』、『誠実に』が大事かなと思ってね。その『真実』を時代がどう受け止めるかは分からない。でも、本当にあったこと、史実はただそこにある。『真理』のように。だから、写実的を支持するわ、私は。」

 扇子を握りしめて語る菊の姿に、雅彦は無心に打たれていた。哲学の様な、それでいて教会の鐘のような、心の内側に響く文章だった。

 次に、83歳の男性、川本光蔵(かわもとこうぞう)さん、マイクのオンとオフの切り替えを周りに手伝ってもらいながら、『農業を引退して5年ほど経った』という自己紹介を交えながら話を始める。

 「僕もね、きちんと描くべきだと思う。目玉が飛び出ていたり、骨が出ていたり、顔が焼けただれていたり、するんだよ。それでも、核兵器を使えばこうなるんだと、あなたもあなたの大事な人もこうなるかもしれないんだと、きちんと知ってもらってこそ、絶対にそうなってはいけない、核兵器をなくそう、と、反核に繋がっていくと思う。

 だが、子供の視聴に関してはやはり注意が必要だ。親がきちんと判断してから見せることだ。それは、その家庭ごとの判断でいいんじゃないだろうか…?

 終戦後、親がどちらかでも生き残っているかどうかが、子供の明暗を分けたと聞いている。親が生きていればなんとかなったが、両親とも亡くなっている場合は厳しかったそうだ。生命の維持や食糧難だけでなく、戦争孤児としての差別もあったそうだ。うーん、僕が言いたいのは、それほど、親と子には繋がりがあって、責任があって、だからこそ判断は親がするもの、ということかな。」と話を終え、マイクを置くと、会場は他に挙手をする者がなく、静寂に包まれた。

 雅彦がその静寂を解こうとした時、マイクスタンドに立つ雅彦の隣に立つ香奈枝が挙手をした。香奈枝はアイデアソンに参加していない、進行補助役だった。

 「あの、5グループの方々の『松の木の視点』のストーリーですが、松の木であれば、きのこ雲の下で起きていた事を写実的に再現しても、視点は木という人間を超えているものなので、一歩引いている感じで、感情のリンクは少し緩やかにして、史実はしっかり伝えられるのではないかと、私は、思いました、すみません、偉そうに…何目線なんだろ私…。」

 香奈枝がしどろもどろに話す頭頂部を見つめて、雅彦はプルラリティを思い出していた。

 反対意見に寄るのではなく、接合点を探して総意にしていく。

 18歳の妹の控えめな見解は、この場にいるみんなの接合点なんじゃないだろうか、と雅彦は思った。


 「僕は、被爆した方の、『悔しい』気持ちを込めたいと、実は今朝まで思ってました。でも、うん。その悔しさを、無言の画にするんだ。それは静かに、今、核保有国が在り排外主義的な色の濃い世界に、訴えかけてくれるものがあると思う。」雅彦はレースのカーテンの向こうに広がる空を見て続ける。

 「今の、核保有国があり、人に向けて撃たれたら地球が終わってしまう可能性があるこの世界を、原爆で亡くなった方々は『悔しい』と思うんじゃないだろうか…?」雅彦は自分に問う様にそう言いながら思考を巡らせる。

 我々の祖先の痛みを、次を防ぐ為に表現する。悔しさを受け止めて枯れていった老松は、次を防ぐ為の力をくれるだろう。

 雅彦がそう考えている時、皆が「5がいい」「松の木がいい」と口々に呟き始めた。

 採決を取らずとも採択された瞬間だった。



 <きのこ雲の下・あの日そこにあった松の木 シナリオ> ※最後のナレーション以外台詞はなし

 

 蝉の大合唱が響く。 

 松の木の前で子供達が、カブトムシ同士で相撲をとっている。楽しそうだ。

 閃光。

 爆発音。

 子供達は吹き飛ばされ、周りの家屋は倒壊し、火を上げる。

 目が飛び出た人、衣服がぼろぼろになり、焼けただれた肌を痛い痛いと叫びながら這いずり回る人々。

髪はちりじりになり、欠損した四肢からは骨が見えて、地獄のようである。

 松の木の下に、赤子を抱えた母親が座り込む。

 赤子はもう息をしていないのだが、母乳をあげようと、必死で赤子の口元に胸を近づける。その姿も、全身に火傷を負い、虫の息である。

 松の木は火の手から親子を守ろうと、枝を盾のように伸ばす。

 幹から火の手が枝にも伝わり燃え尽きて黒い塊となっていく。

 

 暗転


 (ナレーション)オルゴール音と共に

 

 あなたはコロナ禍にどうしていましたか?

 今を生きる人々の多くは、その時の不安や絶望、『日常が続くことが当たり前ではない』ことを知っています。

 もしもう一度核のボタンが人に対して押されたら、あなたが核保有国の人であってもなくても、

 大切な人、家族、あなた自身も、被爆者となり得るのです。

 

 ー反核を。ー

 

 

 5チームの作った絵コンテをシナリオにも起こして、アイデアソンは閉幕の時を迎えた。


 「ありがとう雅彦、勉強になったわ。絶対俺の名も刻んでほしいから、寄付もちゃんとするぞ?でもさ、集まり過ぎて名前が一杯になっちゃったら書ききれないんじゃない?」と恭介が笑う。

 「いえ、来て頂いてほんと感謝です!大丈夫ですよ、寄付してくれた人の名は、制作に間に合う限り必ず入れます。どんなに沢山になろうとも…、いやむしろ、沢山の方がいい。あの時の、第五福竜丸の署名のように、エンドクレジットが反核の署名のように、支えてくれる力になると思います。」雅彦の言葉に恭介が頷いた。

 本編よりエンドクレジットの方が長い。

 世界に一つ位、そんな作品があってもいい。


 きっとそれは温かい噴水のように、六角先生達を助け、届かない柳の枝に飛び移る、押し上げる力となるだろう。

 雅彦は、絵コンテとシナリオを、そっと抱きしめた。

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