六角正平と学生たち 引き続きカンファレンスルームB AM 9:25
正平は海を見たことがない人に海を説明する文章を、30程練ったが、学生たち(11人)は起床に苦労する月曜日の一限の、持ち時間15分である。その条件でも繰り出されるアイデアの数々に、正平は感嘆の呼吸を隠した。
入口に一番近い席に座る正平から時計回りに、回答を聞いていく。
まず最初は、有田千弦君。長身でやせ型の体形に、2サイズは上の白い襟付きのシャツと黒いズボンを履いている。細い黒縁の眼鏡で黒髪のパーマだ。体型も今日の服装も、正平に似ているので、並んで座っているのを見た他の学生が『お揃いみたい』と微笑んでいた。
千弦は寡黙で真面目な頭脳明晰タイプだと正平は思っていた。だが、今日の解答は今までの印象にそぐわない情熱で、ゼミ生と正平の心に響いた。
「海は流動する壁だ。多くを拒む。押し流し押し戻し、明日など来ないのだという素振りで去っていく壁だ。でもその向こうには、自分の中にはない美しい不動の真理と未来があって、多くの者がそれでも手を伸ばそうともがいていく。」
これは、中世の海を見たことがない冒険家に、砂漠の宿で会った僕、という設定である。
一瞬にして物語の世界に引き込む力があると、正平は褒めた。褒められて千弦は嬉しそうにはにかむ。その笑顔も春からの2か月で見たことがなかったので、正平は嬉しかった。
二人目は鈴木真奈さん。白の長袖Tシャツにブルージンズで、明るめの茶色い長い髪が揺れる。時々講義を聞いていない素振りもあるが、出席率は100%の安心がある。
「あなたは川と池を知っています。湖は知らない。海も知らない。海は池を丸と考えるなら扇型に広がる水の世界です。川や池と違い海水は塩辛い。川は上から下への水の運動で、池は平面で静寂であるけれど、海は行っては返る往復の重なりがあります。これを波といいます。月の引力で海は満潮や干潮などの不思議な動きをします。美味しい魚が沢山泳いでいます。」
最後の一行で皆が笑う。これも面白い、と正平は微笑んだ。対象は現代の日本で、内陸部に住んでいる小学生だそうだ(食いしん坊の)。海を捉える視点が衛星並みに俯瞰だ。池や川を知っている前提にして、それを軸に比較論を出しているので分かりやすい。最後の一行で相手の心を捉える魅力も持っている。秀逸である。
三人目は野上鈴菜さん。午後就職活動だそうで、紺のパンツスーツを着ている。黒のおかっぱ頭であったが、先週は茶色かったように思う。どちらも似合う、と娘の就職活動時を彼女に重ね、懐かしく思い出していた。鏡と櫛を手離さない、身だしなみに気を遣う人である。
「空を見て。空と地が逆転して、上に大地があるとする。そうすると下は空になるでしょう?それで、その空は空気じゃなく水で出来ているの。その水はしょっぱい。空は手が届かないほど高いから、空が下ならどんどん落ち続けるでしょう?でも、空気じゃなく水だから、その速度はゆっくりだし、水じゃなくて塩水だから、それもまたそのゆっくりを助けるの。船という箱に乗れば、ずっと浮いていられるんだよ。空を鳥が飛ぶように、海の中は魚が泳いでいる。空に捕獲し捕獲される世界があるように、海の中にも命のやり取りがある。イメージが出来たら最後に、上に大地があることにしたその大地を、普通の空に転換してみよう。そうそう、上が空気の青空で、下は水の青空よ。完成しました。」
まるで絵本の様な楽しい文章だと正平は感心した。特に、海を知らない者にとって空からの連想は、そのスケールの大きさをイメージしやすい。食物連鎖の一文にも、この世界の真理を匂わせる技術がある。
対象は、飼っている猫だそうだ。相手が人間ではない、これも面白いと正平は思った。
四人目は井上雅彦くん。相撲部である。筋肉質でがっちりとした体形の長身で、6ミリ位のスポーツ刈りだ。人懐っこい笑顔で声量があり、ゼミのムードメーカーのような存在になりつつある。前日に試合があっても出席する真面目さにも、正平は感心していた。
「砂浜から海へと入っていく。裸足で、一歩一歩踏みしめると、最初は足の指の間に、海水と共に砂が入って来るだけだったのに、段々、揺れ動く砂浜を踏みしめるような感覚になるんだ。足の裏が、生きて動いている大地を感じる。動物、植物のみならず、海の様な環境も、物質のレベルではこんな風に、一時たりとも止まる事なく動き、成長し衰退して無常である。僕らはその中に同じような諸行無常の存在として、溶け込んでいるんだろう。僕の体重でくぼみ、ずん、ずん、と、僕の足を包み込む海底の大地は、人間が地球の一部であることを、この世界のどこよりも教えてくれる。」
これは対象が本当にテレビでしか海を見たことがない、内陸部に住む彼の母親であり、故に手紙の様な温和な印象を受ける。自身の見聞を相手に寄り添う形に変えていく。母子の関係だからこそ、絆を感じる。物理学にある真理も垣間見える。繊細且つダイナミックな良い作品である。
続く生徒の中には、風呂を大きくイメージさせるものや、海にまつわる曲を流しながら波音を声真似するという面白い案もあった。半数程が、VRゴーグルをつけてシーソーに横たわりバタバタしてみるような、バーチャルリアリティーを提案したのは驚きであった。流石に、生まれた時からITが側にある世代である。そういえば、シーソーのような物に横たわりハンドルを掴んでVRゴーグルを着け、空を飛ぶようなゲームをする姿を、テレビで見たことがある。それの海のバージョンだ。なるほど、分かりやすい。対象が誰であっても、高い確率で海を伝えられる。いわば、ユニバーサルデザインの説明法であると正平は思った。
設問2として、海の説明をしてみた感想を聞いてみる。これは挙手の順に口頭で答えてもらった。
俯瞰で海を見た鈴木真奈さん、
「対象を想像して設定して、海をその人に分かる様に説明することって、まず海ってどんな感じだったかな?って、色んな角度から『海の姿』を捉えなきゃいけないし、対象を海を知っている私、とは違う設定にするのだから、海を知らない小学生の気持ちとか目線を考えなくちゃいけなくて、とても難しかったです。」皆が頷く。
中世の冒険家を設定した有田千弦くん、
「僕の場合は時代まで遡ってしまったので、余計に想像に力が要りました。きっと現代にある先入観も全部取っ払わないと伝わらないと思って、そうすると言えることも少なくなって、概念のようなものになってしまいました。ただ、こう…うまく言えないんですけど、分かってもらおうと努力しようとすると、自然にその人の人物像とか価値観、経験や思考を、推し量り、重んじるというか、中世の人、じゃなくなって、途中から『カタールさん』って名付けて顔も思い浮かべてました。」
爆笑が起こる。正平も千弦のユニークさに顔が緩んだ。
お母さんへの手紙の様に書いてくれた井上雅彦くん、
「海に入ったり触れたり直接見たことがない母に、どれだけリアルに海を伝えられるかを考えた時に、目を閉じた時感じる、足の裏からの感触とかかなぁと思って書き始めました。そうして、なんだか、視線を母と同化しようと試みた時に、逆に、ああ、母と僕って、違う人間なんだなぁと感じたというか。体重の軽い母が海底の砂を踏みしめても、そんなにくぼまないかな、とか、うん、体格の差を意識したような気がします。ちょっと皮膚炎がある人なので、大丈夫かなとかも。」
雅彦の母を想う気持ちに、正平も共感する。今からこういう行動、体験をするけど大丈夫かな?その温かい配慮は、その人がする行動や体験が良い結果になるかどうかに繋がるだろう。
「みんな、とてもいいですね。感心してます。皆の作品と感想を聞いて、この、海を見たことがない、対象の人を設定して、その人が海を想像できるように説明するということは、色んなことに、無限に繋がっていると思いました。まず、海の真理。多角的に色々な面で捉えることが出来る。音楽にも哲学にも物理学にも、様々な学問に通じる。海ってどんなものだっただろう?と、知ろうとする。『知』です。そして相手に分かって欲しいと願うことで、相手を重んじ、まず海を知っている自分とは違う人なのだと、違いを認識するところから始まる。どういう国のどんな時代の人で、どんな家族構成で、何歳だろう?と、段々、漠然と『人』というより『○○さん』と、相手の一人称を意識できる。皮膚炎とか、水が怖いのでは?など、自分の身体とは違う身体を持つ人への配慮へ階段を登っていけます。『心』です。
そして半数近くの皆さんが答えて下さったように、海を、多くの人に正確に伝えられる手段はバーチャルリアリティーだと僕も今、そう思います。例えば、雅彦くんの文章に沿ったイメージ映像を用意して、ゴーグルをかけてもらい、映像と共に文章を音読したら最強でしょうね、きっとお母さんに伝わる。分かって欲しい、伝えたい、その、「私が知っている『知』を相手を想う『心』で大きく膨らませると、このバーチャルリアリティーのようなアイデアが出る。『進化』だと思います。説明することで、海を知りたい学びたいが発生する。分かってもらうために相手を知ろうとする。相手が外国の方なら翻訳機を持つ、これも手段ですね。相手と自分の違いを認識し、他者の目線で考え思い遣る、問題や壁を超えるアイデアを捻り出していける。
この設問の意図、『相手の気持ちになって考えてみる』がきちんと実行され、そこから多元的に広がっていきましたね…。予想を遥かに超えて…。ありがとう、みんな。」
教授の『ありがとう』に、皆、照れ笑いする。
「この講義のタイトルは『戦争体験者の減少により風化してしまう第二次世界大戦と平和を考える』そしてその為に『戦争に繋がるかもしれない偏見や差別をどうなくしていくか』です。次は『戦争と差別』について皆の意見を聞かせて下さい。
先ほどの海の設問では、「相手」を知ることが出来た。しかし、『戦争と差別』における差別では、差別をなくす為に偏見をなくす、その偏見をなくす行為に必要な、相手を知るということが出来ないということです。家族構成も年も、考え方も、心の傷も病歴も、何も知ることが出来ない。だから、『自分と同じ、一人称で世界を見ている人間である、○○さんという感覚』が沸いてこない、と僕は思う。ではその相手を知ることを妨げていたものは、第二次世界大戦では何だったのだろう?その妨げていたもの、その歴史を考える事が、差別をなくし、次の戦争が始まってしまうことを防ぐ道標となるかもしれません。
設問の3は、皆さんが知っている『第二次世界大戦下の差別』は何か?です。」
正平はホワイトボードに皆の意見を書き出していく。
・植民地
・捕虜
・自決の強要
・アウシュヴィッツ収容所
・奴隷のように人を扱ったこと
・人種差別
・戦争孤児
・被爆者が結婚や就職が不利になった
「みんなの意見を一面にして見ると、世界で、とても長い歴史の中であった差別、を感じますね…。」と、雅彦が腕を組む。
「…うん。日本も加害国であり、被害国であるわけですし、この長い歴史に学んでいかないといけないな…。」と、正平は資料に目を落とす。
人はどんな人も生まれながらに上下などなく、宇宙から見たら、全ての人が、同じ『人間』であり、地球人だ、と正平は思う。
「相手を知らないことが差別に繋がる…こうであると決めつけて、都合よく捉える。そうである方が楽なのかも。考えないようにするために。差別することを正当化して罪悪感から逃れる。どの国のどんな子供達も同じ命なのに、あまりにも偏っていると私は思うので…差別をなくしていけたら、どの国の子供も同じように家があって食べる物がある安全な人生が送れるのかな…。」鈴菜が苦しそうに想いを馳せる。
そう、大事なのは歴史を学び、『今のこの世界』を想い平和に舵を切ることにある、と正平も思う。
「知ろうとしない事、も知る事の妨害の一つですね。戦時下で知ることを妨げたもので、他には何がありますか?」
正平の問いに数名が虚偽のプロパガンダを挙げた。相手国の軍人が悪者であるような映像や広告が打たれ、それを信じたという歴史。また、言論の自由が妨害され、音楽も芸術も封じ込められた。真実は隠され、虚偽が大手を振る。こうであると思い込んでしまう。
「どの国も、国として自給自足が出来ている事が大事だ。今のこの世界も、満たされないから他から取ろうとする。それが戦争になる。本来言葉は、人間に与えられた宝であるはずなのに、曲解して持論を通してしまう。」千弦がホワイトボードを見つめながら考え込む。
「千弦くんの考えは大事ですね。資源や食料などもそうですが、人を避けたり言葉で攻撃する行為も、心が満たされない人のはけ口として外に向けられたベクトルであると僕は思うのです。『満たされない』を外へ求める。ならば満たされる状況を全員が、自国に、自分自身に、内側に求めていくしかない。心も体も自給自足にすること、かな。皆、意見をありがとう。」
皆が頷き、全員でまとめていく。
・『戦争に繋がるかもしれない偏見や差別をどうなくしていくか』
ちゃんとした受け皿である『私』(または国)と、
信頼できる団体が発信した『正しいメディア』
それをきちんと精査出来る『メディアリテラシー』
これが、大切な道筋である、とホワイトボードに12人の総意として表された。
「ちゃんとした国や私に、全世界がなるには、ですね…全世界がその国での自給自足は難しい。」千弦は唸る。
「確かに、貿易が戦争を妨げるのは事実で、輸出入は良いことですが、バランスですね。ろくろの上にある皿の様に、うわんうわんと回りながらもバランスの取れている皿のような。」と正平が言うと、
「うわんうわんしてるのにちゃんとした受け皿って、哲学的ですね。」と真奈が宙を目で追う。想像しているのだろう。
正平は微笑みながら頷いた。
「全世界が自給自足の国となるようにお互いに協力していけるといいですね。我々は遥か彼方から見たら、全員が地球上にいる、地球人に違いないでしょうから。休憩を取ってから次の設問に行きましょう。今日は本当に僕が教えてもらっているような特別な日です。ありがとう。」
1限を終了し、休憩に入る。正平は感謝の気持ちを込めて皆に珈琲をご馳走することにした。一度ブレイクして頭に砂糖を入れてみよう。きっと珈琲の良い香りが、平和な未来へのアイデアをくれる。