表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

六角正平51歳 大学教授2025年6月2日AM8:55学内カンファレンスルームB 

 15人ほどが楕円形のテーブルを囲む、小さな会議室である。都会からやや離れ、住宅街の小高い丘の上にあるキャンパスは、見晴らしが良い。楕円形のテーブルがぎりぎり入る大きさの狭い空間ではあったが、窓から見えるビルの群集や、背景の連なる山々が開放的な気持ちにさせてくれる。

 会議室の名前は「カンファレンスルームB」である。六角正平(ろっかくしょうへい)は、主に自分のゼミに割り当てられたこの部屋を気に入っていた。マイクを使わなくても声が良く通り、生徒達の声も聞き取りやすい。この距離であれば居眠り出来る生徒はほぼおらず(たまにはいる)、お互いの顔が良く見えて、コミュニケーションの取りやすい部屋であると思っていた。

 ただ、正平は、この人数でする討議に、この日僅かな憂いを抱いていた。戦後80年である2025年である。メディアは毎日のように戦争を考える特番を組んでいる。昨夜も、上層部の数人で会議をし、戦争へ突き進む集団意思決定がなされた再現映像を、戦時中を思い浮かべながら見ていたのだ。

 数名で討議をすると決定事項に慎重さが欠け、極論に走りやすい。それに、肌や目の色とか子供、女性である事など、社会的アイデンティティが加わり、リーダーシップを取る者が好戦的であれば、人種差別に繋がる決定がなされやすい、友人の教授がそう言っていた。

 例えばとある施設を利用する基準として、日本人は良くても外国人の申請は不可とするなどである。同じように『大声で騒ぐ』行為をしても、日本人ならば『そういうこともあるかもしれない』と寛容になり、外国人であると『彼の国は暴力的な人が多いから』と、過度に単純化して多様性を認めない。

 戦時中、日本人が『眼鏡の黄色い猿』であり、日本人も敵国にレッテルを貼った。内集団は人、外集団は人ではないの心理で、越えてはいけない線を越えていく、それが戦争となっていく。

 戦時中になされた、国の命運を決める討議も、この位の距離感で、この位の人数であったのだろう。無論、間もなく9時にスタートするゼミに来る若者は、無垢で頑張り屋の子供達であるから、憂う心理学の適用はあるまい。正平はノックをして入って来る生徒を迎え入れた。

 正平は国文学の教授である。普段であれば現代文学の著名な作家をテーマにして討論している。しかし今日は大学からの依頼による特別授業で、授業の大筋は戦争体験者の減少により風化してしまう第二次世界大戦と平和を考えることにある。

 第二次世界大戦は、その時代を生きた人その数だけあると正平は思っていた。その数多の中で今日のディスカッションのテーマは『戦争へ繋がるかもしれない偏見や差別をどうなくしていくか』である。正平の中で『戦争のない未来のためにどうすればいいか』という問いに対する答えは、『戦争へ繋がるかもしれない偏見や差別をなくすこと』だと思うからだ。

 原爆被害は1945年の8月6日と9日だけに止まらず、今もなお心身の苦痛にある人がいる。

 歩行困難などは勿論であるが、差別である。差別が苦しめる。

 あんなにひどい目に遭ったのに、その先もずっと、被爆者以外の人と差別されて、80年苦しみ続けた人もいるのだ。

 結婚できない、就職出来ない。

 戦後すぐの頃はまだ解明されていないことも多く、『授業中にだるいと言うと、原爆のせいにかこつけて、と級友に言われたりした』と祖父が言っていた。

 そう、正平は被爆者の孫である。

 祖父の六角正志(まさし)は、『あの日』広島にいた。たまたま地下の資料室にいたそうで直撃を免れたが、その後外に出て放射能の残る広島を歩いた。

 …らしい。

 そう、詳しく聞けていないのだ。もう亡くなっているし、親しく交流していたのに、原爆の事も戦争の事も全然話を聞いたことがなかった。

 北海道の出身だと聞いていたこともあり、こちらから尋ねることもなく、本人が79歳で亡くなる数か月前に呟くように話してくれた、言葉の断片だけが残っている。肺がんだったけれど、父も妹も正平も、正平の子供達も、ガンにはなっていない。

 亡くなって20年程経つ。あれからずっと、孫として、話してくれなかった理由を考えてきた。

 それはやはり、差別なのだ。理由は差別によるところが大きい、そして、辛い記憶を思い出したくない気持ちと、家族にその悲しさを伝染させたくない気持ちもあったかもしれない。平和な時代になった。平和の中で、あの頃には叶わなかった笑顔で家族と幸せに暮らすということを、ただ味わう、それだけ、それだけでいい、と祖父は考えていたのだろう。

 何より、差別により子、孫世帯が辛い思いをすることのないように、と、話さないことで守ろうとした、愛ではなかっただろうか?

 ただ背負い、背負ったまま亡くなってしまった人も多いのだろう。皆、家族を守ろうとした。

 妻、頼子(よりこ)の祖父は農家だったそうだが、同じように話してくれなかったそうだ。ただ、丸い笑顔が可愛い元気で陽気な、太陽の様な人だったという。

 でも地域の歴史を調べてみれば、折角収穫間近だった畑を泣く泣く刈り、廃棄の上、中学生まで動員して昼夜問わずの作業をして軍事飛行場を作った史実があったそうだ。農家としてどれほど悔しかっただろうか。その飛行場は役に立たないまま、一年と経たずに終戦となった。

 部落という差別もあった地域で、まだ差別が側にある時代に生きた祖父たちの世代は、黙することで家族を守ろうとした。

 そのままで良い、かもしれなかった。

 でも、である。

 戦争の足音は今、近くに迫ってきている。

 戦後80年が、新しい戦前になってしまうかもしれないこの時に、「それ」がまたきたらどれほど恐ろしいのかを語ってくれる人はもう、多くが他界しているのだ。

 平和のバトンは「差別を防ぐための黙秘」に阻まれ、孫世代に渡ってきていない。父も何も聞いていないそうだ。

 風化する戦争をもう一度考え、想い、平和へと結びつけるには?ただ思い描いても個人の中で終わってしまう。手足を動かし行動に移さなければ、何も変わらない。

 『戦争に繋がるかもしれない偏見や差別』をなくす為の『行動』とは何か分からないまま、もう戦後80年の夏はすぐそこまで来ている。だがある日、新聞を読み溜息をつきながら、何も行動を起こせていないと悩んでいた正平に妻は、

 「次世代の生徒達に伝える」のは行動よ?教授であるあなたには出来る事よ?と言ってくれた。その言葉が、今も心に、水晶の珠の様に在る。鈍く光っている。

 だが正平は被爆者の孫であるが体験をほとんど聞いていない。だから彼に出来る事は、生徒と一緒に考えてみる事、だった。

 事前にこの授業の為に偏見や差別を深堀して、書き出してペン先が止まったのは、「偏見」には悪気がない場合も多いのでは?という自問自答だった。

 戦争が差別から始まり、差別が偏見から始まるなら、種である偏見をなくしていくしかない。しかし、偏見というものは、先入観からくる、無意識化にあるもののように正平には思えた。

 この、無意識化にある、現代の環境で51年培われた、先入観というものは消せはしない。偏見をなくすのは容易ではないように思う。無意識化にあるものを正す「気付き」は中々得られるものではない。

 ならば、対象のその人、に対して、その立場に没入してみてはどうか?その人の気持ちになってみる。それを意欲的にするようにしてみる。色んな立場の人、色んな国の人に。

 そうすれば、自己の価値観で正しいと思っていることや先入観が、自然と、他者の意見を取り入れ、接合点を探し、それが相手を尊重することにも繋がるように感じる。

 妻は、困っている年配の方にはこちらから声をかける。電車の席、機械の操作、階段前の杖の方。断られることもある。でも、またそういう場面があれば声をかける。それを、正平は尊敬していた。

 断る人の中には助けが不要と思う人がいて、それは頼子の気持ちとその人の気持ちにギャップがあるからである。だが、その温かい誤差は、なんの諍いにも繋がっていかない。

 私達の中にある、知らない人に対して「こういう人かな?」と思う先入観を、大切にはしながらも、冷たい誤差(差別)に繋がっていかないようにするには、

 やはり、出来るだけその人の立場に立って考える事だろう。想像力を働かせたい。

 だからまず、アイスブレークも兼ねて今日の授業の最初のテーマは、相手の気持ちになってみるというワードと共に、国文学を学ぶ者として、

 「海を見たことがない人に、海をどう説明するか」とした。

 字数制限はない。詩でも歌でも小説でもいい、ひたすら自由に考えてみる。対象の相手が、その文章で少しでも海を想像出来ることが大事だ。正平は若い世代(ゼミ生は20歳前後)の意見が楽しみだと思いながら、席に就く生徒達を見渡す。

 正平も例として書いてみた。正平の場合は、先天性の視覚障害の人で、モンゴルのような陸地にいて海に触れたこともない、外国の大人の男性をイメージした。

 そうこの設問では、まず対象がどんな人かを想像するところから始まる。

 見たことがないとしてそれは、写真や映像ならあるのか?

 子供なのか大人なのか。

 日本人なのか外国人なのか。

 正平が想像した人物像では、全く先入観を入れないことが大事だった。

 まず、海というものを忘れてみることから始まる。それはとても難しいことだ。知っているのだから。

 しかしその先入観を入れていては、相手は海を想像出来ない。

 相手が海を想像できる文章にするには、とことん経験や知識を忘れ、相手の状況を想像してみるしかない。

 


「  海とは(相手の母国語で翻訳された物を読む)   六角正平 

 

 まず飲み水を想像してみる。コップに入れて手で口元へ運ぶ。飲むと冷たい。ぬるい時もある。

 次にそのコップに指を入れた感触を想像してみる。ひやっと指先が冷たくなる。ぬるい時もある。

 海はその水という物質が意思を持っているかのように急激に限りなく増え、あなたの周りに溢れ、流れて覆い、押しては返し、ただの一時も同じ姿のない、うごめき続ける果てしない細胞の大地である。天と地は二つに分けられた、という聖書の言葉の様に、上に天と、下に地があり、分かれて地と海がある。あなたが知っている「大地」と同じほどの存在感で海は存在している、でも海の方が大地より多い。七割が海である。限りなく広く、地球は球体型なので突き進めば戻る。流転の永遠がある。

 実は海は塩辛い。先ほどのコップの水の例では、一口飲めば「塩辛い」と思う物である。そして独特のぬめりがある。草原をチーターが走る様に、うごめく塩辛い水の中には数えきれない程の生命が走っている。それが、重力がなく浮いているような状態なので、寝転んで手足をばたばたさせるような動きでも進む。それが泳ぐということである。海の中の生命はみな、重力から解放された世界で思い思いの走り方をしている。

 色がある。海は青い。正確には空を反射しているから青いので、海水は透明だが、海の中にいる草も動物も皆、多種多様な色があり、太陽からの光でキラキラと輝く。

 黒、も色である。ただ、音にクレッシェンドとデクレッシェンドがあるように、段階があり、ホルンなのかギターなのかピアノなのかという、音の種類の違いのように、色にも段階と、種類がある。その楽器に、ホルンならいかに空気を吹き込むかで醸し出される音色が変わる様に、当たると色を変化させるもの、それが、太陽の光である。とても美しくなる。

 さぁ、まず砂浜に行こう。砂浜は砂が作る陸地である。あなたはサンダルなので、砂浜を踏みしめると方々から足の裏に砂が入ってくる。ここは温暖な地域なので、砂は太陽光に温められて温度を感じる。砂浜は段差のないスロープ状に下に下がっていく。一階から地下に降りるようなイメージで。地下から、溜まる大量の水が始まるイメージだ。それが地下50階という場所もある。そういう場所には光が届かず、水の重さで人間には耐えられない圧力がある。でも深海魚という適した魚はいる。生命の神秘がある。

 海の中では呼吸が出来ず、音は下へ行く程なくなる。無音で闇で、適応出来た生物だけが生きていられる世界がある。

 家族があなたの手を引いて、波に今、足を入れた。ザザーと音がする、それは波の動く音だ。押しては返す、それが波だ。踏みしめると入り込む砂のように、足首に絡みつき、砂とは違い、まるで意思があるかのように、元に戻って引き返していく。

 来る、戻る。行き、帰る。この往復は天候にも月の満ち欠けにも地形にも大きく左右され、立っていられない程の力で引き寄せられることもある。

 腰まで海に浸かる。冷たい。

 波の往復で体が上下に絶え間なく揺れる。持ち上げられ、戻るを繰り返す。溢れる細胞の大地は、思いの外無機質に、地球が滅びぬ限りは永遠にこの動きを繰り返していく。

 肩まで入るともう、重力からの解放が始まる。足が付かず、ふわふわする。横になってばたばたと手足を動かせば、手で水を押し出した逆方向に進めそうな気がする。 

 海の匂いがする。なんとも独特であるが心地よい。人間の元も海から来たことが証明されたかのように、母なる海であることを感じる。

 あなたの額を温める光は、溢れる細胞の大地にも広がっていて、今、あなたもろとも輝いている。あなたの周りにあるうごめく水は、

どこまでも続く、どんなに手を伸ばしても壁はない。広い、広大な海という世界である。

 天候により体をコントロールできない程の高い波が来る。命を奪うこともあるので、手を握る家族と共に砂浜へ戻ろう。

 空、大地、海。人間は大地を選んだ。けれど、いつも側に海はいる。   」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ