変な乙女ゲームのヒロインに転生しました。けれど恋愛は一切始まらない?
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『姫……姫……』
遠い記憶の中の、年端も行かない私に向かって、同じ年頃の男の子が熱心に呼びかけていた。
どこかのフワフワの絨毯に座り込んでお人形遊びをしていた私は、その可愛らしい男の子と目を合わせた。
『大きくなったら、ボクの国に来てくれる?』
男の子が恥ずかしそうに頬を染めて、白い歯をこぼす。
それに釣られて、私も照れながらこくりと頷いた。
私の反応に嬉しそうに笑う彼と、ニコニコと微笑み合う。
遊びの約束かしら?と思っていた幼い私が、それがプロポーズだと気付いたのは、だいぶ大きくなってからだったーー
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「カトリーナよ。お前ももうすぐ16歳になる。見識を深めるためにも、隣国にあるシーヴァン学園に留学するのだ」
私のパパである国王様が、家族団欒の食事の場で宣言した。
その途端に、私の脳内でゲームのオープニング曲が鳴り響いた。
うーん。
そのゲームは魔王を倒す系で退廃的な世界観だから、こことは違うな……
そんなことを思いながら、私は口の中に入れていたお肉を咀嚼する。
ナフキンで軽く口元を拭くと、穏やかに笑うパパに向かって返事をした。
「分かりましたわ」
私はカトリーナ。
この国の王女として生まれた15歳の女の子。
けれど大きくなるにつれて、ここが不思議な世界だと思い始めた。
中途半端なファンタジーで、中途半端な貴族制で……
そう感じると言うことは、私の中に違う世界観があるという事だった。
そう。
私には前世の記憶があった。
けれどその記憶は徐々に思い出したため、今の年齢になってやっと、私はどこかのゲームか物語の世界の中に転生していると悟った。
だから私が隣国に留学するこの流れは、設定の一部なのではと勘繰ってしまう。
だって、見地を深めるためとは言え、なんで一国の姫が留学する必要があるのだろうか?
箱入り娘として自国で育て上げればいいものを……
私はまた、この世界のチグハグな設定に不平を抱きながらも、留学の準備を進めた。
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そしてシーヴァン学園への入学式当日。
白と紺をベースにした制服に身を包んだ私は、馬車に揺られていた。
両手で顔を覆い、深いため息をつく。
「なんで…………なんで一国の姫なのに、侍女がついてないの!? だからこう言うところがおかしいんだってばー!!」
1人きりの馬車に、私の嘆きが虚しく響いた。
「ぜったいおかしいよねっ! いくら寮生活で、そこにも学園にも使用人が多数いるからって……隣国に単身で乗り込ませる!? 私、一応やんごとなき身分のお姫様だよ!!」
普段、品行方正で通っている私は、1人きりなのをいいことに思う存分に愚痴った。
そのままフンスフンスと怒りながらも、学園への到着を待っていると、遠くから黄色い歓声が聞こえてくる。
「?? 何だろう?」
馬車の窓から少しだけ顔を覗かせて、前を見てみると、黒い人だかりが。
シーヴァン学園の門前のようで、ちょうど前を行く馬車から煌びやかな金髪の男性が降りてきた所だった。
それを取り囲む女生徒たち。
彼女たちが皆一様に熱い視線を飛ばして、キャーキャー叫んでいる。
うわー。
あそこに次降りていくの嫌だな……
私がそう思っていると、無情にも馬車の進みがゆっくりになり、仕舞いには止まってしまった。
「カトリーナ様、着きましたよ。荷物はもうすでに寮の部屋に届いていますので、今日はこのまま入学式に出席して下さい」
唯一ここまでついて来てくれた御者兼従者のテッドが、馬車の扉を外から開くと私に声をかけた。
「……分かったわ」
私は観念して立ち上がると、テッドの差し伸べる手を取りながら馬車から降りた。
トンと地面に降り立つと、大勢の視線が私に向けられているのを感じた。
同時にさっきまで騒然としていたのに、不気味なほど静まり返っていることも……
私の場違いな登場で、水を刺してしまったのかしら?と気恥ずかしくてテッドにだけ目を向ける。
「ここまでありがとう。テッドも国に帰るまで気を付けてね」
「はい。ありがとうございます。カトリーナ様」
テッドが恭しく頭を下げるのを見届けてから、私は勢いよく踵を返して学園内へと足を進めた。
もうこれだけ目立ってしまっては、そそくさと退散するしかない。
けれどその時、私の腕を取る人がいた。
突然のことにビックリしながら振り向くと、そこにはさっきの煌びやかな男性が。
「君がカトリーナ王女か。何とも美しくて優しいお方だ。僕の妃になってくれ!!」
いきなり高らかに宣言した彼は、なんとこの国の王子様だった。
「あー、私がヒロインの乙女ゲームね」
はいはいと納得した私は、熱烈な告白をした王子に向けて胡乱な目を向けた。
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あれからエスコートを申し出たエドワード王子に連れられて、私は無事に入学式会場についていた。
会場内では並ぶ順番が決められており、エドワード王子と無事に離れることが出来てホッとする。
私があまりにも気を抜いていたからか、隣の女の子に二度見されてから話しかけられた。
「……カトリーナ様ですか?」
「あ、はい。カトリーナです……なぜ私をご存知なのですか?」
私はしゃんと姿勢を正してから、彼女に尋ねた。
柔らかい印象の女生徒がクスクス笑う。
「隣国から美しい王女様が留学に来ると、こちらの国では騒いでおりましたから」
「…………」
私はポッと頬を赤くした。
〝そんなに話題になっていたんだ〟と照れると同時に、気さくに話してくれる女の子の出現が嬉しかった。
乙女ゲームのヒロインだから、ボッチになる可能性も考えていたからだ。
「あの……貴女のお名前は?」
「申し遅れました。私はノエルと言います」
彼女がはにかみながら穏やかにほほ笑む。
「私はこの通り隣国から来た身ですので……いろいろ教えて下さらーー」
「はいっ! 私でよければ!」
ノエルが食い気味に答えた。
そして私の両手を取ってキャアキャアと喜ぶ。
ノエルの熱烈なファン状態の態度に驚きながらも、私は笑顔を返した。
入学式が始まると、壇上に在校生の代表が上がり、新1年生に向けての祝辞を始めた。
式の進行をいろいろとすっ飛ばした!
学長の話が無い!
さすがゲーム!
と謎の感動をしながらも、壇上に現れたやけにキラキラとした黒髪のイケメンを眺める。
けれど次第に瞼がトロンと下がり「ふわぁ」とあくびをしてしまった。
もちろん手で口を隠しながら。
それが目立ってしまったのか、壇上のイケメンにキッと睨まれる。
「…………っ!?」
しかし目が合った瞬間、彼はハッとした表情を浮かべ、祝辞を途中でやめてしまった。
騒然とする式場の中を、壇上からヒラリと降りた彼が、人混みを掻き分けてどこかへ向かう。
それが私の元だと気付いた時には、もう彼が目の前にいた。
「カトリーナ王女。貴女の麗しいその姿に一目惚れした。ぜひ私と結婚して欲しい。だからーー」
「…………」
よく見ると黒髪の男性は、この国のレオナルド王子だった。
何やら私に向けての愛をずっと喋っている。
周りからは、悲鳴似た騒ぎ声が上がっていた。
えーっと、たしかさっきのエドワード王子よりレオナルド王子の方が年上で、王位継承順で言うと……
「ま、関係ないしいっか」
思い出すことを放棄した私は、熱心なスピーチを続ける王子を無視して、遠い目をした。
「ちょっと待った!!」
そこにエドワード王子が現れた。
何故かまた私の腕を強引に掴み、背後に隠す。
「カトリーナは僕の妃になると約束した! いくら兄上でもそう易々とは渡さない!」
えー。
約束したつもりは無いんだけどな。
「なんだと!? そんな話聞いてないぞ。ちなみにいつしたんだ?」
「ついさっきだ!」
「……それは口約束だな? 分かった。なら私はカトリーナの国に正式に申し込む。お前とは違い、ちゃんと国同士の法に従ってな!」
レオナルド王子がくるりと背中を向けて、軽やかに去っていった。
えー。
法律よりも何よりも、私の気持ちは??
「ちっ。それなら俺もっ!!」
焦ったエドワード王子も、兄とは反対方向へと駆けて行った。
「…………」
文字通り、置いてけぼりにされる私。
隣のノエルが、何故かシュンとして私に話しかけた。
「さすがカトリーナ様、モテモテですね……」
「……そう……かなぁ?」
こうして、私の波乱の学園生活が始まった。
**===========**
入学式から数ヶ月後ーー
「カトリーナ様! おはようございます」
学生寮を出ると、私を待ってくれていたのか、ノエルが嬉しそうに駆けてきた。
「おはようノエル。昨日はよく眠れた?」
「……はい!」
仲良くなった私たちは、キャッキャウフフと仲睦まじく登園した。
ノエルが私の腕に抱きつくと、幸せそうに顔を綻ばせる。
私より背の高い彼女にそうされると、何だか歩きにくいのだけれど、慣れてきてしまった。
ノエルがニコニコと笑って言う。
「だけど、また怖い夢を見てしまったら……カトリーナ様が手を握って下さいね」
「うん。いいよ」
私も笑って返した。
以前に1度だけ、怖くて眠れなくなってしまったノエルが、私の部屋の前に立っていた事があった。
たまたまその時、私が部屋の外に出たから良かったものの……
遠慮したノエルは、そこまで来たのにどうしたものかと何も出来ないでいた。
それから事情を彼女から聞いた私は、ノエルが寝付けるまで彼女の部屋で付き添ってあげたことがある。
ノエルはよっぽど嬉しかったのか、その時のことをこうしてよく話に出していた。
学園に着くと、渡り廊下で金髪のエドワード王子とばったり会った。
「カトリーナ! 今日こそ兄上と決着をつけるからな! そして今度こそ君とーー」
「また抜け駆けしているのか!?」
彼の背後から黒髪のレオナルド王子の声がした。
「カトリーナは私のものだと言っているだろう? それに勝つのはこの私だ!」
金髪王子と対峙した黒髪王子が、模造刀を相手の顔先に向けた。
「何を!?」
「やるか?」
2人が校庭へと飛び出していく。
毎朝のように繰り広げられる茶番を、私は冷ややかな目で見ていた。
ずっと腕にくっついていたノエルが、ポツリと呟く。
「毎日熱烈に愛されていますね〜」
あの茶番は、私を取り合っての戦いらしい。
模造刀でというのが、流血表現を避けた安心安全の設定のようだ。
例え私が不在でも関係なく行われる、熱い男同士の戦い。
拳(模造刀だけど)での語り合い。
実際、私と話すよりお互いが話している時間の方が長いよね。
それはもう……2人が相思相愛でいいですよね。
自分を出汁にして、楽しそうに戦い合っているようにしか見えない王子たちから、私は目を逸らした。
すると、私を見ていたノエルとバチッと目が合う。
「カトリーナ様は……どちらの王子に勝って欲しいですか?」
ノエルの問いかけに、私は思わずげんなりした表情を浮かべる。
普通の女性ならイケメン2人に取り合われるなんて、キュンキュンするのかもしれなけれど……
私はどうやら普通では無いようだ。
でも多分、それはーー
「私は、穏やかで優しい人がいいの」
ノエルを見ながらもその人を思い浮かべて私は柔らかく笑った。
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〝穏やかで優しい人〟
私は、幼い頃の遠い記憶に出てくる、あの男の子のことが忘れられずにいた。
あれから1度も会ったことが無いにも関わらず。
本当に会ったことがある人なのかしら?
何かの記憶とごっちゃになって、実在しない人かも……
大きくなるにつれて、そう思うことも増えたけれど、今世で結婚するならあんな人がいいなと、心のどこかで思い描いていた。
そんな私の好みに当てはまる人が、この学園に唯一1人だけいた。
「……こ、こんにちは」
「こんにちは。カトリーナ王女」
私がおずおずと声をかけると、本を整頓していたアルが振り向いて優しく笑いかけてくれた。
ここは学園に併設している立派な図書館。
貴族だと学生以外も利用できる国の施設であり、彼はここの職員として働いていた。
「何か探し物? ボクに出来ることがあったらいつでも言ってね?」
アルがニコリと笑って首を傾げる。
「はい……」
ポーっとした私はゆっくりと頷いた。
はぁ。
穏やかで落ち着いた男性。
癒されるー。
普段キラキラした王子たちに迫られている私は、こうしてよくアルに会いに来ていた。
特に付き合いたいとかではなく、純粋に心の癒しを求めてだった。
今日も本を読むふりをして、アルが仕事をしている様子を眺めてはニヤニヤする。
しばらくして満足したからもう帰ろうと、私が図書館から出た時だった。
「きゃあっ!」
「ぅわ!!」
突然飛び出して来た少年とぶつかった。
仰向けに倒れた私に、その少年が覆い被さる。
「……いたぁい」
地面に打ち付けたお尻と肩の痛みを堪えながら目を開くと、ぶつかってきた相手の顔が目の前にあった。
その距離の近さに赤くなってモジモジしていると、彼が心底嫌そうに言う。
「トロい奴がいると思ったら……わざと俺にぶつかって来ただろ!?」
「えぇ??」
どういう思考回路なんだと疑って少年をガン見すると、彼はこの国のミゲル王子だった。
王子多すぎ……
もちろん何番目の王子かを考えることを早々に手放した私は、彼を押し退けながら体を起こした。
「女性に怪我をさせておいて、酷い態度だね。ミゲル王子がぶつかって来たんでしょ?」
「はぁ!?」
わがままで荒い気性の王子が、私に詰め寄る。
負けじと私もムッと眉間にシワを寄せて更に言い込んだ。
「走っていたのはそっちだよね? まずは悪いことをしたら反省しましょう。人として当然のことだよ!」
強く言い切った私を、王子が唖然と見つめていた。
するとその見開いた目にじんわりと涙が浮かぶ。
「は……初めて怒られた……」
「へ??」
変なことを言い出した王子に、私はただただキョトンとする。
ミゲル王子は自身の腕でグイッと涙を拭うと、熱のこもった目で私を見つめ返した。
「俺……怒られたことなんて無かったから……すごく嬉しかった」
「……はぁ」
王子が私の片手を掬い上げるように取った。
「カトリーナに怒られた時にさ、なんかはこう……」
「あ、私を隣国の王女だと知ってのあの態度だったんだ……国際問題ものじゃん」
「胸が締め付けられるというか……そんなこと初めてで……」
「それはドキドキじゃなくって、ギクリでは……?」
「これが恋なんだなって」
「…………」
熱に浮かされたミゲル王子が、私の手の甲に顔を近付ける。
「わわっ! さっきまでとは違って何なのこの子!? 許可なく女性に触れるのはやめなさい!」
私が手を引っ込めながら怒ると、王子は顔を上げてパァァと目に見えて喜んだ。
「また怒られた! カトリーナッ、大好きだ!!」
「…………」
こうして、悪ガキベースのマゾ王子が出来上がってしまった。
この乙女ゲーム、どうなっているんだろう?
私は「カトリーナに怪我をさせてしまったのだから、俺が責任をとる!」と舞い上がっているミゲル王子を見ながら、仕切りに首を傾げていた。
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またまた数日後。
ミゲル王子を加えた、クセのある人たちに迫られる毎日を私は過ごしていた。
けれど心労がたたったのか、体調を崩してしまい、今日は寮の部屋で寝込んでいた。
夕方まで休んでいると、授業を終えたノエルがお見舞いに来てくれた。
「カトリーナ様、大丈夫?」
「うん。今日たっぷり休んだから、だいぶ元気になったよ。明日からは学園に行けそう」
体調がまだよくない私は、ベッドに座らせてもらい、ノエルは向いに椅子を置いて座っていた。
「良かったぁ。でも無理はしないで下さいね」
ノエルが心配そうに眉をひそめた。
彼女の優しい心遣いに、じんわりした私は、つい愚痴を吐いてしまった。
「……はぁ。せっかくなら穏やかで優しい人にアプローチされたいのにな。ノエルみたいな」
項垂れながらそう言うと、私は大きくため息をついた。
「〜〜〜〜っ!! カトリーナ!!」
俯いている私の耳に、突然知らない人の声が入ってきた。
不思議に思い顔を上げると、そこには真っ赤な顔で必死にニヤニヤ笑いを噛み殺しているノエルがいた。
感極まった彼女が、私をガバッと抱きしめる。
「!?!?」
「本当に? 本当にぼくを選んでくれるの!?」
いつもとは違うノエルの低い声。
初めて全身で抱きしめられたから分かる、ノエルのゴツゴツした体。
ノエルはーー
「男の人だったの!?」
私は思わずノエルを突き飛ばした。
素早く立ち上がると、床に尻餅をつくノエルと距離を取る。
「フフッ。カトリーナ様のそばにどうしても居たかったから、女の子としてこの学園に侵入したんだぁ」
ノエルが俯いたまま、のろのろと立ち上がった。
「ひっ!?」
衝撃の事実に私は息を呑んだ。
女の子みたいな綺麗な顔立ちと、わざと高い声を出していたノエルに、まんまと騙された。
「じゃあ、怖い夢を見たと言って、廊下に立っていたのは……」
「決まっているじゃないか。カトリーナ様の全てが知りたくて……音を聞いていたんだ」
ノエルがゆっくりと顔を上げて、ニタリと笑った。
途端に私の体をゾクゾクした寒気が駆け抜けた。
ストーカーだ!
それに女装癖、ヤンデレ……
本当にこのゲームはどうなっているの!?
しかも、ノエルを寝付かせるために1度だけ部屋に行ってしまった自分!
よく無事だったね!!
「…………」
半泣きの私はノエルを見据えたまま、ジリジリと出口に向けて後退した。
そんな私を嘲笑うかのように、ニヤニヤしたノエルが手を伸ばす。
「ぼくも愛しているよ。さぁ、おいで……」
「ノエルの属性は、到底受け入れられない!!」
私は彼の手をヒラリと避けると、部屋を飛び出した。
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ひーん。
何なのこの世界。
せめて自分の国に帰りたいんだけどー!
ノエルから逃げ出した私は、必死に走っていた。
辺りは薄暗くなっており、これからどうしようと思っている私の不安を煽る。
そんな行く宛も無い私の目にとまったのは、優しいランプの灯りがついている図書館だった。
うぅ……
部屋を飛び出て来たから、ひどい格好だけれど……
そんなこと言ってられないっ。
私は自分のナイトドレス姿を見下ろして躊躇したけれど、助けを求めて図書館へと飛び込んだ。
バタンと勢いよく部屋の扉を開けた私に、驚いたアルが丸めた目を向けた。
「……っびっくりした。カトリーナ様、こんな暗い時間にどうしたの?」
「……はぁ、はぁ……友達から、逃げてきて……」
「??」
荒々しい息をつく私を心配して、アルは図書室の奥にある事務室へと通してくれた。
その一角にあるソファに私を座らせると、暖かい飲み物を手際よく用意する。
「まずは落ち着いて。それにここなら安全だから」
ハーブティーをテーブルに置いたアルが、私の隣にそっと腰掛けた。
彼の優しい振る舞いに、ホッと安堵しながらカップに手を伸ばす。
「実は……」
紅茶を一口飲んだ私は、今までのことをアルに説明した。
この国に来てからの出来事を。
強引なエドワード王子から始まって、さっき男性だと知ったノエルに至るまで。
そして、今の状況に参ってしまっている事をつらつらと語った。
「私は……穏やかで優しい人がいいんです。アルさんみたいに……」
ついでにちゃっかりと彼にアピールした。
図書館にはアルと私以外には人がおらず、願ってもいない2人っきりの空間だった。
アルを見ると、彼は私を見てフッと柔らかく笑った。
何だかその瞳に愛情を感じてドキドキしていると、アルが私の頬に手を添える。
これはもしかして!?と胸の高鳴りも最高潮になっているとーー
アルの姿がガラリと変わった。
漆黒の髪に真紅の瞳。
黒い翼を生やすその姿は……
堕天使といった感じだった。
「俺は堕天使アルベル。カトリーナの魂に何か感じるものがあったから、ずっと様子を見守っていたんだ。そしたらどうだろう……他の奴らの好意をものともせずに、俺を選ぶとは」
やっぱり堕天使だったアルベルが、クククッと笑った。
「…………」
彼のテンションが何だか上がっていくのと同時に、私のテンションは下がっていった。
「ふむ。いいだろう。俺の住む世界に連れ帰ってやろう」
「そういうのいいんで。いや、本当に」
キスしようとしてきたアルベルの顔を、私は思いっ切りグイッと押し退けた。
「…………」
「はぁ。もう何なの。普通の人はいないの?」
呆然とする堕天使をよそに、私はブツブツ文句を言いながら事務室を立ち去った。
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トボトボと学園の並木道を1人で歩く。
空はすっかり暗くなっており、綺麗な星空が広がっていた。
「もう帰ろう。うん、そうしよう」
私は学園の出口である門へと向かっていた。
途中でどこからか、かっぱらったランプを携えて。
こんな夜中に歩いて帰れる訳は無いのに……
今の私の行為は、この世界ではとても危険な事だと分かっていたけれど、学園にこのままいるのと変わらない気がした。
「…………ぅぅ」
心細さに涙を浮かべていると、遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。
「カトリーナ様〜!」
見ると門の外で、従者のテッドが馬車の御者席から手を振っていた。
「うわーん! テッドォ!!」
私は泣きながら駆け出した。
思いがけず昔からの見知った人に会えて、私の中の張り詰めていた糸が切れてしまった。
本当は不安で不安でたまらなかったのだ。
テッドがギョッとしながらも、御者席からそろりと降りてきた。
ちょうど彼の元に辿り着いた私は、エグエグと泣き続ける。
余りにも私が泣いているものだから、テッドが恐る恐るといったように私の頭を撫でた。
私が王女だから気を遣ってくれている彼の優しさを感じる。
「急いで来てみて良かったです。カトリーナ様が留学した途端に、いろんな方から結婚の申込状が届いたものだから……」
「……それで、迎えに来てくれたの?」
「えぇ……まぁ」
私が泣き顔をテッドに向けると、彼は歯切れが悪そうに答えた。
「?? どうしたの?」
「……何でもありません」
テッドがニコリと笑った。
いつもの彼に安心した私は、いつものようにテッドに命じた。
「ちょうど良いところに来てくれたわ。このまま国に帰りましょう」
「分かりました。じゃあこちらへ」
テッドが馬車の席へと私をエスコートしようと、手を差し出した。
けれど私はフルフルと顔を横に振る。
「怖い思いをしたから、しばらく私も御者席に座ります」
「……分かり……ました」
王女である私の申し出を断れないテッドは、渋々承諾してくれた。
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私が落ちないようにと、馬車がゆっくりと闇夜を進む。
柔らかい風に撫でられて、私の涙もそろそろ乾こうとしていた。
暗い顔をして俯いていた私が、ふと隣のテッドを見上げると、それに気づいた彼が瞳だけを動かしてチラリと私を見た。
すぐに前を見て操縦を続けると、テッドが穏やかな笑みを口元に浮かべた。
「姫。大きくなったんで、このままボクの国に来てくれます?」
「…………」
私はみるみる内に目を見開いて、彼の横顔を穴が開くほど見つめた。
……本当にどうなっているのだろう?
この乙女ゲームは。
私は苦笑しながらも、幼い頃のように照れながらこくりと頷いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。