登校
暑い。太陽が地面とにらめっこする時間と角度が多少違うだけで、こんなにも額の湿り具合が変わるなんて。そのうちデコがふやけて取れてしまわないように、色の濃くなっている場所を選んで歩くことを一体誰が責めると言うのだ。それにしても、暑い。この時期になるとアブラやらクマやらミンミンやらを頭に付けた進研やら東進やらが、まさにけたたましく存在証明するもんだから、温度以外の角度からも暑さがデコレーションされてしまう。と言うかネーミングのルールを統一して欲しいものだ。ミンミンやらツクツクのボウシやらのように全部鳴き方の呼び方でいいではないか。そうすれば「これは何ゼミ?」とイイトコ見せたい子に聞かれた時にも、ドヤ顔で適当こけるというのに。そう言えば、セミの事を考えるといつも思い出す話がある。とある人が言っていたことなのだが、セミにとって地上での七日間はめっちゃしんどいのではないか、と言う話だ。正直この話を聞いた瞬間、かなり目から鱗が落ちた。あまりに落ちるので鱗牧場を作れるのでないかと思った程だ。と言うのも、今までは「七日間しか地上で生きられないなんて可哀想」「いやいや、セミ基準ではそれが普通なのだから可哀想とかないでしょ」みたいなやりとりしかしたことがなかったのだ。そこに来ての最高の地中生活が終わった後の地獄の七日間説。「やられた」と思った。しかも、ちゃんとオチまで付いていたのだ。「だから必死になって、ないているのだ」と。まあとにかく、今が楽しい盛りのセミ未満の諸君にはしっかり地中生活を満喫してもらいたいものだ。どうせ、いつかは事切れるまで泣き叫ぶことになるのだから。
目的地まではまだしばらく歩かなくてはならない。それにしても、この歩くという行為の脆弱性はどうにかならないものか。歩くためには基本的には足が2本必要になる。にも拘らず、人間には基本的には足が2本しか生えていない。これはいかがなものか。どうして予備の足を生やしておかないのか。なんなら足のように使える尻尾だっていいのに。身長なんてあと50cm低くても良いのだから、その分の成長エネルギーでどうにか便利な尻尾を生やしてもらいたいものだ。そんなことを考えながら、依然として半球に生きる全人類をスポットしてやろうかという勢いで照らし続ける恒星を睨み付けてやるために、顎を持ち上げた。すると、真っ青なキャンバスに今まさに白線が引かれる瞬間だった。飛行機。飛行機も相当ヤバい。何がヤバいって、あれだけ巨大な金属の塊が宙に浮いていることに関してはもはやどうでも良いのだが、あのタイヤはヤバいでしょ。あんなに大きなアルミの塊を飛ばしたエネルギーを、空気抵抗などはあるにしてもあんな小さなタイヤだけで受け止めようというのは正直、正気を疑う。信じすぎでしょ、パイロットの腕を。あとあれ、出したり仕舞ったりするでしょ。いやいや、出なくなったらどうすんだよ。実際そういう事故もあるでしょ。まあでも、そういうのも全部、技術の進歩でどうにかなっているのだろうし、実際ボーっと座席にふんぞり返っているだけで、あっという間に目的地につけるというメリットが大きすぎて、細かいことはどうでも良くなる、きっとどうにかしてくれていると思いたくなる、というのは分からなくもない。
もういいや、上を向いて歩くのはやめよう。そう思って道の隅の薄暗くてジメジメした方を見ると、カサカサと蠢く黒い昆虫が目に入った。ゴキブリだ。ゴキブリは、まあ、うん。気持ち悪いとは思う。でも不思議なことに何がどう気持ち悪いのか、上手く言語化ができない。「なんとなく気持ち悪い」というのはあまりにも相手に失礼な気がするが、それこそが「気持ち悪い」の本質なのではないかとも思う。恐怖とは未知である。古来より人類は、良く分からないものを畏怖の対象としてきた。だから逆に、ゴキブリのことを事細かく調べあげて、人がゴキブリのどこに不快感を持つのかを明確にすることができれば、もうゴキブリを気持ち悪がる必要もなくなるのではないだろうか。でも、全然気は乗らない。やっぱりやめておこう。だって、なんか気持ち悪いし。そんなことを考えている内に、もう校門が見えてきた。今日はどんな1日になるのだろう。楽しい1日なればいいな。期待に胸を膨らませながら横断歩道を渡る。瞬間、ブレーキ音が響き渡った。
相手の運転手はどんな顔をしているだろう。焦った顔かな。それとも怒った顔かな。少し気になったけど、一瞥もくれてやらない。信号のない横断歩道において、渡ろうとしている歩行者がいる場合には、車側の一時停止が法的に義務づけられているのだ。だから、見向きもしない。一度だって車に譲ったことはない。スマホの画面を見ながら、左右の確認もろくにせずに渡らせてもらう。これで自らの命を危険にさらしたとしても、この意地だけは張らせてもらう。そもそも、「横断」歩道ってなんだ。なんで車道を横切ってる歩道みたいな言われ方されにゃいかんのだ。道なんてものは本来歩行者様のためにあって然るべきだろ。それを楽をしたい凡夫共のために、なぜ移動を制限されなきゃいけないんだ。歩道をメインに作れ。車側が申し訳なさそうに歩道を横断させて貰え。こっちは何のルールも知らなくても、何の資格がなくても歩いていいんだぞ。急に車道に飛び出しちゃダメって理解できなくても歩いていいんだぞ。そういう人間ばかりだと思え。運転手側が100%気を使え。まあ、でも、業務用の車とかトラックとかバスとか、そういうのにはいつも助けていただいておりますので、もうホントご安全に、なるべくストレスなく運転していただければと思います。いつも本当にありがとうございます。
大きな音が鳴ったので少し目立ってしまったが、エンタメが飽和した現代社会においてそんなのは些末なこと。すぐに皆、興味を失った。それでいい。こうしてやっと無事学校にたどり着き、またいつも通りの日常が始まる。今日のお弁当のおかずはなんだろうか。そもそも、おかずという概念は、まず主食が――。
おしまい。