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千夜千夜叙事  作者: 安芸
第十話 星の鼓動
96/130

鎮魂祭・三

 ラザとリアリです。

 この小話は物語の中でも、はじめから想定していたエピソード。思い入れがあります。

 日没が迫り、空が朱金色に燃えあがる。

 特設舞台袖の特別聖火台には、地下から移され、いよいよ九千年前の炎が点された。

 信徒によるニ十一公主の霊魂を慰める鎮魂歌の詠唱と、手を繋ぎ、円陣を組んで聖火を囲う円舞踏の輪がひろがる。

 これは繋いだ手を上下させ、足は交差するだけの単純なステップの踊りで、信徒は全員参加の義務がある。


「リアリ殿、共に輪にはいらないか」

「行きません」


 リアリは、ディックランゲア王子の再三の申し込みを突っぱねた。

 大天幕の下、王と王妃と王子のための特別席が設けられ、その隣に、王族専用の貴賓席が用意された。 その陣中での会話である。


「どうして」

「どうもこうも、意味がないでしょう。あなたがたの言う、私たち“二十一公主”はこうして甦っているじゃないですか」

「だが、長年のしきたりだ」

「じゃあ、王子おひとりでどうぞ」

「私はあなたと行きたいのだ」

「……相変わらず、天然で口説く方ね。その一途で切なそうな眼、やめてくれません? 私、浮気はしないんです。シュラ、ハイド、王子に席にお戻りいただいて」


 シュラは命令に従い、ハイド・レイドは首を竦めながら物陰から出てきて言った。


「俺は一応、秘密裏の護衛を務めているんだけどねー。名指しで呼ばないでくれるかなあ」

「護衛は間に合っているの。だから雑用としてなら、こき使ってやるって言ってんでしょ」

「わあい」

「男避けに、そこに立ってなさい」


 ローテ・ゲーテでは隠れもなき、名うての殺し屋。

 その男に睨まれては、誰も安易に近づいては来ない。

 リアリは肘掛けに両肘をおろして、背凭れに頼り切った、あんまり行儀のよろしくない恰好で、眼を瞑る。

 “力”をそっと伸ばして、星脈を探る。

 深くは潜らず、“道”の表面にかすかに接触する。

 星の鼓動は、鈍く、浅い。

 よくない兆候だ。

 このまま息を引き取るように鎮まって、そして、大爆発を起こす。

 九千年前と同じように。

 大破局は、近い。

 本当にもうすぐそこまで迫っている。

 リアリは喘ぐように、長く息を吐いた。

 ここのところ、ジリエスター博士の立ち合いをもとに、手分けして、“盾”と“方舟”と“円船”の整備にかかりきりだった。

 仲間たち全員が、連日連夜の作業に徹していた。

 交替で睡眠をとるようにしているとはいえ、疲労は蓄積されるばかりだ。

 時間がない。時間が足りない。時間が――。

 いま、こうしている間も、そのときは近づいている。

 こんなところで無駄に時を浪費している余裕はない。

 だけど、どうしてもいま、ラザにひとめ会いたかった。


「お待たせしました」


 耳になじむ、硬質な声。

 瞼を持ち上げると、残照を浴びて黒い輪郭のラザが立っていた。


「ラザ」

「なぜそんなに不思議そうな顔をしているんです。鎮魂祭に誘えと言ったのはあなたじゃないですか」

「だって、すごく忙しそうだったから……」

「忙しくても、あなたに会う時間はつくります。来てください、二人きりになりたいです」

「連れて行って」

 

 リアリは腕を無防備に投げだした。

 臆面もなく甘えたしぐさに、傍にいたディックランゲアの表情が嫉妬に強張る。

 その眼の前をするりと通って、ラザはリアリの身体をふわ、と横に抱き上げた。

 夕闇に透ける、研ぎ澄まされた美貌。

 二人の姿があまりにも絵になって、これをまのあたりにしたディックランゲアは胸を衝かれたように、息を詰まらせた。

 一拍遅れて、決死の待ったをかける。


「どこへ行くのだ」

「うるさいです。シュラ、ライラ、マジュヌーン、ハイド、邪魔が入らないように見張ってなさい。夜明けには戻ります」

「よ、夜明けまで二人でなにをするつもり――」

 

 ラザは聖服の裾をひらりと返して、本神殿へと向かった。

 静謐なる空間を抜け、礼拝堂に着く。

 無人だったが、灯は点され、ぼうっと薄明るい。

 聖壇の手前で足を止め、二人はしばらくそのまま見つめあった。

 リアリは王族の正装で孔雀の羽根にみられる鮮やかな蒼装束、被り物、蒼い宝石。

 ラザは聖徒殿主長の白は白でも、光沢のある、きらきらしい聖白の装束、黒指輪。

 沈黙に色があるとすれば、それは黒に違いない。それも、重く、深い、闇そのもの。


主長(ギャスリィ)に、なったのね」

「あなたは、新二十一公主に」

 

 リアリは身動ぎして、ラザの腕からおりた。

 頭が下を向く。

 手は少し浮かせて指先をほんの僅かに彼の胸においた状態で、視線を床に落としたまま、暗澹たる調子で言葉を紡ぐ。


「……私、ラザに話さなければならないことがあるの。でも、本当は言いたくない。なにも知ってほしくないの。わがままだけど、私、ラザの前では、王女とか公主とかじゃなくて、ただの“リアリ・ダーチェスター”でいたい……」


 絞るような声だった。

 語尾はほとんど掠れて、聞き取れないほど。

 だがラザの耳にはきちんと届いていた。

 彼は微動だにせず、応える。


「別にいいです。僕はあなたにどんな秘密があろうとかまいません。あなたがあなたであれば、それでいいんです。僕を、好きでしょう?」

「好き」

 

 ラザの長い指が伸びて、リアリは顎を持ち上げられた。


「ちゃんと僕の眼を見て言ってください」

「愛しているわ、ラザ」

 

 そう告げたリアリの顔を、左右からラザの五指をひらいた手が、がっと鷲掴みにした。

 恐ろしく凄味のある明灰色の双眸が、一筋の狂気を孕んで、光る。

 声は礼拝堂の隅々まで這うように低く通り、遠雷さながらに轟いた。


「僕もです。世界中であなただけが愛おしい。大切なんです。砕けるくらい、抱きしめたい。あなたが悲鳴を上げるくらい、すべてを奪い尽くしたい。

 蹂躙して、征服して、その息の根を止めて、永遠に独り占めしたい。

 僕は、あなただけを選べます。他は皆殺しにしてもいい。

 いつか、言いましたよね? あなたのためならば、世界中殺して歩いてもかまわないと。

 他にひとなどひとりもいなくなっても――まあ、カイザは例外として――かまわないんです。あなたさえいれば。でも、あなたはどうです? 僕だけを、選べますか?他を一切捨てても、僕を選んでくれますか? たとえば、いまここで、その命を落としても?」

 

 リアリはいつかの自問自答を脳裏に回想した。


 もしも愛する者が誰かと問われたならば、迷うことなく、それはラザだと答えることができる。

 けれど。

 そのために他の一切を捨てることができるかと訊かれたら、私は迷うに違いない。


 私は迷うに違いない――。

 

 リアリは、思わずラザから眼を逸らした。

 はっとして後悔したが、既に手遅れだった。


「わかりました」

「違う――違うのよ、ラザ」

「別れましょう、リアリ」

 

 リアリは蒼褪めた。

 血が凍りつく。

 一気に足の爪先まで白くなった。


「待って」

「あなたは自由です」

「待って!」

「僕はあなたを束縛しません。傍を離れます。それが僕に残された唯一の選択肢です」

「いやよ! いや! 絶対にいや! わ、別れるなんて言わないで。離れるなんて言わないで。それは、絶対に許さないって言ったじゃない。あんた、離れないって言ったじゃない。愛しているのよ、ラザ」

「僕だって愛しています。でも、あなたが愛しているのは僕だけじゃない――僕は生死にかかわらず、あなたの傍にいることがなにより一番重要だけれど、あなたはそうじゃない。他にも大切なことがあって、僕だけを選べない。だから、いまは仕方ないんです」


 リアリはぼろぼろに泣きながら、袖から隠し短刀を引き抜いた。

 鞘を捨てる。


「別れるなんて、撤回して。じゃないと殺すわ」

「いいですよ。ぐさっとやってください。ただし、僕を殺したあと、あなたも死んでください。僕のいない世界にあなたが生き残っているなんて、一瞬でもいやです」

 

 ラザは大真面目に言って、無防備に腕を解き、胸をひろげる。

 リアリは短刀を落とした。

 礼拝堂の石床に鉄の音が冷たく反響する。

 そのまま膝から崩れ落ちる。

 へたり込んだリアリを、だがラザは助け起こさない。


「どうして」

「面倒くさい仕事を押しつけられてしまって。あなたの返答次第では、断ることもできたんですけど。でも、そうもいかないみたいで、がっかりです」

「わからないわよ。なんなの、その仕事って。私と別れなければできない仕事? なによそれ。いやよ。行かないで。行かないで、ラザ」

「行きます」

 

 ラザは背を向けた。


「お別れです」

「――待ちなさいよ。夜明けまでは、いいんでしょ? まだ、時間あるじゃない。それまで、一緒にいてよ。一緒にいてくれるって、言ったじゃないの」

「でも、このままここにいたら、僕、ひどいことしそうです」

「ひどいことしてよ」

「いいんですか? 泣き叫ぶあなたを押し伏して、のしかかって、滅茶苦茶にしてしまうかもしれませんよ?」

「しなさいよ。いやってくらいあんたを私に刻みつけてよ。滅茶苦茶にして――あんたのこと嫌いになるくらい、激しく憎むくらい、ひどく抱きなさいよ!」

「上等です」

 

 ラザはリアリの襟首を掴み、荒々しく引きずり寄せて、一気に唇を塞いだ。

 歯がぶつかる。

 舌が傷つき、血の味がじわっと滲む。

 口腔がなぶられる。

 激しいキスの雨が降る。

 宝石の糸が引き千切られる。

 蒼い宝石がばらばらと散乱する。

 蒼い衣装が音を立てて胸元から左右に引き裂かれる。

 リアリの剥き出しの白い胸に、爪を立てた指を這わせながら、ラザは言った。


「……僕を選ばない、あなたが悪いんです」

「……そうね。あんたを選べない、私が悪いのよ」

 

 ラザの咽喉から細い嗚咽がひゅうっと漏れる。

 明灰色の双眸から、ほろっと涙がこぼれて、リアリの頬に滴った。

 リアリがラザの手にくちづけした。

 ラザもくちづけを返した。

 二人は重なった。ひとつになった。どちらも狂ったように互いを貪った。

 名を呼びあいながら、強く、強く、強く、抱き合った。

 そして別れの朝が来た。


 別れた恋人たち。狂おしい思い。物語は終盤へ。

 間もなく、第十話終了。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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