鎮魂祭・三
ラザとリアリです。
この小話は物語の中でも、はじめから想定していたエピソード。思い入れがあります。
日没が迫り、空が朱金色に燃えあがる。
特設舞台袖の特別聖火台には、地下から移され、いよいよ九千年前の炎が点された。
信徒によるニ十一公主の霊魂を慰める鎮魂歌の詠唱と、手を繋ぎ、円陣を組んで聖火を囲う円舞踏の輪がひろがる。
これは繋いだ手を上下させ、足は交差するだけの単純なステップの踊りで、信徒は全員参加の義務がある。
「リアリ殿、共に輪にはいらないか」
「行きません」
リアリは、ディックランゲア王子の再三の申し込みを突っぱねた。
大天幕の下、王と王妃と王子のための特別席が設けられ、その隣に、王族専用の貴賓席が用意された。 その陣中での会話である。
「どうして」
「どうもこうも、意味がないでしょう。あなたがたの言う、私たち“二十一公主”はこうして甦っているじゃないですか」
「だが、長年のしきたりだ」
「じゃあ、王子おひとりでどうぞ」
「私はあなたと行きたいのだ」
「……相変わらず、天然で口説く方ね。その一途で切なそうな眼、やめてくれません? 私、浮気はしないんです。シュラ、ハイド、王子に席にお戻りいただいて」
シュラは命令に従い、ハイド・レイドは首を竦めながら物陰から出てきて言った。
「俺は一応、秘密裏の護衛を務めているんだけどねー。名指しで呼ばないでくれるかなあ」
「護衛は間に合っているの。だから雑用としてなら、こき使ってやるって言ってんでしょ」
「わあい」
「男避けに、そこに立ってなさい」
ローテ・ゲーテでは隠れもなき、名うての殺し屋。
その男に睨まれては、誰も安易に近づいては来ない。
リアリは肘掛けに両肘をおろして、背凭れに頼り切った、あんまり行儀のよろしくない恰好で、眼を瞑る。
“力”をそっと伸ばして、星脈を探る。
深くは潜らず、“道”の表面にかすかに接触する。
星の鼓動は、鈍く、浅い。
よくない兆候だ。
このまま息を引き取るように鎮まって、そして、大爆発を起こす。
九千年前と同じように。
大破局は、近い。
本当にもうすぐそこまで迫っている。
リアリは喘ぐように、長く息を吐いた。
ここのところ、ジリエスター博士の立ち合いをもとに、手分けして、“盾”と“方舟”と“円船”の整備にかかりきりだった。
仲間たち全員が、連日連夜の作業に徹していた。
交替で睡眠をとるようにしているとはいえ、疲労は蓄積されるばかりだ。
時間がない。時間が足りない。時間が――。
いま、こうしている間も、そのときは近づいている。
こんなところで無駄に時を浪費している余裕はない。
だけど、どうしてもいま、ラザにひとめ会いたかった。
「お待たせしました」
耳になじむ、硬質な声。
瞼を持ち上げると、残照を浴びて黒い輪郭のラザが立っていた。
「ラザ」
「なぜそんなに不思議そうな顔をしているんです。鎮魂祭に誘えと言ったのはあなたじゃないですか」
「だって、すごく忙しそうだったから……」
「忙しくても、あなたに会う時間はつくります。来てください、二人きりになりたいです」
「連れて行って」
リアリは腕を無防備に投げだした。
臆面もなく甘えたしぐさに、傍にいたディックランゲアの表情が嫉妬に強張る。
その眼の前をするりと通って、ラザはリアリの身体をふわ、と横に抱き上げた。
夕闇に透ける、研ぎ澄まされた美貌。
二人の姿があまりにも絵になって、これをまのあたりにしたディックランゲアは胸を衝かれたように、息を詰まらせた。
一拍遅れて、決死の待ったをかける。
「どこへ行くのだ」
「うるさいです。シュラ、ライラ、マジュヌーン、ハイド、邪魔が入らないように見張ってなさい。夜明けには戻ります」
「よ、夜明けまで二人でなにをするつもり――」
ラザは聖服の裾をひらりと返して、本神殿へと向かった。
静謐なる空間を抜け、礼拝堂に着く。
無人だったが、灯は点され、ぼうっと薄明るい。
聖壇の手前で足を止め、二人はしばらくそのまま見つめあった。
リアリは王族の正装で孔雀の羽根にみられる鮮やかな蒼装束、被り物、蒼い宝石。
ラザは聖徒殿主長の白は白でも、光沢のある、きらきらしい聖白の装束、黒指輪。
沈黙に色があるとすれば、それは黒に違いない。それも、重く、深い、闇そのもの。
「主長に、なったのね」
「あなたは、新二十一公主に」
リアリは身動ぎして、ラザの腕からおりた。
頭が下を向く。
手は少し浮かせて指先をほんの僅かに彼の胸においた状態で、視線を床に落としたまま、暗澹たる調子で言葉を紡ぐ。
「……私、ラザに話さなければならないことがあるの。でも、本当は言いたくない。なにも知ってほしくないの。わがままだけど、私、ラザの前では、王女とか公主とかじゃなくて、ただの“リアリ・ダーチェスター”でいたい……」
絞るような声だった。
語尾はほとんど掠れて、聞き取れないほど。
だがラザの耳にはきちんと届いていた。
彼は微動だにせず、応える。
「別にいいです。僕はあなたにどんな秘密があろうとかまいません。あなたがあなたであれば、それでいいんです。僕を、好きでしょう?」
「好き」
ラザの長い指が伸びて、リアリは顎を持ち上げられた。
「ちゃんと僕の眼を見て言ってください」
「愛しているわ、ラザ」
そう告げたリアリの顔を、左右からラザの五指をひらいた手が、がっと鷲掴みにした。
恐ろしく凄味のある明灰色の双眸が、一筋の狂気を孕んで、光る。
声は礼拝堂の隅々まで這うように低く通り、遠雷さながらに轟いた。
「僕もです。世界中であなただけが愛おしい。大切なんです。砕けるくらい、抱きしめたい。あなたが悲鳴を上げるくらい、すべてを奪い尽くしたい。
蹂躙して、征服して、その息の根を止めて、永遠に独り占めしたい。
僕は、あなただけを選べます。他は皆殺しにしてもいい。
いつか、言いましたよね? あなたのためならば、世界中殺して歩いてもかまわないと。
他にひとなどひとりもいなくなっても――まあ、カイザは例外として――かまわないんです。あなたさえいれば。でも、あなたはどうです? 僕だけを、選べますか?他を一切捨てても、僕を選んでくれますか? たとえば、いまここで、その命を落としても?」
リアリはいつかの自問自答を脳裏に回想した。
もしも愛する者が誰かと問われたならば、迷うことなく、それはラザだと答えることができる。
けれど。
そのために他の一切を捨てることができるかと訊かれたら、私は迷うに違いない。
私は迷うに違いない――。
リアリは、思わずラザから眼を逸らした。
はっとして後悔したが、既に手遅れだった。
「わかりました」
「違う――違うのよ、ラザ」
「別れましょう、リアリ」
リアリは蒼褪めた。
血が凍りつく。
一気に足の爪先まで白くなった。
「待って」
「あなたは自由です」
「待って!」
「僕はあなたを束縛しません。傍を離れます。それが僕に残された唯一の選択肢です」
「いやよ! いや! 絶対にいや! わ、別れるなんて言わないで。離れるなんて言わないで。それは、絶対に許さないって言ったじゃない。あんた、離れないって言ったじゃない。愛しているのよ、ラザ」
「僕だって愛しています。でも、あなたが愛しているのは僕だけじゃない――僕は生死にかかわらず、あなたの傍にいることがなにより一番重要だけれど、あなたはそうじゃない。他にも大切なことがあって、僕だけを選べない。だから、いまは仕方ないんです」
リアリはぼろぼろに泣きながら、袖から隠し短刀を引き抜いた。
鞘を捨てる。
「別れるなんて、撤回して。じゃないと殺すわ」
「いいですよ。ぐさっとやってください。ただし、僕を殺したあと、あなたも死んでください。僕のいない世界にあなたが生き残っているなんて、一瞬でもいやです」
ラザは大真面目に言って、無防備に腕を解き、胸をひろげる。
リアリは短刀を落とした。
礼拝堂の石床に鉄の音が冷たく反響する。
そのまま膝から崩れ落ちる。
へたり込んだリアリを、だがラザは助け起こさない。
「どうして」
「面倒くさい仕事を押しつけられてしまって。あなたの返答次第では、断ることもできたんですけど。でも、そうもいかないみたいで、がっかりです」
「わからないわよ。なんなの、その仕事って。私と別れなければできない仕事? なによそれ。いやよ。行かないで。行かないで、ラザ」
「行きます」
ラザは背を向けた。
「お別れです」
「――待ちなさいよ。夜明けまでは、いいんでしょ? まだ、時間あるじゃない。それまで、一緒にいてよ。一緒にいてくれるって、言ったじゃないの」
「でも、このままここにいたら、僕、ひどいことしそうです」
「ひどいことしてよ」
「いいんですか? 泣き叫ぶあなたを押し伏して、のしかかって、滅茶苦茶にしてしまうかもしれませんよ?」
「しなさいよ。いやってくらいあんたを私に刻みつけてよ。滅茶苦茶にして――あんたのこと嫌いになるくらい、激しく憎むくらい、ひどく抱きなさいよ!」
「上等です」
ラザはリアリの襟首を掴み、荒々しく引きずり寄せて、一気に唇を塞いだ。
歯がぶつかる。
舌が傷つき、血の味がじわっと滲む。
口腔がなぶられる。
激しいキスの雨が降る。
宝石の糸が引き千切られる。
蒼い宝石がばらばらと散乱する。
蒼い衣装が音を立てて胸元から左右に引き裂かれる。
リアリの剥き出しの白い胸に、爪を立てた指を這わせながら、ラザは言った。
「……僕を選ばない、あなたが悪いんです」
「……そうね。あんたを選べない、私が悪いのよ」
ラザの咽喉から細い嗚咽がひゅうっと漏れる。
明灰色の双眸から、ほろっと涙がこぼれて、リアリの頬に滴った。
リアリがラザの手にくちづけした。
ラザもくちづけを返した。
二人は重なった。ひとつになった。どちらも狂ったように互いを貪った。
名を呼びあいながら、強く、強く、強く、抱き合った。
そして別れの朝が来た。
別れた恋人たち。狂おしい思い。物語は終盤へ。
間もなく、第十話終了。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。