この胸の鼓動
カイザとリアリです。
ラザに知られたら怒られそうな二人です。
その夜は、再会を祝う宴が開かれた。
“方舟”の大食堂にて、関係者ほぼ全員が集まった。
ジリエスター博士覚醒の知らせは喜びと共に受け入れられ、あちこちに散らばって作業していた仲間たちを一堂に呼び寄せた。
懐かしい顔ぶれの他にも、その場に居合わせたとして、リウォード王、王弟リーハルト、王子ディックランゲアも招待され、宴を囲った。
大量の酒と肴が差し入れられ、あらゆる食材を運び入れて、めいめいが腕によりをかけて郷土料理をつくった。
食卓にはあふれんばかりのごちそうが並び、乾杯の嵐がいつまでも重なった。
食べ、飲み、笑い、どつきあい、抱きあい、歌い、号泣した。
過去を抉る、難しい話は一切されなかった。
たいていが現在の身の上の幸せ自慢で、他愛のない、だが、温かな情にみちた小話だった。
ジリエスター博士はひとりひとりの話を聞きたがり、そして誰も迷惑に思うものはいなかった。
皆、喜んで面白おかしく、多少の脚色も添えて話した。
だが誰も、正しく名乗るものはいなかった。
申し合わせたように、昔の名で呼びあった。
夜は賑やかに更けていった。
熱気にあてられて、リアリは外の空気を吸いに夜の砂漠へ出た。
満天の星を振り仰ぎ、深呼吸する。
まだ気が昂っていて、心臓が震えている。
「どうした」
振り向くと、カイザが立っていた。
「なんでも。ちょっと涼みに来たのよ」
「隣、いい?」
「もちろん」
カイザは自分の羽織っていた黒のマントをリアリに譲った。
肩にふわりとかぶせる。
「ありがと」
「……静かだな。星がきれいだ」
「うん。今日は色々なことがありすぎて、なにもかも、まだ信じられない……」
「ああ。俺も驚いた。お嬢、いきなり空から降って現れるなり、『博士が生きていたの! 来て!』だもんな。さすがに信じられなかったぜ」
リアリは博士と再会を果たした直後の自分の行動を思い返してみた。
まっさきに造船所へ転移し、組み立て作業中のカイザの懐へ飛び込んだのだ。
「で、でも、来てよかったでしょ? 博士にも会えたし、エイドゥだってはじめぶつぶつ文句言っていた割には、皆と会えて嬉しそうだわ」
「奴が一番はしゃいでる」
「よく喋っているものね。アレクセイとあんなに気が合うなんて思ってもみなかったわ」
「気なんてあっちゃいねぇよ。互いの話を聞かずに喋りたいことだけ喋りつくしてるんだ。うるさいったらありゃしねぇ」
「楽しそうだから、いいじゃない。レニアスを連れて来られなかったことは残念だけど。カイザ、迎えにいってくれたんでしょ? なにか言ってた?」
やや強張った表情で、カイザは口を濁した。
「……今日は忙しくて、抜けられねぇってさ。なんか、うん、残念がってた」
「そうね。でも、レニアスがラザの傍にいてくれるなら、それはそれでいいわ。ラザの安全は確保できるもの」
リアリは後ろからカイザに抱きしめられた。
リアリもカイザに身体を預けた。
しばらくそのまま二人は黙って砂漠に吹く風が紡ぐ砂の音に耳を澄ませていた。
「お嬢」
「ん?」
「俺にしてほしいこと、ねぇか?」
「なに、急に」
カイザが口を噤む。
リアリは首をひねりながら、
「そんなこと言いだすくらいだから、あんたこそ、私になにか用があるんじゃないの?」
腰にまわされた腕の力が強まる。
カイザの吐息が耳に触れた。
「……胸に、触りたいんだけど」
「……は?」
「絶対揉まねぇから、ちょっとだけ、触らせてくれ」
「……も、揉むって、ま、ま、待ちなさいよ、カイザ。あんた、なに言ってるの」
リアリは反射的に逃げようとしたのだが、がっちり拘束されているため、動けない。
「鼓動を確かめたいんだ」
カイザとリアリの眼が通じ合う。
「お嬢の、生きている鼓動」
言って、カイザの手がリアリの左胸におかれた。
ふくらみの形に無骨な形の長い指が、優しげに折れる。
リアリは柄にもなく硬直した。
「……ははっ。動悸、すっげぇ早い……緊張してる?」
「……あんた、まさか、私をからかっているんじゃないでしょうね?」
「まさか。柔らかくて、気持ちいい」
「ちょっと」
「な、ついでに、音も聴かせてくれよ」
「音?」
くるっと、身体を回転させられ、向き合わされる。
そしてカイザが身を屈め、胸にそっと耳を押しあてた。
「……聴こえる。生きている、音だ」
「……安心した?」
リアリは自然とカイザの頭を軽く抱きしめ、撫でていた。
静寂の中、宇宙のひろがりを感じさせる星の海の下、あまりにも小さく、だが確かに響く命の音。
二人はいつしかぎゅっと抱き合っていた。
「腹、決めたの?」
「決めたわ」
「また、九千年前と同じことを繰り返すつもりか」
「いいえ。今回は違う。手遅れになる前に手を打てる。それに、死ぬつもりもないの。絶対、皆で生き延びるんだから」
「それを聞いて安心したぜ」
「なによ。カイザだって、そのつもりで船を造成しているんでしょ。知っているわよ、不眠不休、力も使いまくり。最近、カスバじゃもっぱらの噂よ、あんた人間じゃないって」
カイザはリアリの耳元で笑い声を立てた。
「まあ普通の人間じゃあないことは、確かだな」
「ねぇ」
「ん?」
「エンデュミニオン、って、呼ばれたい?」
「いいや。お嬢こそ、リュカオーンって呼ばれたいのか?」
リアリは小さく首を横に振った。
「皆、今生の自分を故郷においてきて、いまここにいることは、愛する者のためだと覚悟を決めているのよ。本当は私もそう倣うべきなのかもしれないけれど、できるだけ、“リアリ”でいたいの。だから皆には呼びたいように呼んでもらうつもり。これってわがまま?」
「いいだろう、別に。呼び方なんてどうでも、お嬢はお嬢だよ」
「カイザ」
「なんだ」
「ひとつ、約束して」
「なにを」
「今回は、なにがあっても私をおいていかないで」
長かった第九話もいよいよ大詰めです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。