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千夜千夜叙事  作者: 安芸
第九話 王家の秘密
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なによりも大切なひと

 エルジュ、リアリを口説くの図。

 そして流暢なロスカンダル語を紡いだ。


「なぜ私をオランジェと呼ぶ?」

「……気を悪くしたなら謝るわ」

「理由を訊いているだけだ」

「別に……口を吐いて出たのよ。たぶん、エルジュ王としてのあんたのことをよくは知らないから。私にとっては、姿形は違っても、オランジェの方が馴染み深いの。でも、気をつけるわ」

「いや、名など、どちらでもかまいはしない。だが、エンデュミニオンはどうなのだ」

「エンデュミニオンは、ラザとカイザよ。二人のことは、そう呼ぶわ」

「釈然とせぬな」

「仕方ないでしょ。一緒にいた時間が違うんだから。私はリアリでいいし、ラザもカイザも、それでいいの。あんたのことは、どっちで呼ぶ?」


 エルジュは椅子の背もたれに寄りかかり、退屈そうに言い捨てた。


「おまえの好きな名で呼ぶがいい。私は私だ」

「そうね」

「しかし、わざわざ二十一公主を名乗るなど、ばかげている」

「そうね」

「余計な苦労を負うはめになっただろう。いや、そもそもその呼称自体、正しいものではあるまい」

「そうね」

 

 エルジュの首が、こちらを向く。

 黒い眼により深い黒い闇を際立たせて、見つめられる。


「また、同じ選択をするのか」


 声は違っても、痛みを内包する響きに聴き覚えがあった。


「ひとを救うために、起つのか」

 

 エルジュだけではなく、シュラーギンスワントの、ライラとマジュヌーンの視線も注がれている。

 じっと、リアリの返答を待っている。


「ええ」

「なぜだ」


 苛立たしげにエルジュが吐き捨てた。

 怒りも悲しみも不安も困惑も混ぜ合わさった、苦しげな声だった。

 リアリを揺さぶりたい衝動を堪えたのか、膝に置かれた拳が握り締められる。


「おまえは、普通に平和に暮らすことが望みなのであろう? だったら、今度こそ生き延びて、親しいものと共に新たな未来を築けばよかろう。ひととして幸せになればよい」

「もちろんそのために、力を尽くすつもりよ。誰も死ぬとは言ってないじゃない。今度は前のときと違って、こんなにも蓄積された星の力を制御できるすべがないもの。

 “道”は破壊されて、星脈は荒れ狂い、大陸は分裂、海も分断される。

 本当は全人類を救いたいけど、そこまで望むのは大それていると思う。そんな手段もないし、時間もない。できるだけばらばらに逃がすのが精一杯ね。

 結局は、方舟が唯一の頼みの綱……皆に言って、早めに家族や友人を連れて来た方がいいわね。それぐらいの贔屓は許されるでしょ」

「では、方舟に乗るのだな」

「できることを、やるだけやったらね」

 

 リアリは肩を竦めた。


「前にも私、言ったでしょう? せっかく守った生命の芽を絶やしてしまうなんてもったいないって。悔しいじゃないの、前世の私たちが命をかけて守ったものがここで終えるなんて――なによりも、大切な人たちを見殺しになんてできないわよ。たぶん、皆も同じ気持ちだと思うわ」

 

 エルジュはまだ半信半疑のようだが、一応、理解を示した。


「おまえが生き延びることを前提に力を尽くすというならば、私も協力しよう」

「ありがとう」

「ただし、今度は自分のために闘え。もし命を惜しまぬようだったら、私は力ずくでもおまえを止めて見せる」

「ええ」

 

 リアリは自分から手を伸ばしてエルジュを抱きしめた。

 あのとき――エンデュミニオンに置き去りにされ、必死に慰めてくれたオランジェ。

 愛を告げ、愛のままに我が儘に、愛を要求したオランジェ。

 いつか、と未来に思いを託すことでエンデュミニオンを愛することを許し、支えてくれたオランジェ。

 そしていままた、変わらぬ愛を捧げてくれる、オランジェ――エルジュ。


「あんたには感謝してる」

「感謝よりも、愛だ。私を愛せ。他の誰でもなく」

「無理よ。私は別の男を愛しているの」


 リアリはエルジュを放し、その表情を窺った。

 拗ねている。

 思わず笑って、衝動的に頬にキスした。

 エルジュは驚きいった顔で、眼を瞠り、硬直した。

 その様子がおかしくてまた笑ってしまった。

 だが次の瞬間、不意に手首を掴まれ、距離を縮められて顔がすぐ間近に迫ったので、どきっとした。

 キスされるかと、思った。

 だが瞳はもっと深刻で、薄く艶っぽい唇がなにかもの言いたげに震えた。

 顔の向きを僅かに変え、耳を寄せる。


「……愛している……」

 

 囁きは切なく、慟哭の如く、リアリの胸を抉った。

 エルジュの眼がオランジェのそれと重なる――心が揺さぶられる。

 困るのに――眼が眩む。

 震えが来るほど、血が昂る。


「オ、ラン……ジェ……」


 リアリは自分でもよくわからない引力に惹かれて、オランジェに顔を寄せていった。

 そこへ侍女がやってきて、王のお召しです、と告げた。

 はっとする。

 みっともないほど、うろたえる。

 リアリはいまなにをしようとしたのか、自分が信じられなかった。

 そんなリアリを端然とみつめて、エルジュは眼を落し、触れ合う手の温もりを惜しむように長い指を外した。

 いつもの傲慢不遜な態度からはちょっと想像できないくらい抑えた様子に、却ってリアリは動揺を隠せなかった。

 

 愛している――。


 耳の奥でこだまするひそやかな声に動悸がおさまらない。

 捩じ伏せたまなざし、向けられた背から漂う寂寥感。

 無言の叫びが胸を打つ。


 愛しているのに――なぜ、私のものではないのだ。


 リアリはリュカオーンの心が騒ぐのを感じた。

 同時に不可解だった。

 どうしてリュカオーンはエンデュミニオンとオランジェの両方を愛することができたのだろう。

 それにどうして、ラザなのだろう。

 よりエンデュミニオンに近いカイザではなく、オランジェでありながらエルジュとして、リュカオーンではなくリアリである自分を思ってくれる男でもなく、なぜ。

 わからない。

 ひとの心は複雑すぎる。

 リアリはエルジュにうまく応えられないことをすまなく思った。

 でも、詫びられることなど望んではいないだろうと、そのまま平生のふりをして、自分の心にも目をそむけて、行き過ぎた。


 昔の恋人がいまもあなたを特別に想っていると知ったら、うれしいですか? 困りますか?

 私だったら、うれしいけど、困る。でしょうか。

 

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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