二人の母
娘にとって母親というのは、やはり特別な存在です。
「シェラチェリーア様は、私を産んだこと、後悔されていませんか」
ほとんど衝動的に口をついて出た言葉だった。
リアリはちょっと下を向いて続けた。
「私、ずっと、望まれていない子供だと思っていました」
ルマ義母の息を呑む気配。
「だって生まれてすぐに余所の家に預けられるなんて、よほどの事情でしょう? やはり色々考えます。ダーチェスター家のひとは皆、私を愛してくれたから、全然寂しくはなかったですけど。
ラザとカイザがいてくれたから、孤独でもなかったけれど。
でも、どこかで苦しかった。もしかしたら、私の存在は禁忌で、私などいないほうがよかったんじゃないかって――えっ。ちょっとルマ義母様、泣かないでよ」
リアリはびっくりした。
ルマが突然泣き崩れたからだ。
聖徒殿の卒殿者で筆頭実力者のひとりである義母は、とにかく強く、鋼の心臓を持つことで知られているほど、非情かつ沈着だ。
そんな義母が誇らしく、見習おうと、手本にしてきた。
聖徒殿に入殿することは許されなかったものの、ローテ・ゲーテの民として一生暮らせるだけの生活能力と基本悪事は徹底的に叩き込まれた。
怒鳴られ叱られたことは散々あるが、泣かれたことは一度もない。
自分が身代金目的でさらわれたときすら、気丈だったと聞く。
そのルマが声を殺して泣いている。
「どうしたっていうの。な、なんで義母様が泣くのよ」
「……いないほうがよかったなんて、あなたが言うからよ。そんなふうに思っていたなんて、思わせてしまったなんて、私がだめな母親だったからだわ。情けなくて、悔しくて、泣けてくるの。申し訳ございません、シェラチェリーア様。大切な姫君をお預かりしておきながら、やはり私が母親では至らなかったようです」
「そんなこと言ってないわよ! なんでそんな話になるの。私が言いたかったのは、私の存在そのものが迷惑だったんじゃないかって――」
「どうして自分の子供を迷惑に思う親がいるの! 命を賭けて産んだ子供が大切じゃないわけがないでしょう。あなたはシェラチェリーア様が懸命に守り抜いた命です。私がお預かりし、育てた、かわいい、大切な……大切な」
「二人とも、こちらにいらっしゃい」
シェラチェリーアの優しい声に、ルマがはっとし、取り乱したことを恥じ入って身を慎み、従った。
リアリも手招きされるまま近くにいった。
「もっと傍へ」
手を伸ばせば届く距離まで近づくと、シェラチェリーアの細い腕が伸びて、リアリとルマの手を取り結び合わせた。
「リ・アリゼーチェ、あなたは私とリーハルト殿下の子供です。祝福されて生まれてきた、宝物なのですよ。いつだって、あなたを愛していた。ルマもそうです。皆そうです。ですから、自分を厭うようなことを言ってはいけません。皆の気持ちを傷つけることになるのですよ」
「ごめんなさい……」
「抱きしめてもいいかしら」
リアリはシェラチェリーアと抱き合った。
離れると、気恥ずかしい。
シェラチェリーアとルマはどちらも嬉しそうで、リアリは会いに来てよかった、と思った。
一目会うようにと、進言してくれたラザに感謝だ。
「あの……お母様とお呼びしてもいいですか」
「嬉しいわ」
「でも、あの、ルマ義母様のことも、そのまま呼びたいのですが」
「そうですね。母が二人、父が二人、贅沢な娘だこと」
屈託なくシェラチェリーアが声をたてて笑ったので、なにかを言いかけたルマだったが、口を噤んで顔を綻ばせた。
リアリも笑った。
幸せだった。
ひととして生まれるということは、こんなにもあたたかいものなのだと、知った。
しばし談笑したあと、シェラチェリーアが真顔になった。
「ひとつだけ、あなたに心して聴いてもらいたいのです」
「はい」
「王家の血を軽んじてはなりません」
声に物々しさが孕まれる。
まなざしはさきほどとうって変わって厳しく、逆らいがたい威厳が据わっていた。
「私にも、あなたにも、王家の血が流れています。古い、古い血です。来るべき日のために脈々と継がれてきた血です。ローテ・ゲーテ建国の折りより守られし誓いの下に受け継がれ、純血を保ってきた……あなたはその誓いの先にいるのです。育ちはどうあれ、あなたも王家の者として、三つのものを守らなければなりません。国民・国土、そして」
リアリは先んじて告げた。
「血統」
「そうです」
「秘密の間を守るために?」
「そうです。知っていたのですか」
「でも、秘密の間が開いてしまえば、純血を守る必要などなくなるでしょう?」
「――開けるのですか? あなたが?」
シェラチェリーアの声に緊張が奔り、顔から血の気がすっと引いた。
その意味するところをよく知っていて、恐れている反応だった。
リアリは千里眼の予言を引き合いに出すことはやめておいた。
真実だからといってすべてを明らかにしなくても、知る必要のある者だけが知っていればそれでいい。
リアリは表情が見えないよう俯き、口元に深い笑みを刻んだ。
「私が守らなければならないものは、王家の血ではありません。命です。皆の命。だから、それだけは守ります」
エンデュミニオンに逢い、愛し合い、幸せを得た。
あとは、種を守る。
それだけ。
それがために、甦ったのだと。
自らの命の意味を知ることは、幸だろうか、不幸だろうか。
答えなどない。
それを決めるのは自分だけ。
守りたい。
リアリは強く思った。強く、強く、思った。
“力”が必要だと思った。
リュカオーンとして目覚めるだけでは足りない。
もっと、もっと、強い力を。もっとずっと、巨大な力を。
「また来ます」
二人の母に短く暇を告げて、リアリは踵を返した。
次話、ディックランゲアとエルジュの小競り合い。
そして、リアリが動きます。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。