夢
母と娘です。
そして誕生秘話。
「……エンデュミニオンでなくて、悪かったな」
聴き覚えのある声。
ぼんやりとみつめる。
ややあって、焦点が結ばれる。
黒ずくめの異国の衣装に身を固めた男。
「……オランジェ」
「おまえの声が聴こえた」
リアリは引き寄せられ、胸にそっと、包まれた。
「放っておけなかった」
涙腺が決壊した。
リアリは泣きじゃくった。
小さな子供のように、生まれたての赤ん坊のように。声を上げて。
嬉しさのあまり。喜びのあまり。
命という奇跡の恩恵に胸がいっぱいになって、泣かずにはいられなかった。
我に返ったのは、しばらく経ってからだった。
口を利いたのはリアリが先だった。
「……リュカオーンの最期の願いは、ひとになることだったの。普通の平凡な人間に」
顔を上げたリアリの眦を、オランジェの――エルジュの親指が拭い、もつれた前髪を指で梳く。
「かなったではないか」
「……私、普通?」
「おまえはおまえだ。人工的に造られたおまえも、いまあるおまえも、姿形がどうなろうと、他の誰を愛していようと、約束を忘れて裏切ろうが、つれなかろうが、かわいくなかろうが、おまえは私の愛している者だ」
言って、エルジュは腕を解いた。
ベールを直し、リアリの服装を整える。
「いいかげんに泣きやめ。私はおまえの泣き顔は見厭きている。ブサイクだぞ」
「ブサイクで悪かったわね」
「怒るとますますブサイクだ」
「あんた、ひっぱたかれたいの?」
「っははははははははは。そうだ、怒っていろ。泣くよりましだ」
「うるさい」
照れ隠しも手伝って、リアリは素直にエルジュに礼を言えなかった。
ふと気づけば、物問いたげな幾つもの視線にぶつかって、我に返る。
「……ちょっと待って。あ、あんた、ここへどうやってきたの」
エルジュは答えず、腕を組み、明後日の方角を見た。
リアリはイラっとした。
「またそうやって、自分に都合が悪いとすぐ黙る。あんたね、子供じゃないんだから――」
扉を一瞥した。閉じている。開いた様子はない。
やはり、空間移動をしたのだ。
こんなひと前で!
本気でむかっ腹をたてながら、言い訳をどう工面したものかとしどろもどろになったとき、はじめて、寝台の上のまなざしをとらえた。
王家の碧青の瞳。
リアリは射ぬかれたように硬直した。
王弟妃は細く軽い笛のような音色の声を紡いだ。
「あなた」
「なんだね」
「三人だけにしてくださる?」
「よかろう。だが、無理をしてはいけないよ」
王弟は妻の額にくちづけし、離れた。
手を振る所作ひとつで、皆退出を促される。
義母ルマも無言のまま行き過ぎようとしたとき、
「ルマ、あなたは残って」
王弟が出ていく。
エルジュがリアリの手をすくい、指先に軽く口づけを落とした。
感情の読み取りがたい黒い眼が危惧している。
心の具合を案じられているのだ、と察して、リアリは視線で大丈夫、と告げた。
もの言いたげな王子を含む、全員が去った。
室内には王弟妃と義母ルマとリアリだけが残された。
王弟妃はルマの手を借りてゆっくりと起こされた。
じっとリアリを見つめて、眼元を和らげる。
「リ・アリゼーチェ」
「はい」
「幸せですか」
会いたかったとか、ごめんなさいとか、許して、ではなく。
そのどれを告げられても困っただろう。
なにも答えようがないから。
けれど。
「はい」
また涙がこみ上げる。
それでも笑顔を浮かべて、リアリは言った。
「幸せです、とても」
「よかった」
「家族がたくさんいるんです。大事なんです、皆」
ルマを見る。
ルマも眼を赤くしていた。
「賑やかでしょうね」
「はい、すごく」
王弟妃、シェラチェリーアは微笑んだ。
ジャスミンの花のように繊細で可憐な白い微笑。
息を整え、訥々と、語りはじめる。
「あなたを身籠った夜、夢を見ました。不思議な夢です。真っ暗な空間、足元には蒼い球体。どこから湧くのか、黒い宙の奥から溢れた光の雫は次々と蒼い球体へ降りていって、蒼い球体からも光の雫が昇って来ては、黒い宙に消えていきました。
その煌々たる光の洪水の中に、私はおりました。
そうするうちに、眩いひとつの光が私の胎に吸い込まれました。身籠ったのだ、と直感しました。そのとき、聴こえたのです」
シェラチェリーアは一呼吸おいた。
「逢いたい、と」
「……逢いたい?」
「そう、確かに聴こえたのです。そしてあなたが生まれた。あなたが逢いたいひとに逢えるように自由を、できるだけ王家のしがらみやしきたりより隔て、王城の外へと送り出すことにしました。私とリーハルト様で決めたことです」
言外に、おかしな予言などのためではないと、告げられている。
この瞬間、リアリはシェラチェリーアに対してどこか構えていた心の殻が、ぱらぱらと微片になって剥がれ落ちるのを感じた。
「逢いたいひとには、逢えましたか……?」
「逢えました……」
「それはさいわいです」
にっこりと微笑まれて、リアリは気圧され、頷いた。
この美しいひとは、見かけよりも遥かにはっきりとものを言う。
ふと、いまなら訊けるかもしれない、と思った。
逢いたいひとに逢えるならば、転生にも意味がある。そう思いたいものです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。