命の歓喜
母シェラチェリーアと対面です。
いつのまにか、周囲に人気が絶えていた。
王城とは思えないほどの静けさに包まれている。
着いた先はほぼ王城の最奥とも呼べる場所で、あろうことか、上部に防犯のための可動式の鉄の鎧戸まで設置されていた。
王弟が合図してはじめて衛兵が鎧戸を引き上げる作業にかかる。
二人がかりで、相応の時間を要した。
他にも二人の屈強な身体つきの近衛兵が扉の見張り役を務めていて、まず王弟、それからリアリとディックランゲア王子を認めると、黙って礼を尽くし、鍵穴に鍵を差し込み、錠を外し、扉を押し開く。
「さあ」
優しく王弟に促されて、リアリはいくぶん緊張気味のまま入室を果たした。
室内は明るかった。
採光のための窓の大きさも数も通常の倍もあり、更にバルコニーが隣接されている。
どこか窓が開いているのか、薄い紗のカーテンが揺れ、微かな風が通った。
調度類は驚くほど少なく、シャンデリア、窓際に設置された天蓋付きの寝台と椅子が一脚、小卓、花置き台、それに壁にかかる飾り角灯のみだ。
室内にはルマ義母と高齢の侍女がひとりいて、
「そなたの母の乳母だ」
と、王弟が紹介してくれた。
「ザーミーファと申します」
実直そうな灰色の眼、灰色のタウブに灰色のベールを身につけた、小柄でふっくらとした身体つきの老女は、皺だらけの手でリアリの手を握ると跪いて涙した。
やわらかい、ふにゃふにゃの肌は老衰を感じさせると同時に、あたたかく、慈しみを感じさせた。
「お待ちして申し上げておりました、姫様」
「シェラチェリーアの具合はどうだね」
「あまりよろしくありませんねぇ……でも、お元気になりますとも。こうして姫様の健やかな様子をご覧になられたら、それはもう、ええ」
リアリは姫様と呼ばれたことに、居心地の悪さを味わった。
気づいてみると、これまで名前に様付きで呼ばれていたことは、或いは王弟の配慮だったのかもしれないと思い至る。
自分が姫君と呼ばれることを嫌がっていたことを理解していてくれたのだ。
リアリは王弟の横顔を眺めた。
いままでまともに考えたことがなかったが、少しは似ているところがあるのだろうか?
「来なさい。あまり長くは話せないが、少しくらいなら大丈夫だろう」
リアリは頷いた。
口が、重い。
ルマ義母に視線をやると、目礼された。
それがまた他人行儀な感じがして、寂しさが募ると同時に、身体が強張った。
実の母に会うだけだというのに、なぜこんなにも足が竦むのだろう。
動けずにいると、ふわ、と肩を抱かれた。
ディックランゲア王子が、いかにも慣れないそぶりで、腕をまわしている。
「わ、私が傍にいるから」
だからなに。
とは、言わなかった。
一生懸命気遣ってくれている。
ぎこちない手の置き方がくすぐったい。
視界の隅では、シュラーギンスワントがライラとマジュヌーンと共に静観か乱入かと、行動を決めかねて葛藤している。
リアリは呼吸を楽にして王弟の傍にいった。
うまく王子の手が離れるように、滑らかに。
光射す寝台に近づく。
動悸が激しい。
自分の血の流れる気配すら鮮明だ。
呼吸。緊張。心拍。
全神経が膨張して、いまにも破裂しそうだ。
静寂。
視線を、落とす。
そのとき、一切の思考が停止した。
「シェラチェリーア」
王弟の声が遠くに聞こえる。
リアリは、鏡を見ているのかと思った。
すぐにそうではないことはわかったものの、驚愕はより膨らんだ。
寝台には、世にもきれいなひとが横になっていた。
光に透けて、溶けてしまいそうなほど明るく艶のある金髪は豊かに波打ってひろがっている。
彫りの深い美貌。鼻筋から頬、顎のラインにかけてたおやかなカーブを描き、唇は薄く珊瑚の色合いで、細い眉に長い金色の睫毛、瞼は貝のように優しげに閉じられている。
どこにも非の打ちどころのない美しさだった。
リアリは口元に手を運んだ。
おもむろに、察した。
血が繋がっている
血は繋がっている
私はひとりで生まれてきたわけではない
私はひとりで生まれてきたわけではないのだ
命――
これが、命
過去より連綿と受け継がれてきた証
母と父の、祖母と祖父の、もっとずっと遡り、何百年、何千年も前――
何千年も、何千年も、何千年も前――
燃えるロスカンダル
大地は陥没 海が割れ マグマが噴出した
猛り狂う星脈に“道”を築き 抑え込み 封じた
救えたのは僅かな命だったけれど
いまもまだ光を失っていない
この鼓動
これが命
私はひと
願うならば
次はひととして生まれたい
本当の人間になって もう一度逢いたい
逢って そして 愛し合いたい
――エンデュミニオン――
涙が迸る。
嵐のような歓喜。
リアリは仮面を引き千切り、両手で顔を押さえたまま、声ならぬ声を放ってのけ反った。
倒れかかった身体を、強い腕がさらった。
命そのものを考えるのと、本当にすごいな、と思います。
さかのぼって、さかのぼって、さかのぼると――アフリカの女性ただひとりに行きつくそうな。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。