唇を重ねて
またしばらく、ラザとはお別れ。 ロミ・ジュリみたいなふたりだな。
ジャスミンの香りで眼が覚める。
すぐ傍にラザがいて、異国の茶道具を使いお茶を注いでいた。
「いま起こそうと思っていたんです。おはようございます。身体はどうです? 昨夜はだいぶ無理をさせたので、今朝は相当きついと思うんですよね」
「……ん、おはよう、ラザ。起きるわ。だるいけど、なんとか大丈夫」
「朝食ができていますよ。ここで食べます? それとも下で?」
「下で。着替えたらいくわ。あ、でも替えの服がないわね。どうしよう」
「隣の衣装部屋になんでも揃っています。先に一服どうぞ」
ラザが茶器を差し出し、リアリはこれを受け取った。
「いい薫り」
「寝乱れたあなたの顔もいいですね」
「ばか」
ラザが微笑し、裸の肩に掛けものを羽織らせ、そのまま隣に腰かける。
リアリはお茶を啜る。
静謐な朝のひととき。
幸福だと感じる瞬間だ。
「リアリ」
「なに」
「本当の母君に会ってみては、いかがですか」
「なによ、突然」
「おそらくあなたが来るのを待っていると思います」
リアリは茶器の中の琥珀色の液体を眺めたまま、しばらく口を噤んでいた。
「でも、ルマ義母様が嫌な思いするんじゃない? キースルイ義父様だって、複雑だと思う。二人に悲しい思いをさせるのは本意じゃないわ」
「いいえ、逆です。おそらく二人とも、あなたが自ら足を運ぶことを、待っているはずですよ」
「でも、だって、第一……会ってなにを話せばいいの?」
腰に腕をまわされ、軽く抱き寄せられる。
「王子との婚約を解消してください」
「あはっ。そうね、そうしなきゃ」
「それから、感謝を」
「感謝?」
「ええ、僕からだと伝えてください。仔細はどうあれ、あなたを産み、僕と出会わせてくれた方ですから」
「ラザ……」
「本当は僕が直接出向いてお礼を述べたいところなんですけど、もし殺したくなったら、困っちゃいますから」
「は?」
「我慢できないと思うんですよね、僕」
「ちょっと、こ、殺しって、なんでよ。やめてよ!」
「だって、あなたとよく似ているらしいじゃないですか。王弟がそう言っていたでしょう。あなたと同じ顔をした女性が他の男のものなんて、気分が悪いです。うっかり手を出してしまいそうです」
ありえそうで怖い、とリアリは心底恐怖した。
なにも言えぬままかぶりを振ると、ラザは肩を竦めた。
「だから、いまは遠慮しておきます。それに、僕、やることができまして。行かなければならないんです。しばらくあなたにも会えないかもしれません」
リアリの茶器を支える指に力がこもった。
顔も声も曇るのがわかる。
「仕事?」
「大仕事です」
「……あ、会えないって。し、仕事じゃ、仕方ないけど……でも、あの、ラザ」
「はい?」
眼の中に互いの姿が映し出される。
リアリは自分がたまらなく不安定な形相をしているのを見取った。
――――行かないで。
――――離れないで。危険なの。
とは、言えなかった。
リアリは力なく微笑した。
「……わかったわ。気をつけて」
「はい」
温もりが離れる気配に寂しさを感じて、リアリはラザに擦り寄った。
ラザが悪党顔でにこりとする。
「……へぇ。朝から誘惑ですか。昨夜あれだけ激しかったのに、まだ足りないと?」
「違う。ちょっとだけ、くっついていたいだけよ。あんたが、しばらく会えないなんて言うから」
「あなたを王宮に送り届けるまでは一緒にいますよ。道中、危ないですからね」
リアリはクスッと笑った。
「カスバのどこが危ないのよ。生まれたときからここにいるのよ? 勝手知った庭も同然、変な奴なんて私が捌いてやるわ」
「悪い狼と変人と暗殺者はどこにでもいますから、用心に越したことはありません。王宮に着いたら、シュラとライラとマジュヌーンが待っているはずです。合流してください」
感極まって、リアリはラザにキスした。
キスが返ってくる。
唇を割られ、柔らかく舌が滑りこんできた。
求められ、口腔内で絡む。
息もできない。
背筋がぞくっと痺れる。
甘い刺激に恍惚となりかけたところで、重ねられていた唇が離れた。
残念に思う間もなく、鼻の頭、頬、瞼、額、髪の順に優しいキスの雨が降り、最後にぎゅっと抱きしめられる。
「愛しています」
背に強く指が食い込み、後頭部を掻き抱かれる。
いつもよりきつい抱擁に、なぜか、なぜか、不安が湧いた。
顔を上げ、ラザの明灰色の眼を覗き込む。
なにも読めなかった。
追及もできなかった。
悪い予感の兆しのようなものに、息苦しさを感じた。
頭皮にあたるラザの左手に嵌められた指輪の感触が、いつまでも尾を引いた。
長かった八話が終わりを告げ、いよいよ、後半へ突入です。 双子弟カイザ・ディックランゲア王子・エルジュ王との絡みをお見逃しなく。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。