誤解
かーっ。
甘い、甘い、甘い。
書いていて、自分で恥ずかしいほど甘い。
でも、好きです。こういうの。
ラザが隠れ家に帰りついたときには、既に夜も更けていた。
護衛と見張りを兼ね、屋外にて待機していたレニアスを下がらせる。
ラザはミシュラハを脱ぎ、揺れ椅子の背凭れにかけた。
リアリに呼びかける。
だが返事がない。
一階は居間と厨房と浴室と厠だけで、そのどこにもいる気配がなかった。
二階は寝室と書斎と衣裳部屋があるので、そのどこかだろうと階段を上ったところで、廊下に蹲るリアリをみつけた。
「どうしました」
リアリはぼろぼろに泣きじゃくっていた。
激しい泣き方だった。
顔は真っ赤、瞼は腫れ、嗚咽をしゃくりあげ、涙の痕が痛々しい。
「なぜ泣いているんです。誰に泣かされたんです。言いなさい、すぐに殺します」
リアリは顔を覆っていた手をそのままラザの襟首に持っていった。
「……ここ、新しい隠れ家よね。だ、誰の家なの」
「僕です」
「誰か、他のひと、いれた……?」
「レニアスだけが知っています。他にはあなただけですよ」
「嘘つき」
細い指が袖口から細身のナイフを滑るように抜いた。
熟練した動きは滑らかで、そのままラザの頸動脈に狙いを定めて振るわれた。
「なんなんですか、いったい」
ラザはリアリの攻撃の手をあっさりと止めて、ナイフを取り上げ、手を握った。
「どうして僕が嘘つきなんです。理由を言ってください」
「寝室に女の匂いがするわ」
「は?」
「嗅いだこともない珍しい香油の匂いがしみついているのよ。ラ、ラザは仕事があるから香油なんてつけないでしょう? だから、誰か、ベットに……入れたんでしょう? 誰? 私の知っている女? 知らない女? どんな女? きれい? かわいい? う、浮気? そ、それとも、ほ、本気なの?」
「落ち着いてください」
ラザはリアリを抱き寄せた。
はじめリアリは強固に抵抗したが、それも続かなかった。
すぐにラザの胸に縋るようにしがみついて、しゃくりあげた。
「いつからなの? そ、そのひと、を、す、好きになったの? だから……最近私につれなかったの?私に会うよりも、そのひとの方が、大事になったの? わ、私はもうどうでもいいの? 私のことは……好きじゃなくなったの? どうして? ねぇ……ちょっと、なんで笑っているのよ。なにがおかしいの。笑わないでよ、私は真剣なのよ!」
「すみません。あんまりにも嬉しくて」
リアリは逆上した。
「なにが嬉しいのよ。笑ってんじゃないわよ。私は気が狂いそうなのに――んっ」
ラザの唇がリアリの唇をきつく塞いだ。
頬を両手で挟み、斜めから覆いかぶさるように、息を奪う短くも獰猛なキスだった。
ラザは唇を離し、額をくっつけたまま、リアリに甘く微笑んだ。
「あなたの嫉妬が嬉しくて、つい笑っちゃいました」
「こんなキスでごまかされないわよ。嫉妬? するわよ! あたりまえでしょう。自分で自分が怖いくらいよ。ローテ・ゲーテは多夫多妻が認められているんだから、独占なんて命懸けじゃなきゃ無理だもの。半端な気持ちじゃあんたの傍になんていられないし、いたくない。言っとくけど、譲らないからね。あんたの本妻は私よ。もし、二番目の奥さんが欲しいなら内緒にしないでそう言って。闘うから。私に勝つような女なら、認めてあげるわ。負けるような女なら追い出してやる。だから、なんで笑うの。むかつくわね」
「すみません。それから?」
「それから、そうね……も、もし、私より先に相手に子供ができても、私のことも見捨てないで。私より大事に……しないでほしいの。これは、単なる我が儘だけど……でも、私をひとりにしないで。寂しくさせないで……忘れないで……お願いだから」
リアリは再びぼろぼろと涙をこぼした。
ラザの神経質そうな手が、リアリの無防備な後頭部を優しく撫でる。
「泣かないでください。誤解ですよ」
「なにが」
「全部。他の女なんていません。あなた以外誰も好きじゃありません。そんなこと、とっくの昔に知っているとばかり思っていましたけど」
ラザはリアリを抱き上げて、そのまま寝室へ運んだ。
寝室は無茶苦茶に荒らされていた。
寝具は引き裂かれ、調度類はひとつも無事でなく、壁にはこれみよがしに刃物の傷跡。
「派手にやりましたね」
「誰だって怒るわよ。ベッドに他の女の残り香なんて嫌すぎる」
「違います。この香油はあなたのために買って用意しておいたものをレニアスが割ってしまったんです。絨毯を敷くときに飾り棚にぶつかって瓶を落としたんですよ。この部屋には窓がないから、しみついた匂いはなかなかとれなくてまいってたんです」
「……だって、香油以外も、調度類は女性好みだったわよ。この部屋だけじゃなくて、この家全部、ラザの趣味じゃないじゃない」
「ええ。あなたの趣味に合わせたつもりだったんです」
「えっ、私?」
「どうして素でびっくりするんです。まさか本気の本気で僕の浮気を疑っていたんじゃないでしょうね? 第二の奥さんがどうとか、見捨てるとか、ひとりにするとか、なんだとかかんだとか、あれはもちろん全部冗談ですよね? 僕が、この僕が、あなたをないがしろにするわけがないこの僕が、あなた一筋まっしぐらのこの僕が、本気の浮気を真面目に疑われるなんて、そんなことあるわけないですよね。ね、リアリ? どうなんです? 答えてください。さあ」
破顔。
リアリはとろけるように笑み崩れて、ラザの首に腕をまわし、ぎゅっと抱きついた。
「ごめん」
「僕にはあなただけです」
「ん」
「納得しました?」
「ラザは私に嘘をつかないから」
リアリは腕をといて、ラザの髪に指を潜らせ、頭を撫でた。
「ごめんね。部屋をめちゃくちゃにして」
「そんなものはいいんです。どのみちあなたが気に入らなければ全部そっくり替えるつもりだったので。それよりも、僕の濡れ衣が晴れたところで訊きたいんですけど」
ラザは滅多刺しにされたクッションや枕、切り裂かれた上掛けなどの寝具がそのままのベッドにリアリを下ろした。
足元に跪く。
立てた片膝に肘をかけ、上目遣いにリアリを見つめ、にこっと笑む。
「あなた、エルジュ王とディックランゲア王子に言い寄られているそうですね」
次話、立場逆転。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




