地下牢
お忘れですね? エルジュの従者、ヒューライアーの再登場です。
地下一階にあるそこは、すべての公式文書・図録・建築設計書にすら記載されていない場所で、暗殺の任務に携わった者だけが知らされる秘密の間だった。
一切の口を利くことを禁じられているので沈黙の礼拝堂と呼ばれ、自分が命を奪った数だけ銀の受皿に蝋燭を立て、火を点し、短い祈りを捧げる。
反省の意があるものもないものも等しく課せられた儀式である。
ラザもまた例外でなく、階段状につくられた赤煉瓦の献火台に銀の皿をひとつ増やした。
礼拝堂といっても、正規の表のものとは異なり、装飾や偶像の類は一切ない。
面積も奥行きも天井までの高さも相当な規模を誇るが、すべて蝋燭で埋め尽くされている。
赤々と罪の証の火が燃焼する。
聖徒という名の暗殺者たちが柄にもなく敬虔な気分にさせられるのはこの一瞬だけである。
あとは、また指令が下りれば世間という修羅場に死を携えていかねばならない。
ラザはどこか浮かれた調子のレニアスと側近の何名かを連れて地下から上がり、そのまままっすぐに書庫に向かった。
「やっぱりラザがいると違うな!」
「なにがです」
「ラザがいるとさあ、聖徒殿の空気がきりっとするんだよ。ほら、ここしばらくラザ留守だったろ。いないとこう、だらけるっていうか活気がないっていうか、礼拝も華がなくて間の抜けた感じになるし、俺も退屈だわ心配だわでなにもやる気が起きねぇし、いいことねェ」
ラザの眼帯に覆われていない片目が剣呑な光を帯びた。
「……退屈? 君には僕の代行と赤の魔法使いの見張りと副主長の補佐と日常業務をこなすように命じたはずですが、まさか怠っていたんですか……?」
「ま、まさか! ちゃんとやった! 本当だって、手は抜いてねぇよ!」
「本当に?」
「本当! 絶対! 俺ラザに嘘つけねぇし!」
「だったらいいです。君の報告通りと受け止めます。僕、今日は書庫に用があります」
「えっ。しょ、書庫?」
眼に見えてうろたえたレニアスにラザは不審のまなざしを向けた。
「書庫がどうしました。なにか不都合でも?」
レニアスはふるふると首を振った。
なぜか表情に焦りと曇りがある。
ラザが追求しかけたそのとき、不意にレニアスの足が止まった。
「えーと。悪ィ、ちょっと野暮用ができた。俺少しあとから行くわ。先に行っててくれ。クナウド、ハートレー、ミザイア、ラザを頼む。一瞬も傍を離れるんじゃねぇぞ」
明らかに挙動不審だったがラザはかまわないことにした。
レニアスを絞ることなどパン生地を煉るより易しい。
書庫はローテ・ゲーテ建国当初より残る長方形に半円の屋根を合わせた建造物で、伝統的なファサードの彫刻が歴史的価値を生み、何度も改修工事を重ねて現在に至る。
中はうす暗く、静穏で、やや黴臭かった。
脚立がなければとても手の届かないくらいの高さがある頑丈な棚はひしめくように列をなし、そのどれも、びっしりと書物が詰まっていた。
ラザは中央の司書室にいって書名を伝え、何冊か借り受けると側近に持たせた。
「それから稀少本閲覧室の利用許可を」
「では、こちらに署名を。――ご案内します」
書庫とは、隠語で土牢を指す。
司書とは表向きで、その実は囚人管理が主な仕事である。
稀少本閲覧室の利用許可を得ることは、囚人へ面会を願い出ることであり、ルクトール王の僕たる身の赤い魔法使いヒューライアーはここに幽閉されていた。
真っ暗な地下の土牢にこもる血と糞尿の臭い。
ラザが燭台の灯を掲げさせると、壁の高い位置に打たれた鉄輪に両手首を繋がれて、ぶら下がるような恰好で、見るも無残に傷めつけられた男の裸身が光の中に浮かび上がった。
地下ときて、牢ときて、ラザとくれば。
ここはやはり、責め立てるべきか……?
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。