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千夜千夜叙事  作者: 安芸
第七話 前世
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運命の恋人たち

 カイザとリアリ=エンデュミニオンとリュカオーンです。


 リアリは完全に気配を絶って、カイザを見つめた。

 造船所の天井付近は光届かず、暗い。

 その影の中にて、少し首を落とし、垂直に立った姿勢で下に眼をやる。

 カイザは大勢の工人に指示を与え、会話をしながら、いっときも作業の手を休めることがない。

 顔にはクマができて、若干やつれたような面持ちだ。

 あの顔は、知っている。

 寂しさと苦しさに耐えかねて、眠りを放棄し、限界まで動こうと決めたときの顔だ――。

 かつて、オランジェがリュカオーンに始終つきまとっていたとき、エンデュミニオンは昼も夜もなにかしら仕事をしていた。

 そうして他に注意を逸らしているふりをして、ただ苦しみ続け、ある日いきなり倒れた。

 リアリはそのときのことを思い出して、はあ、と溜め息を吐いた。


「ちっとも変ってないじゃないの」


 嫌なら嫌と、ひとこと口にすればいいのに。

 リアリはちっ、と舌打ちして、胸の内で呼びかけた。


 カイザ


 それで十分だった。

 四、五人と机上で図面をひろげて額を突き合わせていたカイザが、不意に、天井の一点を仰ぐ。


「休憩にしよう。おーい、皆ぁ、飯でも食ってきてくれ」


 合図とともに喧騒がひいて、所内は空になった。


「危ないから降りてこいよ」


 呼びかけられ、リアリはゆるゆると垂直降下した。

 カイザが腕をひろげている。

 その顔つきは硬く、引き攣り、切羽詰まっていた。

 リアリはわざと空中で止まった。

 カイザの指先がほんの僅かに届かない、という位置に。


「なんでンなとこで止まるんだよ」

 

 カイザは苛々を隠さずにさっさと来い、という所作をした。

 リアリはふん、とそっぽを向いて、空中で膝を抱えた。


「だって、私たち喧嘩中でしょ。色々考えることがあるから私と離れていたいって、そう言ったのあんたじゃない」

「お嬢と喧嘩なんかしねぇよ。俺が勝てねぇの、わかりきっているじゃねぇか」

「わかりきっているなら、売るんじゃないわよ」

「わかりきっているなら、買うんじゃねぇよ」

「また減らず口をたたく」

 

リアリは罵った。


「だいたい、私のことが心配なら心配って言いなさいよ。変な距離なんてとらないで、ずっと傍にいればいいじゃないの。どうせ夜も眠らずに悪いことばかり考えていたんでしょ? 私が他の男に口説かれたり、手を出されていないかどうか考えすぎて、おちおち寝てなんていられなかったんだわ。どう、図星でしょ?」

 

 カイザの眼が獰猛な強さを漲らせる。

 暗く、禍々しく、恐ろしい顔だ。

 そうして凄んでみせるところは、まごうかたなき、ローテ・ゲーテの暗黒街の一員である。


「……ああ、そうだ。ああ、そうだよ、その通りだ。ここんとこずっと寝てねぇよ、寝られるわけないだろうが。なんで他の男を傍に寄せんだよ。なんでいつもいつも、やたらにメンドクセェ奴らに惚れられンだよ。いい加減にしてくれって、こっちの心臓がもたねぇよ。本当に、気が狂いそうだ――お嬢で頭がいっぱいで、考えたくねぇのに、考えちまう。くっそ、本気でいかれそうだ……」

「頭がいかれそうなのは、私だって同じよ。怒りで、頭も胸もはちきれそう」

 

 きっ、とカイザを睨んでリアリは言った。


「傷ついたんだから」

「え?」

「すごく悲しかったんだから。ほ、他の誰かに言われてもなんともないけど、あんたには言われたくない。離れたい、なんて、どうしてそんなこと言うの。もう二度と、言わないで。言わないって誓いなさいよ、いまここで! あんたが誓うまで、ここから降りてなんてやらないんだから」

「ごめん」

 

 カイザはふっと浮いて、丸まったままのリアリをぎこちなく抱き寄せた。


「もう言わねぇ。誓う。俺が悪かった……泣くなよ。お嬢を泣かせたなんて兄貴に知られたら、息の根を止められちまう」

「ばかばかばか」

 

リアリは腕を投げ出して、カイザの首にしがみついた。

 身体にカイザの腕がまわされる。


「ごめんな……」

「ばかばかばか。カイザのばか。やっと、やっと逢えたのに――ずっと、ずっと待っていたのに――もう一度逢えるのを、私がどんなに……っ」


 嗚咽が漏れる。

 流れる涙が止まらない。

 カイザの腕の力がいっそう強まる。


「俺だって、逢いたかった……逢いたかったんだ、ずっと……っ」


 リアリはカイザの鎖骨に甘えるように鼻頭を擦り寄せた。

 カイザはリアリの白いうなじに愛しげに唇を這わせた。


「……エンデュミニオン?」

「ああ」


 鼓動が一際、高なる。

 リアリはこて、と頭を預けた。

 否、身体ごと預けた。


「……リュカオーン?」

「そうよ」

 

 確かめるまでもないことだったが、言葉にしたかった。

 声で肯定して欲しくて、互いにそうした。

 二人は抱き合ったまま、しばらく互いの鼓動を聴いていた。


「最期、よくも置き去りにしたわね」

「俺がおまえを先に死なせるわけがないだろう。それに、もう時効だ」

「そうね、時効ね。でも、二度目は絶対に許さないわ」

 

 リアリは身体を離して、カイザの顔を凝視した。

 カイザが小さく頷いて、なにごとか言いかけたとき、外が騒がしくなった。

 工人たちが戻ってきたようだ。

 カイザの指がリアリの眦を優しく拭う。

 涙の滴をすくった指先を舐める。

 それから、ぐっとリアリの肩を抱いて、引き寄せた。

「場所を変えよう」


 前世の恋人たち。

 の巻でした。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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