運命の恋人たち
カイザとリアリ=エンデュミニオンとリュカオーンです。
リアリは完全に気配を絶って、カイザを見つめた。
造船所の天井付近は光届かず、暗い。
その影の中にて、少し首を落とし、垂直に立った姿勢で下に眼をやる。
カイザは大勢の工人に指示を与え、会話をしながら、いっときも作業の手を休めることがない。
顔にはクマができて、若干やつれたような面持ちだ。
あの顔は、知っている。
寂しさと苦しさに耐えかねて、眠りを放棄し、限界まで動こうと決めたときの顔だ――。
かつて、オランジェがリュカオーンに始終つきまとっていたとき、エンデュミニオンは昼も夜もなにかしら仕事をしていた。
そうして他に注意を逸らしているふりをして、ただ苦しみ続け、ある日いきなり倒れた。
リアリはそのときのことを思い出して、はあ、と溜め息を吐いた。
「ちっとも変ってないじゃないの」
嫌なら嫌と、ひとこと口にすればいいのに。
リアリはちっ、と舌打ちして、胸の内で呼びかけた。
カイザ
それで十分だった。
四、五人と机上で図面をひろげて額を突き合わせていたカイザが、不意に、天井の一点を仰ぐ。
「休憩にしよう。おーい、皆ぁ、飯でも食ってきてくれ」
合図とともに喧騒がひいて、所内は空になった。
「危ないから降りてこいよ」
呼びかけられ、リアリはゆるゆると垂直降下した。
カイザが腕をひろげている。
その顔つきは硬く、引き攣り、切羽詰まっていた。
リアリはわざと空中で止まった。
カイザの指先がほんの僅かに届かない、という位置に。
「なんでンなとこで止まるんだよ」
カイザは苛々を隠さずにさっさと来い、という所作をした。
リアリはふん、とそっぽを向いて、空中で膝を抱えた。
「だって、私たち喧嘩中でしょ。色々考えることがあるから私と離れていたいって、そう言ったのあんたじゃない」
「お嬢と喧嘩なんかしねぇよ。俺が勝てねぇの、わかりきっているじゃねぇか」
「わかりきっているなら、売るんじゃないわよ」
「わかりきっているなら、買うんじゃねぇよ」
「また減らず口をたたく」
リアリは罵った。
「だいたい、私のことが心配なら心配って言いなさいよ。変な距離なんてとらないで、ずっと傍にいればいいじゃないの。どうせ夜も眠らずに悪いことばかり考えていたんでしょ? 私が他の男に口説かれたり、手を出されていないかどうか考えすぎて、おちおち寝てなんていられなかったんだわ。どう、図星でしょ?」
カイザの眼が獰猛な強さを漲らせる。
暗く、禍々しく、恐ろしい顔だ。
そうして凄んでみせるところは、まごうかたなき、ローテ・ゲーテの暗黒街の一員である。
「……ああ、そうだ。ああ、そうだよ、その通りだ。ここんとこずっと寝てねぇよ、寝られるわけないだろうが。なんで他の男を傍に寄せんだよ。なんでいつもいつも、やたらにメンドクセェ奴らに惚れられンだよ。いい加減にしてくれって、こっちの心臓がもたねぇよ。本当に、気が狂いそうだ――お嬢で頭がいっぱいで、考えたくねぇのに、考えちまう。くっそ、本気でいかれそうだ……」
「頭がいかれそうなのは、私だって同じよ。怒りで、頭も胸もはちきれそう」
きっ、とカイザを睨んでリアリは言った。
「傷ついたんだから」
「え?」
「すごく悲しかったんだから。ほ、他の誰かに言われてもなんともないけど、あんたには言われたくない。離れたい、なんて、どうしてそんなこと言うの。もう二度と、言わないで。言わないって誓いなさいよ、いまここで! あんたが誓うまで、ここから降りてなんてやらないんだから」
「ごめん」
カイザはふっと浮いて、丸まったままのリアリをぎこちなく抱き寄せた。
「もう言わねぇ。誓う。俺が悪かった……泣くなよ。お嬢を泣かせたなんて兄貴に知られたら、息の根を止められちまう」
「ばかばかばか」
リアリは腕を投げ出して、カイザの首にしがみついた。
身体にカイザの腕がまわされる。
「ごめんな……」
「ばかばかばか。カイザのばか。やっと、やっと逢えたのに――ずっと、ずっと待っていたのに――もう一度逢えるのを、私がどんなに……っ」
嗚咽が漏れる。
流れる涙が止まらない。
カイザの腕の力がいっそう強まる。
「俺だって、逢いたかった……逢いたかったんだ、ずっと……っ」
リアリはカイザの鎖骨に甘えるように鼻頭を擦り寄せた。
カイザはリアリの白いうなじに愛しげに唇を這わせた。
「……エンデュミニオン?」
「ああ」
鼓動が一際、高なる。
リアリはこて、と頭を預けた。
否、身体ごと預けた。
「……リュカオーン?」
「そうよ」
確かめるまでもないことだったが、言葉にしたかった。
声で肯定して欲しくて、互いにそうした。
二人は抱き合ったまま、しばらく互いの鼓動を聴いていた。
「最期、よくも置き去りにしたわね」
「俺がおまえを先に死なせるわけがないだろう。それに、もう時効だ」
「そうね、時効ね。でも、二度目は絶対に許さないわ」
リアリは身体を離して、カイザの顔を凝視した。
カイザが小さく頷いて、なにごとか言いかけたとき、外が騒がしくなった。
工人たちが戻ってきたようだ。
カイザの指がリアリの眦を優しく拭う。
涙の滴をすくった指先を舐める。
それから、ぐっとリアリの肩を抱いて、引き寄せた。
「場所を変えよう」
前世の恋人たち。
の巻でした。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。