口喧嘩
少し切ないカイザとリアリです。
「店を休むって、いきなりなんで」
リアリは朝一番で造船所に乗り込んだ。
そして開口一番、言った。
カイザはなんでも造船の仕事を請け負ったらしく、帰宅もせずに造船所に泊まり込み、なんのかんのと、まともに顔を合わせていない。
伝言や差し入れなどしても、返事は人伝えで、素っ気ないことこの上ない。
その上、造船所は人の出入りが激しく、機材の搬入なども頻繁なので関係者以外立ち入り禁止、リアリも危ないから近寄るなと念を押されていた。
それでも、呼べばなにを差し置いてでも来てくれるのだろうが、危急の用でもないのに仕事の邪魔をするのは気がひけたし、同じ商売人として反則だろうと判断して、無理矢理顔を見るのは諦めた。
やむなく、リアリはカイザの身体が空くのを待っていたのだが、すれちがいばかり続く。
おまけに、しばらく店じまいするという話をお客から聞いた。
衝撃だった。
リアリはカイザの胸倉を鷲掴みにして、苦痛の表情を浮かべ、罵倒した。
「なんでそんな大事なこと、教えてくれないの。なんでそんな話を、他人から聞かなきゃならないの。なんでこの私が、なにも知らないの。なんでよ、どうして!」
リアリはカイザの胸を拳で叩いた。
カイザは反論も言い訳もせず、黙っている。
「なにがあったの」
「なにも」
「教えてくれないの?」
「なにもない」
「じゃあどうして眼を見てくれないの。なぜ私を、さ、避けるのよ」
カイザの伏せられていた眼がリアリをとらえる。
その明灰色の瞳にいままで見たこともないような苦悩が揺らいでいて、リアリの昂っていた感情はすっとおさまった。
「……本当になにがあったのよ」
カイザの手が浮いて、リアリの髪を梳き、頬をなぞり、首筋を伝って、肩に触れ、腕を撫で下ろし、腰で止まった。
「……カイザ?」
カイザの眼が細められる。
ふうっと熱を帯びて瞳孔が輝き、もの言いたげに唇は抑揚し、ついで、どちらも切なげにギュッと閉じられた。
「……俺の、名前は?」
「え?」
「俺の名前」
「カイザ・ダーチェスター」
リアリが小首を傾げて答える。
するとカイザは大きく息を吐いて、リアリの身体から大きな手を外した。
「お嬢」
「なに」
「俺、ちょっとおかしくてさ。色々考えることがあって、やることもあって、少し――ほんのちょっとだけど、お嬢と離れていたいんだ」
「……離れたい?」
「ごめんな」
心底すまなそうに謝られて、余計にリアリは傷ついた。
離れたい?
カイザが私と?
驚愕と混乱と衝撃と悲しみでリアリはほとんど茫然自失に陥った。
それでも気力を振り絞ることができたのは、日頃の冷静・自制・抑制訓練の賜物だろう。
「じゃ、じゃあ、ちょ、ちょうどよかった。私、これから砂漠に出るから。ペトゥラ遺跡に行って来る。シュラと――あと、数名で。用事がすんだら戻るから、心配しないで」
突然カイザの手が伸びて、手首を拘束される。
「ペトゥラ? 誰と一緒だ」
リアリは口ごもった。
急に、いつものカイザの裏の顔が現れる。
「誰と行くんだ」
凄まれて、リアリは不意に怒りを覚えた。
「誰だっていいでしょ」
「よくねぇ。男か? 誰だ? ロキスか? まさか王家がらみの連中じゃねぇだろうな」
「カイザに私のことをどうこういう権利はないわ」
リアリはカイザの手を乱暴に振り払った。
距離をとる。
「自分は肝心なことをなにも言ってくれないのに、私のことだけ束縛しようなんてずるいわよ。私のことだって放っておいて。なによ、カイザなんて――好き勝手すればいいじゃない。私の面倒なんてみないで、なんでも好きなことを考えて、なんでもやればいい。わ、私と、は、離れて――なんでもどこへでもいけばいいわ! カイザなんて知らない!」
言いすぎた、とは思いながらも口が止まらなかった。
子供のような癇癪で駄々をこねてしまった羞恥心と、それを上回る傷つけられた心が、リアリを追いたてた。
踵を返す。
カイザはあとを追ってこなかった。
そのことがまたリアリを凹ませ、意地を張らせた。
リアリはディックランゲア王子の提案で共にペトゥラ遺跡へ足を運ぶことを決め、休みをもらい、店を皆に任せることを告げると、どこからかそのことを聞きつけたエルジュが同行を申し入れてきた。
病み上がりの異国の賓客になにかあっては大変だとレベッカが医術師としてついてくることになって、それを知ったナーシルが護衛と手伝いを買って出た。
リアリとナーシルが不在の間、ロキスが店の手伝いをすることを約束してくれたので、心置きなく出立の準備を整えた。
いざ、砂漠へ。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。