向けられた背中
ばちばち弾ける展開も好きですが、暗澹と物憂げな雰囲気も好きです。
「カイザ、入るわよ」
午後、病室に顔を出したリアリは驚いた。
「ちょっと、なにしてるの!」
カイザはちょうど着替えている途中で、半裸だった。
鍛えた身体に厚く巻かれた包帯が痛々しい。
傍では既に身支度を整えたエイドゥ・エドゥーがレベッカとわあわあやりとりしている。
「まだ寝てなきゃだめじゃない。無理したら傷がひらくわよ」
「もう大丈夫だって。これ以上寝ていたら暇で死ぬ。店に戻る」
「怪我したときくらいおとなしくしていなさいよ。だいたい、暇ってほど暇してないでしょ。ベッドにまで仕事持ち込んでいたくせに」
「長老連が嫁をとれってうるさいんだよ。毎日来るんだぜ、つきあっていられねぇっての」
カイザはいつものように黒一色の出で立ちを整えた。
無言で袖口を直すさまは、少し痩せたせいもあって、凄味を増している。
リアリはレベッカ、と横合いから声をかけた。
「ねぇ、カイザ、本当に動いても大丈夫なの?」
レベッカはエイドゥを押しやって、リアリにどさっと、布包みを手渡した。
「だめって言ったところでききやしないんだから仕方ないよ。まったく、どいつもこいつもわからずやばかりさ。これには治療薬と煎じ薬と処方箋が入っているから、あとでよく読んどくれ」
「わかったわ、ありがと。ね、どいつもこいつも、って、他に誰のことよ」
「エルジュ王さ。会議だの会見だの視察だの、予定が詰まっているとかで、怪我した翌日から連日出歩いている。昨日は昨日で、あんたを捜してわざわざ城下町までいったくらいで――」
「え?」
レベッカは失言だと気づいたようで、口をつぐんでしまう。
リアリが追求しかけたところに、カイザがぬっと、顔を突き出してきた。
「お嬢、どっかいくのか」
「ちょっとね、最長老のお宅へ」
「じゃ、送っていく」
「シュラがいるから大丈夫よ」
「俺が一緒にいたいんだ」
カイザはエイドゥに話をつけて、先に店に行くようにいってから、振り返った。
「少しくらい、俺と二人きりでもいいだろ」
そう言ったカイザの眼はいつになくもの侘しげで、リアリは断ることができなかった。
「……どうかした?」
「ん? なにがだ?」
明灰色の双眸は陰りを帯びて、深い。
問いかけるような、問い詰めるような、迷っているような、狂っているような、おちつきのない色を浮かべている。
リアリが見つめる前で、カイザは眼を逸らした。
ごまかすような、浅い笑い。
「いこうぜ」
釈然としないまま、リアリはカイザの腕に促されて部屋を出た。
城下町の雑踏にまぎれて歩く。
午後のちょっと遅い昼食をとるひとびとで、周囲は賑わっていた。
カイザはリアリの手を握って、人波をすいすいと縫って行く。
怪我など微塵も感じさせない動きだ。
「ねぇカイザ」
「あー?」
「お願い。エルジュ王のこと、今回だけ見逃してちょうだい」
うんと言うわけがない。
なにしろ一時危篤の状態にまで陥ったくらいだ。
まさに瀕死の状態、本気で危なかったのだ。
いくら相手が異国の王と言えど、なんの報復もしないなどありえない。
だが、
「お嬢の頼みなら、仕方ねぇな」
あっさりと承諾されて、リアリは拍子抜けした。
却って疑り深くなってしまう。
「いいの? あとから闇討ちとか、奇襲とか、暗殺とかだめよ?」
「しねぇよ」
寡黙な背中がなんだか遠く感じられて、リアリは急に寂しくなった。
カイザの様子が、よそよそしいような気がする。
そのくせなにか隠しているような、奇妙な後ろ暗さをにおわせている。
リアリはカイザの手をぐっと引っ張った。
カイザが怪訝そうに振り向く。
「なんだか、カイザらしくない」
「え、なに」
「だっていつものカイザなら、『ぶっ殺す』とか『拷問送りにしてやる』とか『ふざけんじゃねぇ』とか、必ず言うのに。潰された家の件もなんにも言わないし、昨日のことだって……私がラザとデートしたこと、知っているんでしょう? いつもなら『兄貴だけズルイ』とか『俺も俺も』とか、絶対食い下がってくるのに。なんで、なにも言わないの? おかしいわよ、あんた」
するり、とカイザの手が離れる。
虚脱したように力なく佇むカイザはいつになく儚げで、リアリはたじろいだ。
永遠に消えない傷を負ったような眼が、リアリを映したまま、細められる。
喧騒と衆人でごったがえしているのに、胸を突かれるような寂寞感がある。
もの言いたげに、カイザの薄い唇が上下した。
しかし言葉を紡がないまま、カイザは虚ろに微笑して、身を翻した。
顎をしゃくり、先を促されて、渋々リアリはあとを追う。
それは、どこかで見たしぐさだと、思った。
脳内映像とかぶる人影。
しかし相手の顔は不鮮明だ。
それきり、最長老の家までカイザは無言だった。
着くなり姿を消してしまう。
リアリはひとごみにまぎれたカイザの後ろ姿に、泣きたいような気持ちで悪態をついた。
次話、リアリが最長老のもとへ直談判に参ります。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。