異国の王の告白
エルジュ王登場。
逃げて、追われて、つかまえて。
そして。
その黒いまなざしに威圧されて、リアリは硬直したように佇んだ。
はじめて見る顔なのに、懐かしい感じがした。
だが同時に、自分の心を気持ち悪いと思った。
「かわいい大きな虎もいるなあ。僕と遊んでくれないかなあ」
「――ヒューライアー、男と虎を押さえておけ」
「うん、わかった」
男が午後の光を斬るように、まっすぐにこちらへ向かってくる。
シュライザーがリアリを護ろうと前衛に出ようとして異変を察知した。
身体が動かない。
「リアリ様、お逃げください」
我に返って、リアリは身を翻した。
黒髪の男が追いかけてくる。
中庭を突っ切るように、緑の影の中をリアリは走った。
長くは走れなかった。
石畳に爪先をひっかけ、転倒しそうになったところを、たちまち追いついた男の腕が伸びて胴部を支えられた。
背後から抱き竦められる恰好で。
「なぜ逃げる」
声は、深くて艶があり、神経に触った。
「怪しいから」
「私は怪しい者ではない。ルクトールの王、エルジュだ」
「わかったから、放してよ」
「おまえは?」
「名乗る必要ないでしょ。放してってば」
「この私から逃げて、この私に名乗らせて、この私を袖にするとは、怖いもの知らずの娘だ。気に入った。さすがは裏切り者よ、いまも昔と変わらず手強いな」
リアリは束縛から逃れようともがいた。
だが、男の腕はびくともしない。
「……ひと違いよ。あんたなんて知らないわ」
「なにをつれないことを。あんなにも愛しあった仲ではないか」
リアリは戦慄した。
この男は頭がおかしい。
「私が愛しているのは他の男よ」
「いいや、おまえは私を愛している。私を忘れたのか? ならば、憶い出させてやろう」
急に顎を持ち上げられ、角度を変えられて、唇を塞がれた。
乱暴で息の根を止めるような、深いくちづけ。
異国の強烈な甘い香りが鼻孔をくすぐる。
リアリは男の胸を拳で叩いた。
抗議は逆効果で、いっそう強く抱きしめられる。
呼吸の苦しさから一瞬力が抜けたところへ、するりと熱い舌が差し込まれる。
口腔をなぶられる。
それも優しく愛撫の如く。
脳天に突き抜けるくらいの快感に、リアリは不覚にも腰が砕けそうになった。
男はリアリの頬に両手を添えながら、ようやく離れて言った。
「……これでもまだ憶い出せないか? 私は一目でおまえだと気がついたというのに、おまえときたら、まったく薄情なことだ」
リアリは間近にある男の黒い眼の中に、哀しみと喜びが混然一体となって明滅しているのを見た。
確かに、この眼を知っているような気がする。
でも、どこで……?
「……あんた誰……?」
なにかが、胸の奥で閃いた。
そのときである。
寒々しい声が、落雷の如く轟いたのは。
「そこでなにをしているんです」
「手を放せ。お嬢から離れろよ」
「その方は私の婚約者だ。勝手に触れないでくれ」
いずれの声明もただならぬ気配を帯びている。
一瞬にして左右両方から空気に亀裂が入り、中央に挟まれた格好のリアリは、渦巻く嫉妬の嵐で圧迫死するかと思われた。
左側にラザとカイザ、そして彼らの連れのレニアスとエイドゥ。
右側にディックランゲア王子と琥珀の瞳にゆるく束ねた長い金髪の藍色の制服制帽を着た政務官。
いまのいままで無防備にライラとマジュヌーンをかまっていた赤ずくめの男は状況の悪化にようやく気付いたようで、慌てて駆け寄ってくる。
リアリは男の腕から逃れようと抵抗した。
しかしがっちりと腰と肩を押さえられ、離れられなかった。
ルクトールの王と名乗った男が横柄な口をきく。
「貴様らはこの娘のなんだ」
「いま現在は恋人で、未来の夫です」
「いまはただの幼馴染だけど、未来の第二の夫だ」
「カイザ。それは諦めなさいと何度も言っているでしょう。リアリは僕のです」
「俺だけのけものなんていやだ! 兄貴とお嬢だけ夫婦なんてずるいだろうが!」
「いや、リアリ殿はそもそも私の婚約者なのだ。お二人がリアリ殿と夫婦関係を望まれるのだったら、第二夫、第三夫であろう。あくまでもはじめの夫は私だ」
三者三様の主張により、三つ巴の冷たい戦争が勃発した。
そこへ更に余計な合いの手。
「いずれも諦めるのだな。この娘は私の伴侶だ。私たちは愛しあっているのだ」
「愛しあってないっ」
「……そういうつれないことを言う口はどの口だ。もう一度塞がれたいのかね」
「僕、なにか手伝う?」
ほとんど無邪気なまでに空気が読めない赤ずくめの男は、行儀も悪く、居並ぶ面々を指差した。
「斬って捨ておけ」
「うん、わかった」
リアリが止める間もなかった。
それは、一瞬の出来事だった。
四つ巴の冷たい戦争勃発です。
はっきり言って、リアリ、もてまくり。
迷惑! と彼女は言いそうですが。笑。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。