一触即発
リアリの仮面がはずれました。
外はスコールだった。
叩きつけるような本降りの雨の中、ラザとカイザは昨日まで自宅のあった場所、“アンビヴァレント”前に着いた。
そこは瓦礫の山で、いまは天空に聳えるような巨大な卵型の石塊が残るのみ。
家屋はまさに跡形もなく、壊滅していた。
激しい雷鳴。
午後をまわったばかりだというのに、厚い雨雲に覆われているためか辺りは暗い。
時折白い稲光が閃いて、物言わぬ石塊を照らし出す。
その石塊に寄り添うように、ひとつの人影があった。
「……いましたね」
ラザは眼帯を毟り取って捨てた。
ゆっくりと、はじめて翼をひろげる鳥の如く両腕をひらいていく。
手袋を嵌めたままの指先は不穏な形に折れている。
まっすぐに伸びた背、首だけが少し俯き加減に落ちている。
正確な足運びは見事に一切の気配を立ち、水溜りを踏んでもまったく音を欠いている。
「……よくも僕のリアリをあんな目に遭わせましたね……償いは死であがなっていただきましょうか」
ディックランゲア王子が振り返ると同時に、キースルイとルマ、それに“陽炎”の集団が雨煙の中から姿を現した。
不敵に嘲笑うラザ。
「――カイザ」
「任せろ」
ラザの数多の死にまみれた歩みは止まらなかった。
激しい雨も蒸発させるかのような凄まじい怒気と殺気が全身から放たれていた。
「実の父母とはいえ、邪魔をするなら殺します」
「実の息子とはいえ、王子に手出しは許さんぞ」
「許しなど要りません。僕は殺したいとき殺したいだけ殺します」
「……おまえはまさに聖徒殿の申し子だな」
「あなた方の息子です。育て方がよかったですね。肉親といえども、義理も恩も情もあっても殺せます。その僕を怒らせたのです。死に方は選べませんよ」
カッ、と一際白い閃光が散った。
わずかに遅れて鼓膜を突き破るくらいの雷が轟く。
同時にふっとラザの姿が消失する。
同じくキースルイの姿も。
一瞬の攻防。
だが、どちらの手も寸でのところで停止した。
争いの渦中、ど真ん中に、リアリが文字通り降って来た。
砂漠虎ライラの高い跳躍が一気に距離を詰めて王子とラザとの間に飛びいったのだ。
「リアリ」
「やめて、ラザ」
「なぜです。あなたにそんなひどい怪我を負わせた者を生かしておくことなどできません。退いてください。それとも、まさか、庇うのではないでしょうね」
「庇わないわよ。恩を売るの」
言って、リアリはライラの背を降りて、ラザの前に立ちはだかりながら王子と正対した。
ディックランゲアは呼吸するのも忘れて、息を詰めたままリアリに見惚れていた。
土砂降りの雨の中、雷光を背に、傷だらけの身で仁王立ちをする娘。
仮面のないその顔は筆舌に尽くし難い白皙の美貌、蒼褪めていてさえいっそう美しい。
そして、無類の碧青の瞳。
ひとめその眼を見たときに、なぜ気づかなかったのか。
リアリは王子を睨み、周囲を睥睨して一歩も退かぬといった形相で宣言した。
状況は最悪だ。
眼の前には“陽炎”の集団が王子を護衛する布陣を敷き、こちら側にはラザに従う聖徒の集団、カイザに従う仕事仲間の集団がそれぞれ集結している。
そしてリアリには彼らを抑えられるすべはない。
リアリができることといったら、この集団を率いるラザとカイザを説得することだけだ。
本来王家のための機関である聖徒殿の者が王族の命を脅かそうものならば、それは逆心ありとみなされ、制裁を受けねばならない。
聖徒上一位の首座にあるラザとて、ただではすまないだろう。
そんなことには、させない。
リアリは自身の血が流れるのも構わず、声を落とした。
「誰も一歩も動かないで。王子が死ぬわよ。そっちの、聖徒殿のラザのオトモダチも動かないでね。あとカイザのオトモダチも。皆、絶対に動くんじゃないわよ」
「……無理をして。まだ動ける身体じゃありませんよ。どうしておとなしく寝ていないんです」
「あんたが王族抹殺なんて企むからでしょうが。やめてよ。王族を殺したら大陸指名手配がかかるわよ。いくらなんでも逃げられないわ。私、死ぬまで逃亡生活なんてまっぴらごめんよ」
「捕まるようなへまはしません。すべて返り討ちにしてあげます」
「そうじゃなくて。私はね、このローテ・ゲーテで一生安泰に暮らしたいの。普通に仕事して、結婚して、子供を産んで、年をとりたいの。平凡でもいいから皆で仲良く暮らしたいのよ。だから王子には手を出さないで。ついでに言っとくけど、王家の誰にも手を出さないで」
「やっぱり庇うんじゃないですか」
「庇ってないってば。ちょっと王子、いまの聞いていました? これは私の貸しですよ。本当ならラザに殺されたって文句が言えないんですからね、それを止めたのですから、王子は私に借りができたんですよ。いつかここぞというときに、返してもらいますからね」
「ああ、よかろう」
但し、とディックランゲアは先を続けた。
「私が君に借りを作るのはこの場のいざこざのためではない。私の浅慮のために君に怪我をさせてしまったからだ。すまない。君を傷つけるつもりはなかったのだ……」
「すまないと思うなら、余計なこと言わないでくださいっ。ラザを止めるの大変なんだから……で、聞かせなさいよ。それなに」
「それ?」
「その卵みたいな石の塊ですよ。よくもうちを潰してくれましたね。あとでエイドゥに彫刻させてやるわ。それでカスバの名物にしてガッポリ儲けてやるんだから」
ぶはっと、噴いて笑ったのはひとりふたりではない。
キースルイとルマは苦笑し、ディックランゲアは眼を点にしている。
ようやく、雨が小降りになって空が晴れてきた。
「……名物、は、無理だと思うが」
「なんでよ――あ、もうダメ。立ってられない。座りたい。ライラ、ごめんね、ちょっと乗せて」
「ライラじゃなくて僕に抱いてと言えばいいでしょう」
「待てよ。兄貴だって怪我してるんだし、俺が抱えるよ」
「だめです。リアリは僕のです。僕の奥さんになるんですから僕が抱っこします」
「リアリが兄貴のだってことはわかってるけどさ……でも、何年でも何度でも言うけど、俺だけのけものなんていやだからな。兄貴がリアリと結婚するなら俺だってする。第二夫でいい。じゃないと、絶対結婚なんて認めないからな」
「だめです。リアリは僕が独り占めするんです」
「いやだ。リアリと兄貴だけ夫婦なんて、仲いいなんて、絶対にいやだったらいやだ。俺をひとりにするなんてひでぇよ。断固阻止! 絶対阻止! 猛烈阻止! 阻止ったら阻止!!」
「うるさい。ちょっと、二人とも黙っててよ。その件はあとで揉めて。いまは違うことを話しているんだから」
ぎゃあぎゃあと喧しいことこの上ない連中に毒気を抜かれたのか、王家専属護衛部隊の“陽炎”も殺しにかけては凄腕のラザとカイザのオトモダチも、皆まとめて姿を隠した。
とりあえず、一触即発の危機的状況は回避されたのだ。
そして雨が上がった。
もう少し、続きます。
よろしくお願いいたします。
安芸でした。