エピローグ
完結です。
いままでおつきあいいただきましたみなさま、ありがとうございました!
心から感謝し、お礼申し上げます。
スクランブル交差点の信号待ちは長い。
夏の陽射しは照り返しが強く、暑いばかりか、眼に痛く、この待ち時間は拷問だ。
七月のバーゲンセール初日の土曜ということもあって、駅周辺や表参道のにぎわいはひとだかりがすごかった。
ようやく、信号が青に変わる。
「暑い。ねぇ、アイス食べてこ」
「いいね、いいね。どこいく?」
「ね、みてみて、あのひとかっこよくない?」
クラスメイトの綾子に肩をゆすられて、巴は向かい側からこちらへ歩いて来る長身の男を見た。
ディオールオムのブラックシャツにストレートジーンズ、黒のレザースニーカーにシャンパンゴールドカラーのサングラスをひっかけている。
巴が反応しないので、綾子は千波に話を振る。
「グラサンかけてて顔わからないし」
「いやいや、あのスタイルのよさ、モデルかも。金髪だし」
行き交う人波のアスファルトに落ちた濃い影を踏みながら、交差点中央に着く。
巴は足を止めた。
男も止まった。
ちょっと先を歩いていた綾子と千波は、巴の様子には気がつかずに、はしゃぎながら男の横を通り過ぎる。
男の手がサングラスを外し、流れるようなしぐさでシャツの胸ポケットに挿す。
眼が青い。ブルーグレイだ。彫りの深い顔立ち、高い鼻、シャープな顎、白い肌。
「遅い」
「悪い」
「十六年も待ったんだから」
「俺は二十五年捜していた」
「九歳差か。まあ、それなりにつりあうような年齢差でよかった、かな」
「は、年齢差なんて関係ないね。赤ん坊だろうが、婆さんだろうが、おまえはおまえだ」
鞄を持ったまま、巴は肩をすくめた。
「それはそうね。私だって、あんたがどこの誰でもかまわないもの。ね、国籍は?」
「ロシア。モスクワの下、トゥーラに生まれた」
「モスクワ? 結構遠いな。遅いなんて言ってごめん。よく見つけられたね。私、記憶はあるけど“力”がなくなっちゃったから、捜すの大変だったでしょ」
「逢えたからいい」
男の顔がほころぶ。
笑うときれいで、白皙美形の角がとれて、かわいい。
言うと怒りそうだから言わないが。
「あんたは? 私を見つけられたってことは、“力”、あるのかな。記憶はあるよね。だってなにげに私たちローテ・ゲーテ語で会話しているし」
「“力”も“記憶”もあるよ」
「ふうん。ところで、あんた、ラザ? カイザ? それとも――エンデュミニオン?」
巴がいないのに気づいて、綾子と千波が引き返してきた。
「どうしたのよ」
「知り合い? まさか……彼氏?」
「えーと」
日本語に切り替えて、巴は男を見上げた。
そういえば、まだ名前を訊いていない。
「あんた、名前は?」
「おまえの好きな名で呼べばいい。俺は俺だ」
巴が躊躇していると、綾子に胸のリボンを引っ張られ、千波にヘッドロックをかけられた。
「え、なになに。ちょっと、紹介してよ!」
「ひとりでずるい! どこでこんなかっこいいひとと知り合ったわけ?」
「ロープロープ」
巴は男にひょいと救出される。
セーラー服のリボンが絞まって、結構本気できつかった。
「とりあえず、信号点滅しているし、渡ろう」
「あ、本当だ」
「やば。走ろう」
ところが慌てるあまり前につんのめって、転びかける。
腕を掴まれる。
「危ない」
と言って、男は身を屈め、巴は足をすくわれた。
これを目の当たりにした綾子が叫ぶ。
「ぎゃーっ」
千波は眼がハート。
「姫だっこ! いいなあ」
巴は「往来! ここ往来だから!」と焦ってみたものの、男はどこ吹く風である。
男の胸はひろく、あたたかく、少し汗で湿っていた。
「愛している」
見上げると、男の眼が優しく笑んでこっちを覗きこんでいた。
「聴こえた?」
「それだけ?」
巴は挑発的に口の端を持ち上げた。
男の眼に火が点いて、不敵で獰猛なまなざしにとって代わる。
「いいや。この続きを聴かせるために、俺はいまここにいるんでね」
「うん」
「俺と結婚してくれ」
横断歩道を渡りきったところで、男は巴をとん、と路上に降ろした。
そのまま真剣な眼で巴から顔を逸らさない。
その様子が怒っているようにも見えたので、綾子と千波は不安そうに巴の脇腹をつついた。
「なに、ケンカ?」
「ちがう、ちがう」
巴は咳払いして、二人に向き合った。
「えーと。このひと、私の旦那様」
綾子と千波は辺りの通行人が全員こっちを振り向くくらいの素っ頓狂な声をはりあげた。
「えーっ」
「うそーっ」
男は日本語がわからないので、怪訝そうに顔をしかめている。
巴は「嘘じゃないってば」と言って、男に向き直った。
「誓いのキスをして」
「返事をもらってないが」
「そんなの決まっているでしょ」
ああもう、めんどくさいな。
巴は男の唇に噛みついた。
「わっ。大胆」
「巴やるぅ」
うるさい外野に睨みをきかせつつ、巴は言った。
「私も愛しているわよ。大好きなの。いますぐあんたの妻にしてよ」
男の腕が身体に巻きつく。
絞殺される勢いの抱擁は苦しいけれど嬉しくて。
男の骨ばって力強い指が顔を鷲掴みにする。
目深に覗きこまれる。
その眼の持ち主を私は知っている。
「逢いたかった」
巴も笑って答えた。
「逢えてよかった」
そうして男の名を呼んだ。
完
千夜千夜叙事、完結です。
原稿用紙千枚越え。ひええええ。なんと長い物語になったことか!
最後までお付き合いいただきました皆様、本当に、本当にありがとうございました。感謝いたします。
追記。完結表示が出ていないのは、まちがいではありません。
物語は終幕ですが、このあと、座談会というか、おまけというか、ちょっとつけたいかなー、と思っております。お暇な方は、そちらもどうかおつきあいいただければ、さいわいです。
色々まだまだ語り足りない部分はありますが、ひとまずこれにてお暇を。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




