手段など選ばずに
ナーシルとレベッカです。
物語の片隅でこっそり進めていた小さな恋の物語の結実です。
突然起きた大地震により、首都スライセンは真っ二つに裂けた。
巨大な割れ目が深々と黒いまにまを覗かせている。
ローテ・ゲーテ様式の美しい建造物群は軒並み原形をとどめずに崩壊し、道は盛り上がり、陥没し、あちこちで火の手が上がっていた。
ひとの悲鳴や怒号、助けを請う声、戸惑い、狂乱し、救いを求める。
犬が吠え、鶏が甲高く警告を発し、鼠の群れが一目散に内陸へ向かい走り去っていく。
「走れ! 津波が来るぞ――!」
「高いところへいけっ。早くしろ! 逃げろ、逃げろ!」
「助けて、子供が――」
「じいちゃん! じいちゃん!」
城下町もほぼ全壊していた。
家屋は倒壊、瓦礫の山がそこかしこに堆く積っている。
逃げ遅れていたもの、救助にあたっていたもの、避難を呼びかけていたため被災したもの、怪我のため倒れているもの、死傷者は夥しい数に上るだろう。
「ナーシル!」
医術師レベッカは声を大に張り上げた。
彼の気配を探り、ここへ転移したものの、肝心の彼の姿は見当たらない。
「どこだい、返事をおし!」
と、不意に側面から炎のつぶてを浴びる。
驚いて咄嗟に力で消したものの、瓦礫の内奥でいまだ燻っている。
不安がこみ上げる。
冷たい恐怖に咽喉がひきつる。
「ナーシル!」
もし倒壊に巻き込まれて、この瓦礫の下敷きにでもなれば、怪我は免れない。
下手をすれば即死だろう。
まさか。
まさか、そんな。
「ナーシル!」
声が空しく宙空へと吸い込まれていく。
灰色の煙が幾筋も上がっている。
風は途絶えていた。
ただただ、血なまぐさいむっとした臭気が大気にみちている。
いましがた、“道”の起点の封印が破られた。
あとは時間の問題だ。
星脈はいままさに地球の内部を荒れ狂ってみちつつあるのだ。
時間がない。
残された時間がない。
そうでなくとも、まもなく小惑星が地表に衝突し、エコーレ山は大噴火を引き起こす。
その規模はどちらも計り知れない被害をもたらすだろう。
まさしく、滅亡の危機だ。
足元に、見慣れた眼鏡が落ちていた。
身を屈めて拾う。
つるが片方とれてしまっている。
脳裏に浮かぶ、背筋のまっすぐに伸びた背の高い男の後ろ姿。
――ナーシルのものだ。
「ナーシル! 頼むから、返事をしておくれ」
「ここです」
レベッカは柄にもなく慌てふためいて辺りをみまわした。
姿がない。
力をきった。
眼につく周囲のすべての瓦礫を垂直に宙にもちあげた。
「ナーシル」
捜しびとは血まみれだった。
レベッカは石の山を無人の道端に放り出し、ナーシルの傍に駆け寄って膝をついた。
「怪我は」
「私より、先に最長老を診てください。庇ったのですが、さっきから意識がないんです」
レベッカは最長老マルス・フォーオーンの脈と呼吸と外傷を確認した。
「失神しているだけだね。それより、あんたの方が重傷だよ。額が割れているじゃないか。それに眼の上と、顔と、肩に……ああ、肋骨も何本かいってるね。腕は無事か。足は……」
不意に手首を掴まれて、レベッカは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだい」
「なんだいじゃないでしょう。いままでどこにいたんですか。私がどれだけ捜したと思っているんです。あなたときたら、毎度毎度行方知れずで、もういい加減にしてください!」
その剣幕にレベッカはたじろいだ。
「な、なにを怒っているんだい」
「怒りますよ! ひとをこんなに心配させて、あなたってひとは、本当にどこまで自分勝手なんですか」
「し、心配なんてしてくれなくても、私ゃひとりで大丈夫さ。それより、あんたこそ――」
「『ひとりで大丈夫』? へぇ……この期に及んで、まだそういうふざけたことを言うんですか」
ナーシルの手に力がこもる。
掴まれた手首に指が食い込む。
目深に覗きこんだ眼は怒りとも哀しみともつかぬ熱が滾っていて、その有無を言わせぬ迫力にレベッカは怯んだ。
「私の心配なんてどうでもいいと、そういうことですか」
「そ、そうは、言ってやしないよ。だけどいまはそんな押し問答をしている暇なんてないんだ。早く逃げないと」
「早く逃げないと、どうなるっていうんです」
レベッカは苛々を募らせて言った。
「危ないんだよ。わかりきったことを聞くんじゃない、さあ、方舟へ行こう」
「私の身を案じてわざわざ捜しに来てくれたのに、私があなたを心配する心はどうでもいいんですか」
「だからそうは言ってないと――」
むっとしてレベッカが睨みを利かせたとき、ナーシルの唇に口をふさがれた。
きつく、激しく、口腔を蹂躙されて、抵抗空しく、窒息寸前まで離れなかった。
そして、解放されたかと思いきや、告げられた。
「好きです」
「……は?」
「『は?』じゃありませんよ。あなたが好きです。愛しています」
「……は?」
「結婚してください」
「……は?」
ナーシルの眼が凄みを帯びる。
睨み殺されそうな気配にレベッカは思わず身を引くと、逆に胸に抱き込まれた。
「告白しているんです。言っておきますけど、逃がしませんよ。私がいつまでも遠慮していると思ったら、大間違いです。
ひとがおとなしくしていれば、あなたときたら、いつまでもひょいひょいどこかにいって、たまにしか顔を見せやしない。もう待つのはうんざりです。ですから、強引に話を進めさせてもらいます。
いいですか、いまこのときから、あなたは私の妻です。結婚の儀式も誓いの言葉も新婚旅行もあとです。いいですね」
思わずかぶりを振ろうとしたレベッカだが、頭部をがっちりと押さえられた。
「あなたが断れば、この場で私は咽喉を突いて死にます」
レベッカは息を呑んだ。
「……本気ですよ?」
拘束が緩む。
いつのまにか、ナーシルの手には短剣が逆手に握られていた。
その刃先はぴたりと彼の頸動脈にあてられている。
「脅迫で女をものにしようなんて、姑息じゃないか」
レベッカの批判をナーシルは鼻で嗤った。
「言ったはずです。私もローテ・ゲーテの男だと。欲しいものを得るために手段など選ぶはずがないじゃないですか。ましてや、こうでも言わないと、あなた、私をおいてどこかへ去るつもりだったでしょう?」
レベッカは答えなかったが、揺らぐ瞳は雄弁に肯定していた。
「あなたと離れるくらいなら、命などいりません。本当はもっと早くにこうしたかったくらいです。あなたの放浪癖のせいで置き去りにされるたび、私がどんなに心細い思いをしていたか、知らないでしょう。いつこれが最期の別れになるかもしれないと、ずっと戦々恐々としていたんですよ? ひとなんて、簡単に死にますから」
その声に応じたかのように余震があり、ナーシルはレベッカを、レベッカはナーシルを庇った。
二人はどちらからともなく身を寄せた。
「……あんたは趣味が悪いよ」
「なんとでも言ってください」
「……私ゃこれから、色々とやることがあるんだ」
「いいですよ。手伝います」
こともなげに言いきったナーシルの眼は澄んでいた。
レベッカは彼の手を取った。
自然に覚悟が決まった。
「……生き延びるつもりなんてこれっぽっちもなかったのにね」
ぼそりと本音がこぼれる。
「なにか言いました?」
「いいや」
レベッカは微笑んだ。
「なんでもないよ」
また一歩、結末に近づきました。
終盤になり、更新が遅いにもかかわらず、お付き合いいただいている皆様に感謝をこめてお礼申し上げます。ありがとうございます。いましばらく、見守ってくださいませ。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




