崩壊のはじまり
エルジュとヒューライアーの最期です。
ルクトール国バイセン地方ドォワの丘――
朝から天候が崩れていた。
薄墨色の雲が重く垂れこめ、時折、鈍い稲光が雲の中で閃いた。
雨がしとどに降り続け、勾配のある坂沿いに道が這っていく。
風は生ぬるく、微弱。
大気は軋みを帯びながら張りつめていた。
エルジュ王の治世より、このドォワの丘陵地帯では民家が排除された。
国王命令ですべての家々が移転を余儀なくされ、そればかりか、交通路も遮断、人も物も一切の立ち入りが不認可とされた。
それから十数年――禁足地として定着した丘は緑濃く、美しいたたずまいをみせている。
エルジュとヒューライアーはここにいた。
ドォワの地の底の底、深き地下に、かつてオランジェが命を賭して封印を施した“道”がある。
その真上に佇み、意識を星脈に潜らせて一日が経った。
と、同時に、気は世界を巡り、探り、さまよい、やがて大気圏を抜け、宇宙へと到達した。
暗黒の星海
燃える太陽
足元には青く水をたたえた美しい惑星
迫りくる、もの
エルジュは瞬時に肉体へ回帰した。
「……っは」
「大丈夫?」
ヒューライアーが上空から眼を放さずに訊ねる。
赤い衣装はずぶぬれで、水を吸い、重く身にまとわりついていた。
「来るぞ」
「うん、わかった」
エルジュは呼気を鎮めながら、背を向かい合わせて立つヒューライアーへ呟いた。
「死にたくなければ、行ってもよい」
「死にたくはないけど、行かないよ」
「ここにいればまもなく死ぬ」
「死ぬのは嫌だなぁ。でも王がいるなら僕もいる。だってそう約束したし。僕の居場所は王の後ろ、でしょ」
「契約は終了だ、赤の魔法使い。もう行け、どこへなりと。生き延びたくば、方舟へ急げ」
エルジュが即位した折り、王宮の地下牢獄に幾世紀もの間つながれていたままだという赤い衣の魔法使いを解放した。
かつてルクトールに気まぐれに出没し、常人ならざる魔法を行使して悪戯に世間を騒がせた上、ときの王の要請に応じなかった罪で捕縛され、そのまま放置されていたのだ。
エルジュに解放された魔法使いは久しぶりに自由の身となった嬉しさのあまり、力を暴走させ、王宮を全壊、多数の死傷者を出した罪で再び捕縛、その身はエルジュの預かりとなる。
ヒューライアーは眼を細めて笑いながら喋った。
「はじめは窮屈だったけど、楽しかったよ。すごく、毎日。誰かと一緒にいられるって、いいよね。王が“超越者”の転生体のひとりだって知ったときはびっくりしたけど、それでも僕を僕としてだけ扱ってくれるの、嬉しかった。名前を呼ばれるのも、いうことを聞くのも、なにかを守ることができるのも、全部、嬉しくて、面白くて、気持ちよかった。だから、もうひとりになるのは、嫌だなぁ。ひとりで生きるの、嫌だなぁ。ひとりで生きるくらいなら、王の後ろにずっと最期まで、いたいなぁ……うん、そうしよう。それがいい。いいでしょ、王?」
ほんのわずかに、エルジュの口元がほころぶ。
「……ばかめ」
「ひどいー」
「さっさと態勢を整えろ。はじめるぞ」
「うん、いつでもいいよ」
エルジュも空を見上げた。
厚い雲の峰の向こうに、肌が粟立つような重圧を感じる。
エルジュはふっと身体を楽にした。
黒い衣装が肌に張りつき、冷たい。
その不快感に、思わず失笑がこぼれる。
ひと、だ。
ひとそのものだ。
前世ではひとでありながら、ひとならざる身であることが、結果、あのような最期を迎えることになった。
だがどうだ。
他に選択肢はいくらもあった。
なのに、今生もまた、同じ道を選ぼうとしている。
「いのちとは、こころとは、不可解なものだな」
「え? なになに?」
「なんでもない」
心に浮かぶのは、ひとりの娘の笑顔。
リアリ――
エルジュは眼を閉じた。
腰の位置で軽く拳を握った手を交差する。
星脈の鼓動を探る。
脈動は、弱い。
停止寸前だ。
そして止まってしまえば、次の刹那、暴発する。
その前に。
空より衝撃が来る前に。
はじめる。
エルジュは星力が蓄積され、破裂寸前になっている“道”の起点を押さえた。
ヒューライアーがすぐ傍に陣取る気配。
二人は無言のまま、一気に限界地まで気を高め、力を凝縮させ、集約させた。
そしてぶつけた。
その瞬間、エルジュもヒューライアーも完膚なきまでに消し飛んだ。
大陸塊が動き、地震が起こる。
地表はひび割れ、地上にあった建造物はあらゆるものが粉砕され、あっというまにルクトール国は壊滅した。
九千年前、リュカオーンの手で成された封印が、いま、破壊された。
星力が“道”を木っ端微塵に粉砕しつつ、大きくうねりながら流れていく――。
すっかり遅くなってしまいましたが、更新です。
いやあ、踊りの練習がはじまったために、時間のないこと、ないこと。余裕のないこと、ないこと。すみません、前話よりだいぶ間が開いてしまいました。
あと、残すエピソードもわずかです。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。