かけがえのないあなた
リアリとラザの結ばれた手は、もう、今度こそ本当に、離れません。
風鳴りがごうごうと轟く中――ほとんど地面に叩きつけられる寸前で、響いた声。
「僕だけを、選べますか。他を一切捨てても、僕を選んでくれますか」
それは二度目の問いだった。
リアリは無意識のうちに力を発揮し、身体を反転させ、どこかの家の屋根にふわりと着地した。
首都スライセンは混乱の極みに在り、喧騒で荒れていた。
ラザは腕を組み、憮然とした顔で右往左往する群衆を遠巻きに眺める。
「……あなた、あのひとたちを救うために僕を振ったんですよね」
反論しかけたリアリはラザのきつい一瞥で黙らせられる。
「いいから聞きなさい。鎮魂祭のあの夜、僕は訊きましたよね。あのとき、あなたが僕を選んでくれたなら、僕はあなたを殺して自分も死ぬつもりでした。あなたと離れるよりはその方がましだったんです。でもあなたは僕と離れることになろうとも、他を捨てられなかった。僕より有象無象の連中を選んだのです」
「有象無象って、ちょっと、そんな言い方って――」
「有象無象ですよ。僕はあなたとカイザ以外どうでもいいんですから。まあそれで、あなたに振られた僕は、やむなくめんどくさい仕事に就くはめになりました。でも、ついさっきその仕事をカイザに横取りされてしまったんですよね」
「え?」
溜め息をつくラザの横顔は、怒っていた。
自分のことでいっぱいで気づくのが遅れてしまったが、あの目つき、声の抑揚、抑えたしぐさは、怒り心頭に達した危険なラザだ。
「な、なにしたの、カイザ」
「“盾”とやらを乗っ取られました」
「――は?」
面食らって、素っ頓狂な声を出してしまった。
案の定、じろりと睨め(ね)つけられる。
「あなた、ちょっと合わない間に耳が悪くなったんですか」
「だって、どうしてカイザが“盾”に――ううん、そもそもなぜラザが“盾”に乗ることになったの。あれはコントロール・ルームが別でどこにあるかもわからなかったのに、え、ラザ、なんで“盾”のこと知っているの。あんた、なにをどこまで知って――」
「いまそんなことが重要ですか? 僕はとにかくカイザをあそこから引きずり出したいんですけど。手伝ってください。そのあとでなら、僕もあなたにつきあってあげます」
「“盾”に、カイザが……」
『兄貴を捜す。前に捜しあてたときは追っ払われたけど、今回は絶対に退かねぇ』
『まかせろ』
『じゃあまた……あとで』
リアリは額に手をおいた。
夜明け前、カイザと交わした会話がすごい勢いで頭の中を駆け巡っていく。
「……あとで会う約束だったの」
「あとなどありません。あれは“方舟”というものに装着するまで中の人間は出られない仕組みなんです」
そうだとしても不思議じゃない、とリアリは思った。
“方舟”の外殻として結合するのだ。
精度の高い仕事を要求される。
完全に海に沈むまでは微妙な調整も必要とされるだろう。
その操縦者のことについてはまるで思いいたらなかった。
違う。心のどこかで、わかっていた。私たちのうちの誰かが、それを務めるのだと。
“盾”の操縦者は“方舟”に乗船できない。
この大陸に残される。
カイザ――!
呼んでも、応答がない。
だが、気配で居場所はわかる。
高速で移動中のようだ。
「ラザ、あのね」
言いかけて口を真横に結ぶ。
ラザにそっと手を取られた。
ラザが白いハンカチを取り出してリアリの手に巻いた。
結び目をつくる。
「終わりじゃありません」
心を見透かされたようでどきっとした。
ラザの明灰色の眼に射られる。
「あなたが僕を嫌いになったと言うなら話は別ですけど。それ以外の理由では終わりなどありません。僕はあなたの傍にいられればそれでいいんです」
リアリは俯いて口ごもった。
「で、でも、私、ラザを裏切ったのよ」
「裏切っていません。あなたが僕を追ってくることはわかっていましたから」
ラザは櫛を取り出して、リアリの乱れた髪を丁寧に整えていく。
リアリは訝しげに眉をひそめた。
「……わかっていた?」
「あたりまえでしょう。あなた、僕なしで生きていけるとでも思っているんですか。そんな脆弱な身体にした覚えはありませんね。僕が離れてもあなたは僕から離れられない。たかがいっとき別れたくらいがなんだって言うんです。それともまさか、本気で疑ったんですか」
「だってあんた、私と離れるって言ったじゃない!」
「『いまは』と言ったんです」
にべもなくラザは言い切った。
それから小さな容器を取り出して、指にとり、やや屈んだ姿勢でリアリの唇に薄く紅をひいた。
「どうもあなたは忘れっぽいから何度でも言いますけど、あなたをおいてなど、どこへも行きません。前にも告げたでしょう。僕がどこかへ行くときはあなたも一緒だと。たとえそれが地獄の果てだろうと、奈落の底だろうと、死出への旅立ちだろうと離しません。僕は生死にかかわらず、あなたの傍にいることがなによりも大事なんです。たとえあなたが、他の誰かの妻であろうとも」
ラザの手が着衣のよれを直していく。
最後に靴の汚れを白い袖で拭い、膝を伸ばした。
「これを」
「なに?」
「カイザが僕に寄こしたんです。あなた宛てだと思います」
リアリは手渡されたものを開けた。
「あ……」
エメラルドのティアラだった。
『そろそろ、宝冠がつくれるかもな』
『それ、結婚式にかぶってくれよな! ラザの嫁になるときは絶対!』
『きれいだろうなあ、たのしみだなあ、早く見てぇなあ。あ、でも、あとで俺と結婚するときもちゃ んとそれつけてくれよな。約束だぜ、な? な?』
カイザの笑顔があざやかに思い起こされて、リアリは胸が締めつけられた。
「いつのまに……つくったのよ」
だが、これをかぶる日は来ない。
その機会は永遠に失われたのだ。
リアリの瞳から涙がこぼれて、つ、と頬を滑った。
リアリはティアラに顔を押しつけ、少しだけ咽び泣いた。
「……憧れていたの。本当はずっと。これをかぶって、ローテ・ゲーテの花嫁衣装を身につけて……」
「世界一きれいでしたでしょうね」
「世界一のしあわせな花嫁よ。カイザや皆の祝福を浴びながら、ラザの腕を取る……結局、かなえられなかったけど」
自嘲気味に微笑したものの、すぐにまた泣けてきた。
「……大事にする。使えないけど、持っているから……」
手の甲で涙を拭い、ティアラを懐にきちんとしまいこむ。
ラザに手を差し伸べられる。
「カイザのもとへ行きましょう」
「ええ」
「少しくらいなら、遅れてもいいです。たとえば“方舟”とやらに有象無象を放り込んで蓋をするぐらいでしたら」
そっけない口調にリアリの心中を慮る思いやりが滲む。
リアリは破顔してラザの手を握った。
温かい。
血肉の通った、馴染み深い手だ。
心が輝く。強くなる。
この手があればなにも恐くない。
「離さないで」
ラザが呟く。
「離しません」
リアリが応える。
「信じるわ、ラザ」
最終話もいよいよカウント・ダウンが迫りました。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。




