ただ幸せを祈るだけ
リアリ、肉親との別れです。
リアリが王城に着いたときには、既に“円船”への乗り入れが開始されていた。
驚いたことに誘導をしているのはリウォード王をはじめとして、ダァナ王妃、最長老マルス・フォーオーン、城下町の主だった実力者たち、そして多くの聖徒だった。
「王」
リアリは空中から呼びかけた。
宙に静止しているリアリの尋常ではない行為にざわめきが奔る。
だがリウォード王は軽く眼をひらいたほどで、動じた様子は皆無だ。
「姫か。そこでなにをしている」
「お迎えにあがりました」
「迎えは不要。アレクセイやロキス・ローヴェルから聞いてはおらんのかね。我々王家の者はここに残る。最後まで見届けるのだ」
「いけません」
「そなたと言い争うつもりはない。我らはこの国を統べる者として、最期の務めを果たすまで。永きにわたり、我ら王家の血を守るために散っていった多くの臣下に応えるときが来たのだ。いまは、ひとりでも多くの民を逃がさねばならない。私たちにかまうな。そなたはそなたのすべきことをしなさい。さあ」
「ただ――」
ダァナ王妃がためらうように、そっと言い添える。
「一目だけ、王子に会いにいってあげて。あの子は王城にいます」
リアリは食い下がった。
“力”でさらうことはできる。だが。
「民には象徴が必要です。心のよりどころとなるべき存在が、必要なんです」
「我らの血は穢れている。次代に残すには忍びない。未来には新しい血が相応しかろう」
リウォード王の眼は静かだった。
新しい血――。
言葉にはされなかった想いを、リアリは受け取った。
「ディックランゲア王子のもとに参ります」
「よろしくね」
「いや、待ちたまえ。先にシェラチェリーア殿のもとに行きなさい。昨夜から、どうも具合がおもわしくないようなのだ」
「えっ」
「知らなかったのかね」
「お母様が……」
リアリはシェラチェリーアの青白い顔を思い浮かべた。
また行くと言っておきながら、あのとき以来、訪ねていない。
リウォードは励ますようにリアリの肩に手をおいた。
「リーハルトもおそらく傍についているだろう。行って、無事な顔を見せてあげたまえ」
「はい。教えてくださってありがとうございます」
リアリは国王夫妻に敬意と感謝のこもった礼をして、王城に眼を向け、“力”を解放し、転移した。
シェラチェリーアの私室は外の喧騒とは無縁であった。
以前と変わらず、すべてが静謐に整えられ、穏やかな空気と光にみちていた。
侍女のザーミーファはリアリの姿を認めると、涙ぐみながら、いそいそと知らせにいった。
すぐに戻ってきて、「お父上様がお呼びです」と告げる。
父リーハルトが寝台の傍についていた。
そしてキースルイ義父とルマ義母が部屋の隅に控えている。
「よく来たね。こちらへおいで」
近づくと、母シェラチェリーアが眠っているのが見て取れた。
「……どこか、悪いのですか」
「どこかというわけではない。もともと、身体が丈夫ではないのだ」
「でも、この前お会いしたときにはこんな……」
シェラチェリーアは痩せていた。
白い肌はいっそう透けるようで、生気がまるで感じられない。
「そなたと会ったあと、発作を起こしてね。一日の大半をこうして眠って過ごしている」
「なぜ教えてくれなかったのですか」
「そなたにこんな姿を見られたくないと言ってね……すまなかった。だが、来てくれて嬉しいよ。できればもう一度、会わせたかったのだが……」
「“方舟”へ運びましょう。なにかいい治療法があるかもしれません。ここは危険です。もうすぐ大変なことになるんです。一刻も早く避難しないと」
「いや、私たちはここに残る」
リアリは二の句が継げなかった。
震えが這い上ってくる。
リーハルトはシェラチェリーアを静かに見つめながら、呟いた。
「おそらく、もう……永くない。身体を動かすほどの体力は残っていないのだ。どんな小さな衝撃にも、耐えられまい。私はここで、そなたの母と共にローテ・ゲーテの最期を見送ることにするよ」
「旦那さま、私もご一緒させてくださいまし」
ザーミーファの申し出にリーハルトが頷く。
しかしリアリは諦められなかった。
「いやです。せっかく、せっかく会えたのに――これきりだなんて」
リアリは必死に訴えた。
リーハルトの腕に抱き寄せられ、頭を撫でられる。
「ひとには寿命がある。だからこそ、一瞬一瞬を一生懸命生きなければならないのだよ。限りある命の中で、なにを成し、どう道を選び、誰を愛するか。そなたの母は、病弱だったものの、私という伴侶を得て、そなたという子を産み、成長を見ることができた。幸せな生き方だったろう。私とて同じだ。得難いものを得た。あとは、そなたの幸せを祈るだけ……行きなさい、リ・アリゼーチェ。そなたはそなたのさいわいのために生きるのだ」
リアリはいつのまにか泣いている自分に気がついた。
「お父様……」
リーハルトが口元をほころばせる。
「おや、ようやくそう呼んでもらえたな。残念、シェラチェリーアにもぜひ聞かせてやりたかった」
照れたように真っ赤になって顔をくしゃくしゃにするリーハルトがおかしくて、リアリも泣きながら笑った。
「……聞きましたわ」
ほっそりした声が二人を黙らせた。
「シェラチェリーア」
「お母様」
いつのまにか眼を醒ましていたシェラチェリーアが僅かに首を傾げる。
「……リ・アリゼーチェ」
「はい」
「死は別れのひとつでしかありません。ひとがひとである限り、避けられぬ運命……恐れるものではないのです」
「はい……」
「恐ろしいのは、本当の愛を見失うこと……たとえこの先何が起ころうとも、自分の心を偽ったり、ごまかしたりしてはなりません。そして、愛にこれといった正しさはないのです」
「……正しさがない、ですか」
「あなたの愛はあなただけのもの……後悔のないよう、生きるのです。私の愛しい娘……」
リアリは母シェラチェリーアの細い手を握り締めた。
その手に、背後からキースルイ義父とルマ義母の手が重ねられる。
そして父リーハルトのそれも。
「……シェラチェリーア様とリーハルト様のことは私たちに任せなさい」と、キースルイ義父。
「いつまでも泣いているんじゃないの。あなたにはやるべきことがあるでしょう。さあ、しっかり立って。ローテ・ゲーテの女はヤワじゃないってところ、見せてごらんなさいな」と、ルマ義母。
リアリは手の甲で涙を拭った。
二人の母、二人の父の顔を網膜に焼きつける。
不思議と、決別の哀しみは湧かなかった。
「行きます」
そしてディックランゲアのもとへと飛んだ。
全地球凍結説は主流になりつつあるそうです。
そして白亜紀に人類の足跡らしきものが発見されたとも。
オーパーツ。
世界は不思議に満ちていますね。
引き続きよろしくお願いいたします。
安芸でした。