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千夜千夜叙事  作者: 安芸
最終話 滅びなき光
109/130

夜明けまで

 リアリとカイザの別れです。

 眼を瞑り、互いの背に腕をまわして、鼓動に耳を澄ませた。

 心音。生きている証し。

 生命――その尊き響き。


「……こうしていると、色んなことを思い出すわね。ついこの間まで、普通に暮らしてい

たなんて嘘みたい」

「そうだな」

「アンビヴァレントの営業は楽しかったわ。たくさんのお客様の相手をして、大変な目にも遭ったけど、皆がいたから頑張れた」

「うん」

「カスバの皆も、曲者揃いだけど、いいひとたちで――それを言うなら、お城のひともそうね。親切にしてもらったわ。私が王弟の娘ということを差し引いても、十分にもてなしてもらった。感謝しないと」

「まあな」

「でも、(うち)が一番」


 カイザはリアリの眼を覗き込んだ。笑みが籠っている。


「家が一番よ。また皆で暮らしたい。大騒ぎして、喧嘩しながら、ご飯を食べて、おやすみを言って、おはようって――」

 

 リアリの瞳から涙がつ、とこぼれた。

 カイザは頬に片手をあて、唇を寄せ、舌で滴をすくった。

 低い嗚咽。

 細い肩が震え、激情をおし込めたしぐさをした。


「……死ぬつもり、ねぇんだろ。生きて皆のもとに帰るって、言ったよな。不安がるなよ。俺が帰してやるから。絶対に、死なせねぇ……お嬢と、兄貴だけは」

「……それじゃだめよ」

「なにが」

「あんたも一緒。三人一緒よ。いい? 絶対よ。リュカオーンがどうとか、エンデュミニオンが誰とか、そういう話をしているんじゃないわ。私が、二人を失いたくないの」

「だったら誓ってくれ。絶対、無茶しねぇって。兄貴や俺や、いいや、他の奴らのためにだって、体当たりなんてばかな真似をしねぇって。逃げるって、必ず方舟に乗って未来へ行くって、いまここで誓ってくれよ」

 

 痛いほど真剣なカイザの眼の中に、エンデュミニオンの面影が揺れた。

 リアリの胸が音を立てて絞られた。

 無口で、ぶっきらぼうで、でもあたたかだった彼は、リュカオーンの心の底の底に薄く凍っていた真の恐怖を見抜いていた。

 孤独と絶望の闇の深さを知るリュカオーンが、ひとりまっさきに散ることを怖れていたこと――エンデュミニオンだけが察して、そして、自らを犠牲にしてくれたのだ。


「誓いなんて、無意味よ」

「いいから」

「よくない。私だけが誓ったところで、なんになるの? 私たちは離れない。絶対に、なにがあっても一緒なんだから」

 

 カイザの手が持ち上げられ、やわらかくリアリの髪を梳いた。

 前髪を掻き上げ、額に軽く、唇をおしあてる。


「……こんなことばれたら、ラザに怒られるな」

 

 リアリはカイザの襟元を掴み、引き寄せた。

 若干つま先立ちになり、額にキスを返す。


「これでおあいこ。一緒に怒られてあげるわ」

 

 笑って、不意に真顔になる。


「あのね、カイザ」

「ん?」

「好きよ」

「……どうした、急に」

「あんたが好き。でも、ラザのことはもっと好き。このことが、私が私だということだと思う。

 たとえリュカオーンの記憶があって、力があって、前世の約束のもとにいま甦ったのだとしても――やっぱり違うのよ。

 生命とか、心とか、愛がどこから生まれてどこへいくのか、私は知らない。

 だけど、ラザを選べる私はリュカオーンじゃない。リアリよ。だから、エンデュミニオンの記憶や力や心、もっと言うなら、魂とか、そういうものでラザを選んだわけじゃないと思う。

 私たちの出会いは、偶然じゃない。前世に縛られた必然のこと、それはそうかもしれない。でもだからって、もう一度同じに愛したわけじゃないわ。ましてラザはなにも知らないんだもの。

 私はラザがエンデュミニオンだから好きになったわけじゃない。ラザがラザだから、好きになったの」

 

 やにわに、カイザの腕がリアリを強く抱え込んだ。

 後頭部を鷲掴みにし、抱き潰さんばかりの勢いで、リアリはがんじがらめにされる。


「俺も、お嬢がお嬢だから、好きになったんだ」

 

 悲鳴のような、呟き。

 窒息死寸前のところで、解放される。


「……お嬢が兄貴に惚れてんのなんて、最初から知ってる。ほんのチビの頃から、ラザはお嬢に夢中でさ。お嬢が拉致されたときなんて、完全に朝も昼も夜も二人べったりだったな。それからもずっと――さ。俺なんて、何度お嬢に嫉妬したかわからねぇもの。俺の兄貴なのに、ってさ。俺をほったらかしてお嬢かまってばかりだから、ある日俺ぶちぎれてさ、俺とお嬢とどっちが大事なんだ! って、ばかみてぇなこと叫んじまった」

「あはは」

「ラザ、なんて言ったと思う?」

「『どっちも』?」

「まさか。即決で『この子に決まってます』って言ったんだぜ。俺、面白くなくてさ、そのまま家飛び出して……」

「えええ?」

 

 カイザは苦笑した。


「捜しに来てもくれないんだぜ? ひでぇと思うだろ? でも、そう言って俺が詰るとさ、兄貴の奴、平然と答えるんだ。『この子と君ではこの子に決まっていますが、君と僕では、君のが大事ですよ』って。 俺、ぐうの音も出なくてさ。すげぇ殺し文句だろ? まいったなぁ、って思ったな……それからはさ、俺も、お嬢のこと可愛がったんだぜ。ラザが聖徒殿にいっちまってからは、ほとんどつきっきりだったし。

 けど、そのときにはもう既にお嬢の心は兄貴に寄っていたんだけどな。俺はそれでいいと思ったし、それが嬉しかった。俺は二番目でよかった。いまもそう思っている。

 だから、お嬢が俺に対して罪悪感を持ったり、後ろめたく思う必要はねぇ。リュカオーンとエンデュミニオンの記憶になんて、とらわれなくていい。約束通り、逢えた。それだけでいい。嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ」

 

 未来で逢いましょう――


 ただひとつの頼りない約束が、巡り逢わせてくれた。

 この幸運。至上の再会。


「兄貴を捜す。前に捜しあてたときは追っ払われたけど、今回は絶対に退かねぇ」

 

 カイザの脳裏に先刻眼を通したばかりの“真実の書”の一文が過ぎる。

 そして、“盾”の最終整備中、博士が言ったセリフがいまになって重要さを増し、よみがえる。


『コントロール・ルームは別にあるのだよ。キー・プレートの所持者だけが場所を知っておる』

『そろそろ、指名されているはずだ』

『――中に入ったが最後、オール・クリアまで――』


 オール・クリアまで、出られない。

 “盾”の操縦者は、“盾”が“方舟”に完全装着されるまで、コントロール・バーから離れることを禁ずる。

 すなわち、“方舟”に乗船はできない。

 乗船はできない――。


『ラザに振られたわ』

『なにかやらなければいけないことがあるみたい』


 ――ラザが、“盾”の操縦者だ。


「ラザをお願い」

 

 リアリはカイザから離れた。


「まかせろ。お嬢は?」

「私は私のやるべきことをする」

「わかった。じゃあ、また……あとで」

 

 もの言いたげに、だが、言葉を紡ぐことをせず、カイザは唇を横に伸ばして頷き、先に行け、というしぐさをした。


「うん、あとでね」

 

 まずリアリが消えた。

 カイザも追って方舟より表へ出た。

 このときちょうど、東の果てに夜明けの曙光がきらめいた。

 細い一筋の光が夜の終わりを告げ、世界を眩い金色に染め上げていく中で、カイザは力を解放し、ただひとつの気配を探った。

 薄紫と濃い紫と紅褐色の不吉な雲がたなびく空を、三羽の白い鳥が華麗に飛翔していく。

 まもなく、カイザは転移した。


 そろそろこの物語の舞台に気がつかれた方もいるかもしれません。

 ゴンドワナです。

 地球が大陸移動を繰り返していた、遥か時の彼方の大地の物語。

 終幕まで、もう少し。

 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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