21.今だけは
立ち止まってこちらを向いたアレクシス様に私のほうから歩み寄り、今度は私が彼に手を伸ばす。
頰ではなく、濡れたシャツにだけど。
「これは――」
そして、風魔法を使って一瞬にして濡れていた彼の服と髪を乾かした。
「すごいな……」
感心してくれているアレクシス様の言葉を聞きながら、私も自分の服を一瞬で乾かす。
「私にできることは、これくらいですから」
そして、そんな偉そうなことを言ってみたけれど。私が気をつけていれば湖に落ちることもなかったのよね。
「身体が冷えてしまったかもしれません。今日はもう帰りましょうか」
ただでさえアレクシス様は疲れているのに、とんでもないご迷惑をおかけしてしまった。もともと今日は早く帰るつもりだったし、アレクシス様に風邪を引かせてしまっては、聖女失格。婚約者失格だわ。
「モカ――」
「!」
そう思って帰る準備をしようと足を進めたら、背中からアレクシス様の声が届いた。
「ありがとう」
名前を呼ばれたことに驚き、足を止めて振り返ると、アレクシス様がとても優しい顔で微笑んでいて。
「これからは〝モカ〟と、名前で呼んでもいいだろうか?」
「も、もちろんです……!!」
思いがけないその問いに、私は力一杯頷いた。
そうしたら、アレクシス様は嬉しそうに笑ってくれて。
最初の頃の、〝誰のことも信用していない〟というような威圧的なオーラが嘘のように、とても優しい瞳を私に向けてくれていた。
それはまるで、愛しいものを見るかのような、あたたかい眼差しだった――。
「――しかし、なんとも格好悪い姿を見せてしまったな。落ちる前に支えられていたらよかったのだが」
帰りの馬車の中で、アレクシス様は照れくさそうに頭を掻きながら、改めてそう口にした。
「いいえ! アレクシス様はとても格好よかったです!!」
「え……」
「あ……」
思わず、〝格好悪い〟というところを思い切り否定してしまったけど、そういうことじゃないわよね。
「そもそも、私の不注意ですので! アレクシス様のおかげで私は怪我一つしませんでした!」
事実を言っただけなのだけど、アレクシス様が頰をほんのりと染めて私を見つめたから、私の顔にも熱が集まっていく。
どうしてかしら。なんだかアレクシス様のことをとても意識してしまう……!
「それに、アレクシス様はいつも忙しくお仕事をされていて、疲れているはずなのに……さすがは騎士団長様です!」
私が湖に落ちそうになってからのアレクシス様の俊敏な動きは本当にすごかった。私が怪我をしないよう、庇ってくださったのだから。
「昨日もあまり寝ていないのですよね?」
「ああ……だが俺は数日睡眠が取れなくても平気なように、鍛錬を積んでいる」
「そうなのですね……」
辺境騎士団、それも団長様ともなれば、そんなに過酷なトレーニングもしているのね。とても高位なお方なのに……。
アレクシス様のこれまでの苦労を想像すると、胸がきゅっと締めつけられる。
「……それに俺は、大切な人を守っていける、強い男でなければならないんだ」
そう思って俯いた私に、アレクシス様が改まったように言った。顔を上げて彼の目を見つめると、とても真剣な表情のアレクシス様がそこにいて。
「大切な人を、この手で守りたいと思っている」
「大切な人……?」
まっすぐに私の目を見て、もう一度その言葉を繰り返すアレクシス様。
……アレクシス様には、大切な人がいるのね――。
特定の誰かを思い浮かべているのがわかる、真剣な眼差し。
……きっと、私がここに来る前から想っている人がいるということよね?
それを思うとちくりと胸が痛んだけれど、それでもアレクシス様の妻になるのは私。
だから、少しでもアレクシス様の力になりたいと思っている。
「……とても素敵です。ですが、せめて今だけはゆっくり休んでほしいです」
アレクシス様にそんなふうに想われている人は幸せね。少し、その人が羨ましく思うけど。
「私の前では、気を張らないでほしいです。これでも私は一応聖女です。もっと頼ってください!」
〝聖女は国のためにあるべき〟と、何度も何度も教わってきた。そして私は今、辺境騎士団団長である、アレクシス様に嫁ぐためにここにいる。
魔物から国を守ってくださっているアレクシス様の助けになることが、今の私の役目。
「……では、早速頼らせてもらっていいだろうか?」
「もちろんです!」
それが伝わるようにアレクシス様の瞳をまっすぐ見つめて答えたら、アレクシス様が私の隣に移動してきた。
「失礼」
「はい。……?」
どうして隣に移動するのだろう?
そう思ったけれど、一言呟いたと思った次の瞬間には、アレクシス様の頭が私の肩に乗った。
「ア、アレクシス様……?」
「重くないだろうか」
「は、はい、平気ですが……」
「そうか。では少し、このままこうしていてもいいだろうか」
「…………もちろんですっ!!」
休んでほしいとは言ったけど……! まさか、こんな形でお休みになるなんて……!!
私の心臓はフル稼働。ドキドキいっているのが聞こえていないかしら……!?
とても緊張するけれど、ちらりとアレクシス様に視線を向けると、とても穏やかな表情で目を閉じていて、私もあたたかい気持ちになっていく。
アレクシス様が気を許してくれているようで、なんだかすごく嬉しい。
どうか今だけは……普通の婚約者同士のように、この穏やかな時間を過ごすことをお許しください。
私は心の中でそう願った。
今日一日で、とても距離が縮まったような気がする。
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