02.辺境の地へ
「……っっっやったわ! やっと解放される……!!」
翌日、私は辺境の地、ヴェリキーに向かう馬車に揺られていた。
我が家であるクラスニキ子爵家は、元々裕福ではなかった。
けれど私たち姉妹が聖女として認定されたおかげで国からたくさんの支援を受け、今ではとても裕福な家になった。
でも、父も母もそんな私たちのことは金づるとしか思っていないのか、王宮で働いている私たちに会いに来てくれたのはこの十数年で数える程度。
もう三年は、顔も見ていない。
とにかく働き詰めで、私は華やかな社交の場には〝聖女の誕生日〟である年に一度しか参加できなかったし、同年代の子と遊ぶ時間もなかった。
ヴェリキーは王都のように華やかな場所ではないだろうけれど、遊ぶ暇がなかった私には関係のないこと。
アレクシス様がどんな方なのかは知らないけれど、ヴィラデッヘ様もなかなか癖のある婚約者だったから、はっきり言って結婚相手はどっちでもいい。
「とにかく、今までより酷いことはないだろうし、新しい生活に乾杯!」
出立前に王宮の侍女にもらったぶどうジュースを高く掲げて、私は一人うきうきしながらヴェリキーに向かった。
*
そうして、数日後。
ようやく私は、辺境の地、ヴェリキーに到着した。
やっぱり王都とは比べものにならないほどの田舎だけど、途中の街では人々が生活している様子もあったし、王都のようにごちゃごちゃと人が多くなくて、むしろ気が楽だと思った。
下位貴族出身の私が聖女として登城して、王子の婚約者になって……。
王宮に出入りする高位貴族のご令嬢たちからは、散々嫌味を言われてきた。
けれどそれも、ここではあり得ないことだわ。さようなら、面倒な貴族社会……!
騎士団の城砦は高い塀に囲まれた大きな造りで、門の入り口にはたくましい騎士が二人立っていた。
馬車を降りて挨拶すると、一人がすぐに私を中へ案内してくれる。話は通っているようね。
建物の中も広くて、立派だった。まるでお城のよう。
けれどどこか静かで、暗く重い雰囲気がある。これは魔物の瘴気のせいかしら……。
この建物の裏には大きな森があって、その森の奥には魔物が住んでいる。
騎士団の城砦は、森からやってきた魔物が街を襲う前に防げるよう、こんなところに建てられているのね。
けれど、それでは日々気が抜けないでしょうね……。騎士たちにお休みはあるのかしら? あったとしても、きっと心は休まらないわ……。
騎士団の皆さんは日々命がけで戦っているのでしょう。休みなく働く大変さはとてもわかる。
「アレクシス団長はこちらです」
「ありがとうございます」
私の部屋に案内してくれた後、アレクシス様のところへ連れていってくれた騎士も、どこか元気がない。きっとお疲れなのね。心配だわ。
すぐに持ち場へ戻っていったし、人も足りなくて忙しいのだと思う。
「失礼します」
「――どうぞ」
そんなことを考えつつも、旦那様となる人への挨拶のため、気を取り直して深呼吸し、ノックをしてから入室した。
「初めまして、モカ・クラスニキと申します」
片足を引き、スカートを軽くつまみ上げて膝を折る。これでも一応、王子の婚約者として、淑女教育は受けてきた。
間違えても辺境伯様に無礼を働いて、いきなり斬られるようなことがあっては困る。
すると執務机で仕事をしていたと思われる男性――アレクシス様が、椅子から立ち上がって静かにこちらに歩いてきた。
「……」
この方が最強の騎士団と言われていた辺境騎士団団長の、アレクシス・ヴェリキー様。
漆黒の髪に、鋭い金色の瞳。〝誰のことも信用していない〟と言わんばかりの引きしまった口元に、高い鼻。見上げるほど大きな身長と、黒い騎士服の上からでも鍛えられているのがわかる、たくましい体躯。
隙のない鋭い視線は、それだけで人を殺せるのではないかと思ってしまうほどで、私の身体は凍りついたように動けなくなる。
「……」
そんなアレクシス様に、私はごくりと息を呑んだ。
キリッとした、怖いほどに整ったお顔立ちの…………なんて……なんてハンサムな方かしら……!!
「アレクシス・ヴェリキーだ。どうぞかけてくれ」
「は、はい!」
思わずぽうっと、アレクシス様にみとれてしまった。
アレクシス様は声まで美しい。少し低くて落ち着いた声は、脳を痺れさせるよう。
そんな彼の声にはっとして、私は対になったソファの片方に座った。アレクシス様も私に向かい合う形で腰を下ろす。
「長旅で疲れただろう。まずはゆっくりするといい」
「お気遣いありがとうございます」
アレクシス様のことは噂でしか知らなかったから、実際はどんな方なのかドキドキしていたけれど。いきなり気遣ってくださるなんて、とてもお優しい方だわ。
それに、思っていた以上に美しい……。この方が、あんなに恐ろしい噂のある呪われた騎士団の団長様だなんて、信じられないくらい。
こんなに素敵な方の妻になれるなんて……嬉しい。
「しかし――あなたのようなご令嬢が、よく来てくれたな。こんな場所に」
「え?」
どんな挨拶をして、どんなお話をするのかしら。私は男性とお話しした経験があまりないから、とてもドキドキわくわくしていたけれど。
アレクシス様は、溜め息をつきながら少し冷たい声で言った。
「こんな危険な場所――そして俺のような男に嫁ぎたがる令嬢はいない。そちらからの申し込みだったが、嫌なら今からでも断ってくれて構わない」
「え……?」
「借金でもあるのか? それか、何かの罰か? 無理やり嫁がされたのだろう?」
挨拶もそこそこに、アレクシス様はペラペラと続けた。まるで用意されていた言葉を紡ぐように。
「いいえ、違います」
「違う?」
けれど、私はそれを否定する。
「確かに姉とヴィラデッヘ様に提案された結婚でしたが、私の意思で来ました」
「君の意思で? ……なぜだ。ここは危険な場所だし、俺の噂を聞いたことがあるだろう?」
自分の噂をご存知なのね。知っているのに、否定はしないのかしら?
まるで私に帰ってほしいと思っているかのように、冷たく言い放つアレクシス様。
「確かにここは危険な地かもしれませんが、来てみないとどんな場所かわかりませんし、お会いしてみないとアレクシス様のこともわかりません」
「……君は、俺の噂を信じていないと?」
「噂というのは、大袈裟に広がるものですから。この目で見てみなければ、真実はわかりません。それにアレクシス様は、私に何かしましたか?」
「は?」
「誰がなんと言っていたとしても、私自身はなんの被害も受けていませんので」
「……」
「アレクシス様を恐れるのは、私があなたから恐ろしい目に遭わされてからです」
だって私にも経験があるから。今回のことも、私がカリーナに仕事を押し付けたことになっているし。
ヴィラデッヘ様はカリーナの言葉を信じたようだけど、事実は逆。
「……そうか。だが、多くの者は自分で体験せずとも他人の話を信じるものだ。それに、火種のないところに煙は立たないだろう?」
「意図的に火種を撒いた誰かがいるのかもしれません」
「……君は変わっているな」
自分の経験をもとに答えただけなのだけど、アレクシス様は戸惑いを含んだ表情で呟いた。