19.湖デート
その日、以前約束した湖に二人で行くことになった私とアレクシス様は、ともに馬車に揺られていた。
「アレクシス様、本当に無理されていませんか?」
「ああ、今日はとても楽しみにしていたからな」
楽しみにしていた……? アレクシス様が?
その返答に少し驚いてしまったけれど、たぶんこれは貴族の嗜みね……?
社交の場でも、たくさんのお世辞が飛び交っているのをよく聞いた。
「……君は嫌だっただろうか?」
「いいえ! 私はとても嬉しいです!」
つい黙ってしまった私に、アレクシス様は不安そうな視線を向ける。
もちろん私は本当に楽しみだった。けれどここ数日、アレクシス様は時間を作るために寝ないで仕事を片付けたのだということを、ティモさんに聞いてしまった。
嬉しいけど……いくらアレクシス様に人並み以上の体力があっても、さすがに疲れているのではないかしら……?
そう思ってアレクシス様の様子を窺ったけれど、本当に楽しそうに見える。
だから今日は遅くならないようにしようと心に決めながら、私もこの時間を楽しむことにした。
「――ここだ」
「わぁ……」
着いたのは、とても大きくて美しい湖。人もいなくて静かだし、綺麗な花も咲いている。
「なんて素敵なところなの……」
「だろう? 気に入ってもらえてよかった」
アレクシス様は大きな木の下にてきぱきとシートを敷くと、私が座りやすいよう手を差し出してくれた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
その手に掴まらせてもらいながら、ゆっくりと腰を下ろす。
私のすぐ隣に座ったアレクシス様との距離が近くて、思わすドキッとしてしまう。
アレクシス様は座っていても私より背が高いのがわかる。
騎士らしく、たくましくて大きな肩が私の視線の高さにあって、その少し上に視線を滑らせるとアレクシス様と目が合った。
「そ、そうだわ! 持ってきたサンドイッチを食べましょうか」
「……ああ」
恥ずかしさのあまり、少し大きな声を上げてしまった。
アレクシス様は小さく笑って頷いてくれたけど、変に思われていないかしら……。
そのままバスケットからサンドイッチとぶどうジュースを取り出し、アレクシス様に差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
「紅茶のほうがよかったかしら」
「いいや、君はぶどうジュースが好きなんだね」
「うふふ、そうなんです」
アレクシス様とたわいもない会話をしながら、美しい湖を眺めて木陰でのんびりピクニック。
「美味いな」
「はい、本当に」
なんて贅沢な時間なのかしら。王宮で出されたどんなごちそうよりも、私にはこのサンドイッチとぶどうジュースのほうが美味しく感じる。
聞こえてくるのは小鳥のさえずりと、風のせせらぎだけ。心地のいい風に頰を撫でられ、とても気持ちがいい。
穏やかで優しい時間が流れた。ここが魔物の出る危険な地域で、私たちが騎士団長と聖女であるということを忘れてしまいそうになる。
この時間がずっと続いてほしいと、願ってしまう。
「少し湖に近づいてみようか? 風が吹くと涼しくて気持ちがいいんだ」
「はい!」
そう言ってまた差し出してくれたアレクシス様の手に掴まって立ち上がると、私たちはそのまま手を繋いで湖の近くまで歩いた。
「足下に気をつけて」
「ありがとうございます」
アレクシス様と手を繋いで歩く……結婚する仲なのだから、エスコートくらいされて当然のことなのに。ヴィラデッヘ様には感じなかったけれど、アレクシス様とだと小さなことでいちいち胸がドキドキする。
「――本当に気持ちのいい風ですね。湖もとても綺麗ですし」
「ああ。この辺りは人が寄り付かないからな。ゴミを捨てたりする者もいない」
人が汚さないというのも、こんなに美しい湖を保っている理由なのね。
人が寄り付かないのは魔物が出るかもしれないからだとわかっているけれど、アレクシス様が一緒にいてくれるから私は全然怖くない。
「……君が来てから、辺境騎士団はまるで生まれ変わったかのようだ」
「え? 生まれ変わった?」
「俺たちにかけられた呪いが解けたかのように、みんな明るくなった」
「……」
ふとそう口にされたアレクシス様の言葉。
呪い? それは、比喩的な意味で言っているのかしら? 辺境騎士団は、確かに〝呪われた騎士団〟と言われているけれど……。
「それだけではない」
立ち止まり、こちらに身体を向けるアレクシス様を見上げると、まっすぐな視線と目が合った。
「君が来てくれて、俺という人間も変わった。変われた」
「……」
「初めてなんだ。こんな気持ちになれたのは」
そう言って握る手に力を込めるアレクシス様の頰が、ほんのりと赤く染まっているような気がする。
こんなに熱くなっているアレクシス様を見るのは、初めてだわ。
「いつも本当にありがとう」
「!」
アレクシス様は握っていた私の手を顔の前まで持ち上げると、手の甲……指の付け根辺りに、優しく口づけを落とした。