12.当たり前のことなのに
馬車が到着すると、アレクシス様は先に降りて手を差し出してくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます……」
アレクシス様の手は、大きくて少しごつごつしている。
いつもこの手で剣を握って、戦ってくれているのね。とても騎士らしい、たくましい手。
そんな手に、私はドキドキしながらもありがたく掴まらせてもらった。
「馬車はここに停めて、少し歩こう」
「はい」
魔物が出る危険な地域なだけあって、やはり人は少ない。それでも大通りまで行くと、お店や道行く人々も増えてきた。
「ここが、ヴェリキーの街……」
「ああ。魔物さえ出なければ、特産品も多くいいところなのだが」
「そうなのですね」
出店に並べられているのは、王都では珍しい果物や野菜。
騎士団での食事でもよくこういう食材が使われている。
王都で食べたらとても高価なものだけど、ヴェリキーでは気軽に食べられるし、とても新鮮で美味しい。
「せっかく街に来たんだ。何か欲しいものはないか?」
「いいえ、私は今の暮らしで十分間に合っています」
「そうか」
「はい」
「…………」
そのまま特に会話することなく並んで歩いていると、アレクシス様がぴたりと足を止めた。
「……本当に欲しいものはないか? 王都ほど品揃えがいいわけではないが、この街もそれなりに充実している。だから、たとえば新しい服とか――」
「あ、それでしたら、一つよろしいでしょうか」
「もちろん!」
なぜだか必死な様子で執拗に問われたので、私は思いついたものを口にしてみることにした。
「回復薬を入れる小瓶が欲しいです」
「……は? 小瓶?」
「はい。本来、こちらで用意しておくべきものですよね。すみません、ろくなものを持たずに来てしまい……」
聖女として回復薬を作らせてもらっているけれど、出来上がった薬を入れる瓶を持ってこなかったから、今は騎士団にあったものを使わせてもらっている。
けれど、ストックも作っておきたいし、できればもう少し欲しい。
そんなものも用意してこなかったのかと呆れられてしまうかもしれないと思ったけれど、アレクシス様は小さく首を振って口を開いた。
「そうではない。そんなものは今度大量にこちらで用意する。そうではなく、君が個人的に欲しいものはないかと聞いているんだ」
「個人的には、何も……」
どうやらアレクシス様が聞いてくれたのは、そういうことではなかったみたい。
「本当に、何もないのか? たとえば、ドレスとか」
「必要ありませんので……」
「ではアクセサリーなんかはどうだ?」
「使う機会もないですし」
「……」
アレクシス様は、一体どうしたのかしら? どうしても、私のものを何か買わなければならないの?
私の返答を聞いて「そうか……」と呟きながら再び歩みを進めるアレクシス様だけど、「うーん」と唸っているのが聞こえる。
そして、次々と私を女性用の服や小物が売っているお店へ案内してくれた。
「もし気に入ったものがあれば、遠慮なく言ってくれ」
可愛い小物や素敵な服がたくさんあったけど、どうしても欲しいわけじゃないし、私には必要ない。
本当に、私は今の生活にとても満足している。
こうしてアレクシス様と街を見て回れるだけで、すごく嬉しいし。
「あ……」
そう思っていたけれど、とある装飾品店に飾ってあった髪留めに目が留まった。
「可愛い……」
黄色のお花をモチーフにしたその髪留めには、控えめにだけど、アレクシス様の瞳の色に似た宝石がついている。
これがあれば、料理をするときに髪をまとめられていいかもしれない。
「気に入ったのか?」
「はい。とても素敵です」
「よし、ではこれを買おう」
「ですが、こんな高価なもの……!」
「そんなに高いものではない。むしろこれだけでいいのか? 指輪やネックレスもあるし、もっと好きなものを買えばいい」
「ありがとうございます……。ですが、私はこれがとても気に入りました」
「そうか。……本当に、君という人は」
「え?」
髪留めの可愛さについ笑みを浮べてそれを見つめていたら、アレクシス様が何かをぽつりと呟いた。
よく聞こえなくて聞き返したけれど、アレクシス様はキリリと表情を引きしめ、咳払いをした。
「……なんでもない。これは俺からプレゼントさせてくれ」
「ですが」
「回復薬の礼だ。気にしないでほしい」
「では、ありがたくちょうだいしますね」
私の返事を聞いて口元に小さく笑みを浮べると、アレクシス様は髪留めを購入してきてくれた。
「――早速つけてみようか?」
「よろしいのですか?」
「もちろん」
失礼、と言って、アレクシス様が私の髪に優しく触れる。
アレクシス様が私のすぐ後ろに立っていて、私の髪に触れている。
たったそれだけのことで、私の心臓はドキドキと高く鼓動を刻む。
「……とても似合っている」
「あ、ありがとうございます……」
耳のすぐ上辺りで「できたよ」と囁かれて、思わず肩が跳ねた。アレクシス様におかしな反応をしていると思われてしまったかしら……?
慌ててしまったけれど、アレクシス様が見せてくれた鏡に映ったその髪留めに、私の口からは感嘆の息が漏れる。
「本当に素敵……。アレクシス様、ありがとうございます!」
「喜んでもらえたならよかった」
プレゼントは、犬のぬいぐるみ――アックンをいただいたばかりなのに。
それに回復薬作りだって、聖女として当然のことなのに。
王都では、当たり前のようにその仕事をしてきた。誰かに直接お礼を言われたことなんてなかった。
物心ついたときには王宮につれていかれて、聖女として働かされた。両親には会えなくて、周りの大人たちはみんな厳しい人ばかりだった。
〝聖女なんだから、治して当然〟
そう言われていたのも知っているし、私の力が弱いせいで助けられなかった人もいた。
〝聖女のくせに……、どうして助けてくれないんだ!!〟
そう言われたときは胸が張り裂けてしまいそうなほど苦しかった。それで一生懸命魔法学を学び、聖女として役に立てるよう、頑張ってきたけれど……。
限界を迎えてしまった。
王宮では一応贅沢と言われる暮らしをしていたし、両親も多額の報酬をもらっていた。それでも、この辺境の地で過ごしている今のほうが、私は幸せ。
それに休みなく働いていたせいで、せっかくの高級料理もろくに喉を通らなくなっていたし。
こんなふうに直接感謝されるのって、すごく嬉しいことなのね。もっともっとアレクシス様や皆さんのお役に立ちたいと、自然に思えてしまうわ。
「どうかしたのか?」
昔のことを思い出し、つい感傷に浸っていた私に、アレクシス様が心配そうな視線を向けた。
「……アレクシス様!」
「な、なんだ?」
「私、これからも頑張ります!!」
「ああ。……?」
はりきってこの気持ちを伝えたら、アレクシス様は少し困惑したような表情で小さく笑ってくれた。




