1:7 『都市城・執務室にて』
外観は鉄紺色がベースの鮮やかな都市城――その中。
城内は全体的に白い印象を与えるが、そこかしこに加えられた浅葱色がその絢爛さを更に引き立たせる。
――ガデュリスは、城内の回廊を歩んでいき、王の執務室にまで辿り着いた。
両開きの、大きく豪快な扉――その傍らに佇んでいる警備員に全く警戒されぬまま、ガデュリスは扉をコンコンと叩いた。
「入れ」
厳かな返事が中から聞こえ、ガデュリスは入室する。
「……ガデュリス、待っていたよ」
執務室――。
戦前の古典的な風情を思わせる雰囲気で、美麗な部屋だ。
花の絶妙な芳香。
複数の書棚。
尻の沈みそうな客席が二つ。
独特な絵画も数枚、飾られてある。
正面――壮麗な立体都市の映る大窓を背に、ティアーゴ・カルチャロフ王はデスクに座っていた。
デスクの上には書類が蓄積してある。
ティアーゴは丁度それらの書物に取り掛かっていた様子だ。
ガデゥリスの来訪に、彼はペンを置くと、今度は、執務室に居たもう一名に視線を移して、その名を呼んだ。
「フユ」
――それは、謹直な姿勢で客席に腰かけていた、姫様の名だ。
「はい……失礼致します」
姫は立ち上がると恭しくガデュリスに一礼し、退室していった。
扉が閉まってすぐに、ティアーゴはドッと、椅子に凭れる。
腕を広げ、そうやってガデュリスに歓迎の意を体現していた。
「やあ。会いたかったよ、救世主」
「やめろ」
「へッ。……にしても、王との密談に遅れて出るとは、一夜で相当なプライドを培ったものだな?」
ティアーゴは机に体重を掛けるように、前屈みに腕を組む。
「仕事が長引いた」
「そうだろう。全くもって、私からしても忙しく見えるなんて大したものだよ。……座らないのか? 疲れたろうに」
「隊員と集まる予定も迫っているんだ。できれば、手短に済ませて欲しい」
「ハッ、無責任な奴だな? まったく。まあ、そんな急がずともいいだろうさ。ほら、座るといい」
ガデュリスは口を噤み、佇んだまま動かないでいると、ティアーゴは諦めたように深く溜息を吐いていた。
「それで、隊員たちは達者か?」
「ああ。外から帰還して以来も、気概に陰りの片鱗も見受けられない。皆、実に見事な働きをしてくれた。今後とも朗報を期待してくれて構わないだろう」
「……んん、それは良かった」
「……まさか、それを訊く為だけにオレを呼び出した訳ではないだろう?」
「いやいや、少しばかり確認しておきたかっただけさ。それで、君を呼んだ理由だが、私からの要求として、次の総隊員での外出を、今日から一週間後の江曜日にしてもらいたい」
「……一週間後の、江曜日? お前はオレたちに、六日の猶予しか与えないのか?」
一週間は六日ある。
江、蛙、蛇、牙、葉、宴。
今日を含んだ六日の中だけで次の外出に備えろと言うのは、ガデュリスの思い描いていた計画図とは齟齬する。
「そうだ、六日だ。庶民は君たちの飛躍を期待している。私が庶民に約束したように遺憾ない進捗が見受けられないでいれば、時間と共に庶民の鬱憤は溜まって行き、支援が揺らぐ。支援が揺らげば秩序が乱れる。分かるか?」
「時間が必要だと説明してやればいい」
「ガデュリス? これは“私からの要求”なのだぞ?」
世の頂点に値するこの男と砕けた二ホン語で語り合えるのは、ガデュリスぐらいしかいない。
しかし、立場は無論ティアーゴが上であることは不変の事実であって、ガデュリスに対しても変わらず、半無限の拘束力を有している。
“外の開拓”という点では互いに共通している目標なのだが……。
この男には、厄介極まりない程の、軽く触れて破砕しかねない程の、矜持というものを持っている。
故に、ガデュリスであっても王に反すれば、何が起こるか分からない。
「別に、その日に大義を成し遂げろとは言わない。ただ何かしらの進捗があれば、それでいい」
「……分かった。次の江曜日、再び外に出ると隊員たちに伝える――」
「おっと、ガデュリス? 待ちたまえよ」
さっさと訓練場へ赴こうとするガデュリスを、ティアーゴが呼び止めた。
「なんだ」
「友人をそんな、急いで置いて行こうとする辺り、心が痛むのだよ、ガデュリス。少しばかり話に花を咲かせる気にはならないのか?」
「いや、お前との会話に花もクソもないんだが……」
「なっ? ……グッ、ガッハッハッハッ‼ あー」
机を叩いて哄笑する王に、ガデゥリスは辟易してしまう。
扉へ向き直り、早くこの場を離れたい一心でドアノブに手を伸ばしたが、
「――禁忌実行隊を贔屓に、違令を許してあげてもいい」
そんな言葉が、ガデゥリスの背中に掛けられていた。
ドアノブを握った手が停止する。
少しして、再び王に向き直った。
「……違令、とは具体的に何を指す。ティアーゴ」
「そうだな。核爆弾を制作していいと言ったら、どうする?」
「それで外を片付けろと?」
「そうだ」
「……これ程の愚問をする奴ではなかろう、お前は」
「愚問だったのか? 外の姿を見た君が、この提案に賛同的な意思を示すか気になったんだがね」
「外がどうあろうと関係ないように思えるが? まあ……しかしどちらにせよ、恐らく核爆弾に限らず――多大なエネルギーを壁越しに運送することは出来ないだろう」
「ん? それは……何故に?」
「……外に出る時、壁に試されたんだ」
そう伝えると、ティアーゴは怪訝な、言っている意味を掴みかねるような顔をする。
確かに“壁に試された”なんて表現は、疑問符を浮かべて当然だろう。
「壁は、近道を取るような、狡猾な攻略を許さない。そう見える」
「ほお……いやはや、まるで、壁が生きているとでも言いたげな言い回しだな。まあ……君の言葉は理解し難いが、君のことを知る限り戯言を発していないことだけは察せられる。私はただ、そういうことにしておくよ」
「違令を許してくれるのであれば、もっと別の規則を破らせてほしい」
「なるほど……それは、何かな?」
それからガデュリスは、言葉の往復の末――外出する際には十人以上でなければならないという規則を許容してもらった。
わざわざ潜行隊から三人呼び込まずとも、禁忌実行隊の七人のみで外出が可能という訳だ。
元々、少し昔から惰性的に引用されていた法令を、もう大目に見て貰うような形だ。
「それで、君から私に要請したいことは以上かな?」
「……いいや、そうだな……もう一つだけ、尋ねたいことが出来たようだ。――壁の外から生還を果たした訳だが、何も報酬を与える気はないのか? ティアーゴ」
「……ガデュリス、フフッ。君は貪欲な奴だよなぁ。驚いてしまうよ。まあ、そういう辺りも嫌いではないがね。しかし、君に現状以上を望むのは少しばかり無理があるとは思わないのか?」
「――オレのことではない」
そう言うと、ティアーゴの口角が下がり、眼光に鋭さが刺していた。
ガデゥリスは続ける。
「オレではなく、オレに随従てくれている隊員たちのことを言っている。彼らもちゃんと、成果に見合った報酬を被るんだろうな?」
ガデュリスを見据える王は、気持ち悪いモノを見るような目になっていた。
「何度言ったら分かる、愚図」
「……お前が場末人に抱く断固たる敵愾心は、理解している。だが、地久を、人類を救おうとする者の中に、今なお家族を虐げられている者がいるのだ。お前はそれが正しいと、おかしくないと言えるのか?」
――バンッ!と、ティアーゴが両手で机を叩き、立ち上がってガデュリスを睨みつける。
「豚どもを我々と同等に扱うなと言っている‼」
「……仮に、人類が壁の外に移住できる程の大義を成し遂げてもか?」
「そうだ! 場末人というのは、歪曲した、唾棄すべき生き物なのだ! 貴様にはそれが分からないのか? 奴らは大義のための道具にしかなり得ない。貴様もそう言っていたではないか、ガデゥリス。道具を讃えたところでなんの意味がある!」
「ああ、一度はそうも言ったかも知れない。しかしだ、現状では話が変わってくる。――端的に、報酬がないことは、隊員の向上心に関わることなのだ」
「……向上心? それがどうした。貴様こそ急に場末人を慮るような言い方をしやがって、何を考えている? そのような思想の持ち主に対する罰は貴様にも適用されうることを忘れるなよ」
「大丈夫だ。場末人に対して不憫の念は一切ない。ただ単にどうでもいいと思っている。――なんて言わなくても、そんなことは既に知っていることだろう? いちいち過剰に反応するのを辞めてもらいたい」
「……なら、何故、場末人がどうのこうのと喋るんだ」
「隊員の向上心に関わると言っている。成果を上げても報酬がないとなると、お前が言う躍進ってやつが難しくなることぐらい想像に難くない筈だ」
「……それなら、こうしよう。大義を成した時、その時にこそ報酬を与えてあげる――そう言い続けていれば、最後まで向上心を保ったままでいてくれるだろう?」
ティアーゴの言う大義とは、“壁の外にある無限の大地を手に入れる”ことを指している。
非常に抽象的で困る。
「いや、それでは使命を途中で放棄されてしまうことは火を見るよりも明らかだ」
「じゃあ、ちまちまと、子犬のように何かをする度に餌をやれと? ハッ。なら、大義の達成以外に“成果”の定義があると言うのか? 何平方キロメートルの面積を開拓すればそれを“成果”と定めるつもりなのか? そんなこざかしいことで酬いられようとすることなど傲慢としか言いようがない」
矜持とはこれだ。
「いや、何もこざかしく定める必要はないだろう。恐らくだが、次の“成果”はハッキリと目に見える形で表れる筈だ。これに関しては、ただオレの言葉を信じてくれればいい。――その際に、そうだな……隊員の家族に、都市への移住権の譲渡を、要請したい。それだけで構わないさ」
沈黙があって、ティアーゴは難しい顔をして視線を動かし、ガデュリスの提案を熟慮してくれているようだ。
彼の小さな頭脳の中で思考が忙しく錯綜していることだろう。
この提案を承諾することには、隊員の向上心云々の他にも、報道の信頼度に関するリスク管理を鑑みても利点があるのだ。
「ならば……君の言う通りにそれがハッキリと表れると仮定して、だ」と前置きして、王は言う。
「……その際の報酬は、考えておくとする」
「ああ、有難い限りだ」
「だが、一つだけ。これは、前にも確認したことだが、もう一度だけ訊く」
「なんだ?」
「――隊員の中で、自ら場末に利益を譲渡している者など、いないだろうな?」
「ああ。そんなことをする白痴を、部隊に招いた覚えはない」
嘘だ。
ニールという存在がいる。
隊員に支給される利益とは別のものを――アルバイトから辛うじて収集している資金を、場末へと譲渡している。
彼がアルバイトで稼いでいる事実も伏せてあるのだ。
できれば譲渡なんて辞めて欲しいが、それこそが彼の向上心に関わっていることなので、厄介だ。
この“報酬”を廻った論争も、実のところは彼が原因である。
依頼されたことなのだ。
「今の話を聞いた後だと、君の、場末人に対する見解を疑問視してしまうのだよ。……許せ」
「大丈夫だ。……それじゃあ」
「ああ、これまでだ。堅実に、私の要求を遂行することだな」
最後にまた、口角を上げてティアーゴは言った。
ガデュリスは執務室を出て、隊員が待っている訓練場へと赴いた――。
◇ ◇ ◇
ガデュリスの言伝に、ニール達は困惑した。
七人だけで外出が出来るとの事は、朗報だ。
しかし、次の総隊員での外出を、一週間後に執行すると報告された際には、当然ながらと言うべきか、各々から嬉しい声は上がらなかった。
ニール個人としては困った話ではないが、チームとしては少々時間を圧している。
個々の心身の休息もあるが、それに増して戦略を練ったり敵を考察する、といったところに時間が欲しい。
それが皆の、大まかな共通認識だろう。
「明日か明後日には、君達が外で邂逅した、赤目の怪物を対象とした模擬交戦が可能となるだろう」
と、加えての報告。
要は、吹雪の中で戦ったあの大鱗狼――を模した猛獣モデルとの模擬戦闘が“メインルーム”で再現できるようになる。
今はその準備段階とのことだ。
これには、ボツが外で収集していた、子鱗狼のDNA情報が功を成しているという。
あくまでも“模した”であって瓜二つには出来ないが、鍛錬に十分役立つものは期待できよう。
「一週間後の外出まで、“メインルーム”での習練が主となる。――言伝は以上だが……一つだけ、オレ個人から、君達に伝えて置きたいことがある」
どこか解散気分になりつつあった面々が、その言葉で再び、ガデュリスに視線を集中させていた。
続きを待つ皆に、ガデュリスは言う。
「……君達は、会話が下手だ」
「……ん?」
ガデュリスの突拍子もない一言に、一同は鼻白む。
「え、会話が下手? って、言ったよね」
「そうだ」
「いや……そうだとしても、なんで?」
ミカが軽く笑いながら、そう問い返していた。
「会話が下手ぇのは、誰だかなぁ?」
次はトギトウが、ガデュリスに嘲弄を込めた風に言っていた。
確かに、皆の頭の上に疑問符を浮かばせている張本人に言えたことだろうか。
ボツ、ミカ辺りがトギトウの指摘に可笑しそうにニヤけていた。
ガデュリスはそれらに頓着せず、続ける。
「互いに心を打ち明けることを苦手としている者が、多いと見る」
「……そう?」
「ああ。特に外から帰還して以来、全体的に気概に陰りを感じている」
……ニールは、シアラが気になった。
俯いている。
自分の世界に潜っているようだ。
彷徨っていると言うべきか。
「超えるべき壁が、想像以上に高かったかも知れない。気圧されて然るべきだ。だがこういう時にこそ、互いに心を打ち明けて、話すべきだ。――良いな?」
ふと、思い出す。
ナイリが仁王立ちでガデュリスを睨んでいた折に、ガデゥリス自身は数秒程、ボツの方に視線を向けていた。
ニールはなんとなく、そのことも想起していた。
「以上だ。解散していい」
そう言って、ガデュリスは気後れしたままの雰囲気を置き去りに、自動ドアの方へと帰って行く。
「……そんじゃあ、ウチは帰るかな。またあ」
解散の合図からしばらくの間を置いてから、ミカが最初にそう言って立ち上がり、帰路に付いていた。
トギトウもそれに続く形で、ニール達の方へ視線を送りつつ立ち去る。
ボツは、少し残った。
どこか思慮に耽る面持ちだった。
ニールに見られていると気付くと、戸惑って荷物を纏め始めた。
「そしたら、僕も帰るよ……またね、二人とも」
「ああ、また」
手を振って歩き出したボツは、幾度か、ぎこちなくこちらの方を気にしながら離れて行った。
――と、残ったのは、二人。
ニールとシアラ。
ボツが通った自動ドアが閉じる瞬間、どこか、冷気が硬直するような感覚があった。
長い、長い沈黙が、二人の間に流れた。
「……なぜ残る?」
やがて、ニールはそう、尋ねていた。
シアラは視線を逃したまま口を噤んでおり、しばらく、答えてくれないでいた。