1:6 『疑わしき信頼』
「遅れてすまなかった」
「よぁ」
視線がガデュリスへ集まる中、トギトウが手を上げて挨拶していた。
「少々、ティアーゴとの密談が長引いた」
ティアーゴ――王との密会が、遅刻の原因だと言う。
「……四人、か」
今、自身を除いて円卓を囲んでいる人数を呟くガデュリス。
ミカも戻って座っていた。
「ナイリを呼んで来てくれ」
「分かった」
こちらを見て指示する隊長に従い、ニールはロッカールームのところまで戻ると、今度は階段で下の階へ。
下りて、“メインルーム”の出入口まで歩み寄る。
これまたガラス製で、中を窺うことができる。
ドーム状の空間は、上の階の広間を限界まで拡張したような、壮絶な広さを誇っている。
そんなメインルーム内をジェットパックで飛び回り、設定された環境と敵で鍛錬に勤しむナイリの姿があった。
もしくは、ただ暇を潰しているだけなのかも知れないが。
彼女の携帯武器の一つである“ワイヤー”を地帯に張り巡らし、それで模造モンスター達を翻弄している様相だった。
「これ程のスペースは必要ないだろ……」
メインルームというのは、連携を深める時など、チーム全体や複数人で鍛錬するための設備だ。
ナイリは、彼女用の、十分な広さのある個別ルームがあるにも関わらず、よく一人でここを利用している。
更に広い方がジェットパックの練習になる――そうかも知れないが、他にも理由がありそうだと感付いているのはやはりニールだけではない。
他メンバーも、ナイリを気に掛けるような発言をするのだ。
ナイリは口数が少く、事情を尋ねようにも上辺の言葉でそっちのけられてしまう。
――ジェットパックはある程度断続的に使う必要があるため、ナイリは一時的に物陰に身を潜めるようなことをしている。
今がちょうどそうで、切りが良かった。
ニールが壁のボタンを押して出入口を開くと、ブザー音が一度鳴り、ナイリの鍛錬が強制終了された。
「集合だ、ナイリ」
少し間を置いて、ナイリが物陰から姿を見せた。
「……煩わしいんだよ」
たばこを咥えながら不機嫌そうに言いつつ、歩き出すとそのままニールを通り過ぎて行った。
ニールも後を追い、階段を上って“広間”へ戻る。
「――ニールとナイリ、ここにシアラが居ないことに関して何か知らないか?」
戻って来た二人にガデュリスがそう尋ねてきた。
そのことで、ニールは昨日、シアラがベンチで涙目になっていた光景を思い出したが、それをいま皆の前で話すのは億劫に感じられた。
「いや、何も知らないな」
簡易にそう応え、席に着いた。
一方でナイリだが、彼女は自身の席の前まで行くと、佇んだまま、何故か座ろうとしない。
「……な、ナイリ?」
剣幕を浮かべる彼女にボツが声掛けるも、返事はない。
ナイリは堂々とした仁王立ちで腕を組み、円卓越しにガデュリスを睨みつけていた。
十二歳と幼い少女だが、彼女の性格を知っている者からすれば、その姿を“可愛い”とは言い難かった。
「何かあるなら言えばいい」
ガデュリスが、睨んでくるナイリにその意図を問うた。
「何か言わなきゃいけないのは、そっちの方なんじゃない?」
「ぇ」
ナイリの隣にいるトギトウが、その威圧的な切り出しに声を漏らしていた。
「何かというのは、なんだ」
「俺っちはもうウンザリなんだよ――」
バシッとガデュリスに指を突き立て、憤慨を孕んだ声でナイリは言う。
「――十二分に戦える力を保有しておいてなお、なぜ貴様は何もしようとしないんだ!」
そんな幼女の声が、広間に木霊した。
諫められて、しかしガデュリスは泰然とナイリを見返すまま。
どちらかと言えば、トギトウやミカの面々が呆気に取られている。
「何もしようとしない、とは具体的に何を指す。ナイリ」
「分かんないんか⁉ もっうなぜ貴様は質問ばかりなんだ! 分かるんだろう⁉ 貴様は俺っちらが外で命かけて戦っていた間ずっと、“監視”とかほざいて航空機に残ったまま何もしなかったんだ!」
どうやらナイリは、隊長であるガデゥリスが航空機の監視を担っていることに異議を唱えたいようだ。
「……ナイリ、一度座れ――」
「なあ愚図、聞かせるんだ! 本当は別の理由があるんだろ? 一人で蹲って戦いから身を隠す理由が」
「ナイリ。なぜ今更このことに関して糾弾しているのか分かりかねないが、オレが航空機に残る理由は今まで言ってきた通りで相違ない」
「そうだよナイリ! 今になって反論しても仕方ないよ! 壁の外から帰る唯一の手段が破損されてはたまったものじゃない! ガデゥリスの役割は必要不可欠だよ!」
「うるさいんだ! お前には……お前には見えてないんだよ」
ボツがガデュリスを庇う発言をし、ナイリは癇に障った様子だった。
「そもそもの話さあ」と、今度はミカが議論に混じてくる。
「ガディは長時間動けない病気を持ってるから、出来ても航空機の見張りぐらいが関の山。そうだったでしょ? ナイリっち、そこんとこ忘れてんの?」
ミカの指摘する通りで、ガデュリスには運動量に対する体力の消耗量が常人のそれより酷い傾向がある。
若かりし頃は、そんな症状は一切見られなかったらしい。
かといって加齢による衰退でもなく、ただある日を境に、治癒できぬ障害が身を滅ぼしたと本人は言う。
故に、卓越した武術はあっても、ニール達のように前線で戦うことが出来ないのだ。
「――それなんだ!」
……だが、ナイリはまるで、特病のことが指摘されるのを待っていたかのように、そう言い放っていた。
「その“特病”ってやつ! 体力がないから前線で戦えない? ――そんなの端から嘘なんだ‼ 戦わないための言い訳なんだよ!」
「……え?」
「おぃおぃ、勘弁してくれやナイリよぉ」
ナイリの放言にボツが声を漏らし、トギトウが冷笑して言った。
「ガデュリスの、病気の存在を否定するのか?」
ニールが訊いてみた。
「違うんだ。厳密には、特病が全くない訳じゃないんだよ。ただ大仰に扱ってるんだ。真相の程は、前線で戦うことなんてどうってことないんだ! 過剰な演技で取り繕うぐらいなんだから、体力の消耗ぐらいコントロール出来てるんだろ!」
ガデゥリスがその“特病”によって苦しむ姿を、皆も一度は目にしたことがある。
だがナイリは、“過剰な演技”ときた。
確かに、ガデゥリスなら平気な状態で汗や顔色を操られていてもおかしくはないが……。
ガデゥリスは、特病の被害を本来より誇張し、戦闘から身を避ける口実としている――というのが、ナイリの主張。
ニールに言わせてもらえば……正直、無理のある主張である。
「何故、オレが特病を誇張するような真似をする?」
「貴様は、壁の外の開拓なんて前々から既に諦めてるんだ! 俺っちらを捨て駒にして戦うことを放棄してるんだよ! そうなんだろ? “ガディ”。俺っちらが生還できたことなんて、本当は予想外だったんだろ?」
ガデュリスの渾名が、やけに強調されていた。
「なに言ぃてぇんだ? 開拓を諦めてんなら、そもそも外出しねぇだろ」
トギトウの指摘。
「いいや、こいつには俺っちらを犠牲にしてでも外出する必要性があるんだよ」
「と言うと?」
「“王の要求”なんだ。皆も度々、こいつの口からその言葉を聞くんだろ? やけに懸念するように反芻すると思わんか? こいつには、その王の要求とやらに応える必要があるんだよ」
王の要求――度々聞くそのフレーズだが、内容は、ガデゥリスからは漠然としか伝えられていない。
推測するに、“失敗してもいいから外に挑戦しろ”――そんな概要なのだろう。
その要求に応えることこそが、ガデゥリスにとっては何よりも大切なことなのだろうか……?
「ガディがウチらより王を優先するかなあ?」
ミカのその発言にナイリが反論できるより先に、ガデゥリスがこう折り返す。
「なぜ君には、オレが外の開拓を諦めているように見える? なぜ君にはそう映るんだ?」
「俺っちらが信用ならないんだろ? 弱いから。強くなれないから。結局は俺っちらじゃ貴様の“補助”は務まらないんだよ」
「補助? なぜ補助なんて言葉が用いられる?」
「いいか? 貴様は最初こそ諦めてはいなかったもんな。だから俺っちら六人を集めて、鍛錬を施して、外の開拓を夢見たんだ。元々の計画では、貴様も俺っちら同様に前線に出て戦う筈だったんだろ? ただ、それは俺っちらの鍛錬が成功すればの話。俺っちらが、貴様の些末な“特病”とやらの穴埋めを担う兵士となる筈だったんだ。だがそうはならなかった。貴様の施した訓練は、期待していたほど功を成さなかったんだ。そうなんだろ? だから諦めた。だから特病を口実として用い始めたんだ。開拓の名誉なんて捨てたんだよ」
――と、珍しく饒舌になっているナイリだが、この長話から取るべき点は一つ。
元はガデゥリスも前線で戦う予定だったが、諦めた――ナイリがそう信じていることだ。
禁忌実行隊が形成された初期の方から、ガデゥリスの特病のことは知らされていたが、当初はただ保険を掛ける為に誇張していた、もしくは、隊員を奮発させる為に誇張していた、という仮説が成り立ってしまう。
隊員がより強く上達していれば、その時に“治った”と言って、諦めずに遂行できていたと。
……とはいえ、これらのナイリの主張は全て、彼女自身の妄想内で構成された話に過ぎず、真実ではない。
いや、厳密に言えば真実ではないと証左できるものはないが、少なくともニールに言わせてもらえば理に適わない。
「ナイリ、君は大きな勘違いをしている」
ガデゥリスが言って、続ける。
「第一、オレは外の開拓を諦めていない。そして第二、君たちの鍛錬はオレが期待していた以上に実を結んだ。オレの穴埋めとして育て上げようなどと、そんな目論見は初めから一切ない」
ナイリの主張をきっぱりと否定するガデュリス。
そこで、剣呑な雰囲気の中、しばらくの沈黙が流れる――。
混乱したように、顎に手を当てて考えるトギトウ。
軽んずるような笑みを浮かべているミカ。
とにかく困った顔のボツ。
「――ウチは、ガディに信頼されていないとは思えないかなあ」
ミカの発言だが、それを殆ど無視するような形で、ナイリはガデュリスを見据える。
「もういいんだよ、ガデュリス・キルノック。いいか――俺っちらと前線に出て戦うんだ。それを承諾できなければ、俺っちはこの部隊の目的から退く」
頑固に言って、視線でガデュリスに返答を促すナイリ。
……ときにニールは、未だ、ガデュリスを“愚図”と呼称していたナイリに、感嘆の念が薄れないでいた。
少なくとも、ニールに本心から彼のことを“愚図”と呼ぶ胆力はない。
――ガデュリスは、怪物だ。
特病を患っておいてなお、勃発的な力量ならニールすら太刀打ち出来ないだろう。
「……悪いが、君の要望に応えることは出来ない」
「……そうなんだ。度し難いの」
ナイリが瞑目して静かに言うと、長らく佇んでいたその場から歩き出した。
「俺っちは帰る。考えを改めた時は俺っちに伝えるんだな」
そう言ってポケットから取り出したたばこを咥えながら、出入口へと赴いた。
「……相変わらず、自己中で可愛いよね、ナイリ」
「いや、どこが? ――ぉっ」
本人に届くか否か曖昧な声量でミカが呟き、トギトウはそれに反対していた。
と、その時――、
「シアラ!」
透けた自動ドア――出入口の向こうに、シアラの姿があった。
ボツが安堵を孕んだ声で彼女の名を呼んでいた。
丁度、その自動ドアが開くタイミングで、シアラとナイリがすれ違うところだった。
「……な、ナイリ? どこ行くの?」
「知らなくていいんだろ」
シアラの問い掛けに見向きもせず言い捨て、ナイリはそのままエレベーターで帰って行った。
訝しみながらも、シアラは円卓へ向き直る。
「よぉシアラ! 馬鹿みてぇに遅れてんじゃねぇか。珍しいなぁ?」
トギトウに言われ、シアラはただ苦笑で応えながら円卓までやってくる。
「シアラ、何故遅刻した?」
「あー、そのー……」
席の前に着く頃合いでガディリスに尋ねられ、シアラは額を擦りながら言葉に詰まる。
――そこで一瞬、シアラの浮かべていた苦笑が、消えた。
しかしまたすぐに、口角を軽く上げて――、
「寝坊しちゃったんだよねー……」
首の裏を擦りながらそう言った。
「そうか。次からは気を付けろ」
軽く謝りつつ、シアラは席に腰を下ろした。
ニールの右隣だ。
……昨日のことがあって、二人にしか分からない気まずさが漂っている。
「因みにガディ、ナイリはあのままでいいん?」
ミカが、ガデュリスに問う。
「今は放って置く。いちいち追い駆け回している暇もないからな。といっても、時間ができた時はもちろん話しかけてみる。できれば、君達にもそうして欲しい」
「部隊を辞めるみてぇなこと言ってたよなぁ? なんか、アイツを説得できる気しねぇんだけど……」
「彼女は部隊の目的から退くと言っていた。だが、それが不安なら、気にすることはない。十中八九、ナイリが禁忌実行隊の目的を反故にすることはないからな。あの脅迫は虚勢のようなものだ」
「……なんで、それが分かる?」
ボツが尋ねた。
「彼女なりの私事があるからだ。生憎と、君達にその詳細を伝えることは許されていないがな」
「マジかよ。秘密ごと託してる相手に、あんな口走んのかよアイツ……」
そこでガデュリスは、「そろそろ集合してもらった本題に移ろうか」と言って、話に切りを付けた。
言伝の内容を、頭の中で整理するためだろうか。
ガデュリスが少し前のことを思い出すかのように、一瞬だけ、上を見る――。