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丸の外  作者: 出見塩
 第一章 雪降る森
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1:4 『家族とお金』

 馴染みある空気――。


 カードキーをセンサーに当て、カチャッという響きを聞いた後、扉を開き自室へ入る。


 「……ふー」


 閉ざされた空間で一人になり、思わず深い息を吐いていた。

 結んでいた白髪を解いて靡かせ、ヘアバンドを机に放り投げる。

 そのまま、机に手を付いて項垂れた。


 疲れた。

 が、それだけではない。

 疲労感以上の、別の何かがシアラの身体に重くのしかかっている。


 寝床を見る。

 横になったところで疲れが取れる気もしない。


 「……散歩でもしようかな」


 私服に着替え、財布と携帯を両ポケットに入れて部屋を出た。


 建物の二階、回廊に差し込む日差しが変に眩しい。

 歩きながら、無線のイヤホンを耳に嵌め、携帯から好きな曲を流す。

 テンポの速い、溌剌とした曲だ。


 禁忌実行隊員の六名は、皆がここの寮に住んでいる。

 そのため、頻繁に回廊で出くわすことはあるが、今回は寮を出るまでに他のメンバーと遭遇することはなかった。

 安堵した。

 今は、なんとなく、他の人と話がしたい気分でも、顔を合わせたい気分でもない。


 「…………」


 歩き出したのはいいものの、気が晴れない。

 それどころか、暗闇は腫れあがる一方で心が圧縮されていく。


 音楽が騒がしくなり、イヤホンを外した。

 通路の端にあるベンチに腰かけた。

 散歩といって、いつものようにコンビニに寄って帰るつもりだったが、それももう酷く億劫に感じられた。


 前屈みになって、頭を抱える。

 歯が軋み、指先が頭皮に食い込む。


 「なんで、打てないのよ……っ」


 ここまで必死に頭から追い払っていた記憶が、遂に結界を破り脳内に浸透する。


 怖い。

 思い出して身が固まる。

 怖かった。

 ただ怖くて動けなかった。


 「私が……殺した……」


 消え入りそうな声。

 あの時、食われようとしている男を見て体が勝手に動き、気付けば弓を構えていた。

 “無意識”が“救え”と訴えたのか知らないが、結局は、救えなかった。


 自分にこう言い聞かせてみる。

 ニールですら制圧できなかった猛獣に対して、シアラの矢なんて歯も立たない。

 打てたところで、ただ猛獣にシアラの存在を気付かせてリスクを冒すだけだった、と。


 だが、利かない。

 それらの考え方は、シアラにとって口実に足り得なかった。

 打っていれば、救えたかも知れない。

 それに、あの局面に限った話ではないのだ。

 その前、ニール達が悠々と狼たちを屠っている間、シアラはただ後ろで身震いしていた。


 「ただの、役立たず……っ」


 トギトウに指摘された通りだ。

 ニールの一瞥が語っていた通りだ。

 無駄。

 シアラの存在は無駄だった。


 「……それなら、どこに、行けばいいの……」


 禁忌実行隊に入った時のことを思い出し、耐えきれず涙が零れ落ちる。


 どこか儚い希望を抱いたのは間違いだっただろうか。

 何もできない。

 禁忌実行隊なんて、やはりシアラの居るべき場所ではなかった。

 なら、どこに行けばいい。


 ――この世界の、どこに居ればいい。


 ときおり嗚咽と静寂を往復しながら虚しく時間を過ごしていると――通路から、足音が聞こえてきた。


 「ぁっ……」


 ニールが、通路をこちらへ歩いて来ていた。

 意識が沈んでいたせいか、足音に気付いた頃には既に近くまで来ていた。


 目が合い、シアラが驚いて声を漏らすも、ニールから何か声が掛かることはない。

 目を合わせたり外したりと狼狽えるシアラの前を、ニールはただ流し目に見ながら静かに通り過ぎていく。

 そのまま離れていくニールの背中を、しばし眺めた。


 「はぁ……」


 やはり、失望されているようだ。

 シアラには話を振る存在価値すら感じられなかっただろう。


 昼だが、今日はもう寝よう。

 大変な一日だった。

 人類史に残る一日だった。

 不幸な一日だった。


 明日は、どうだろうか。


 「……訓練場……」


 明日も、訓練場に行かなくてはならない。


 ……いや、本当は、別に行かなくたっていいのだ。

 逃げればいい。

 “辞めます”なんて、誰に言う必要もない。


 だが、その一方で、こうも思う。

 ――逃げたところで、結局は、何処に逃げれば、いいのだろうか。


     ◇   ◇   ◇


 懸垂式モノレールから降り、駅の階段を下りる。

 改札口を通り、外に出たニールは、暖かい空気を胸いっぱいに吸った。

 午後の日が都市の街並みを照らしている。


 ニールはリュックから外套を取り出し、着る。

 下半身まで伸びる黒色の、生地の薄いコートで、防寒用ではない。


 そして、それから更に導線バスに乗って一時間ほど移動する。

 “導線バス”とは道路の上ではなく、建物沿いの“導線”を伝って進んでいくもの。


 目的のバス停で降りたニールは、より汚れていて生暖かい空気を胸いっぱいに吸った。

 バス停の名称は“交友モール”といい、都市区域と場末(ばすえ)区域のちょうど境目に位置してある。

 交友なんて皮肉にも程がある名称だが。


 ニールはフードを深く被り、場末区域へ入る。

 場末にも“内燃バス”なんて乗り物が利用できるが、節約だ。

 徒歩で、また更に二時間ほど移動していく。


 場末(ばすえ)――。

 夕日が照らす町並みは腐朽している。

 タテモノは混沌とした印象だ。

 印象というか、ニールにとってはこの町並みの方が馴染み深いが。

 工場系や住宅系が、ブレンダーに掛けたかの如く入り乱れている。

 窮屈に共存している。

 マンション程の高さを誇る建築物は、ただ山積みにされたブロック玩具のように統一性を欠けている。

 部屋の底が空中にはみ出ていたりと忙しない。

 錯綜した鉄の支え棒が崩壊を留めている。

 そして、煙が多い。

 三次元的に点々と散在する煙突の幾らかから煙が湧き出ている。

 晴れた空が今日も朽ちた色をしている訳だ。

 洗濯物が遥か頭上で揺れている。

 行き交う人々は清潔さを欠けている。

 大型トラック車がクラクションを鳴らしながら窮屈な道を進んでくる。

 焦げたように臭い。

 地面はジメジメと湿っぽい。

 油が川を流れている。

 大きな井戸の周りに、人の列ができている。


 「――――」


 目的のタテモノに辿り着いた。

 周りのそれらと何ら変わらない、ごちゃごちゃしたタテモノだ。

 都市のマンションはエレベーター一つで巡回できるのに対し、場末のタテモノというやつは部屋に行き着くまでが冒険のように思えてならない。


 蓄積されたゴミ袋の山を通り過ぎ、錆びた階段を上がり、軋む梯子を上り、鉄の支え棒を潜って進み、そして扉に辿り着く。

 タテモノの内奥に隠された、陰湿な“小屋”だ。

 この“小屋”が、ニールの禁忌実行隊に入る前までの住み家だった。


 コンコンと、鉄製の扉を二度叩く。

 直後に中から足音が響いてきた。

 覗きがスッと開かれ、青色の瞳がニールを捉えるとすぐに扉が開かれる。


 「ニール‼ 皆、ニールが帰ってきた!」


 中から現れたのは、満面の笑みでニールを迎える中年の男。

 名はボウルディン・ストリエーラ。

 華奢な体躯で、顔もなんだか細長い。

 短く切られた髪は、年頃か白髪が増えている。


 「良く戻って来てくれたよニール!」


 「ただいま」


 ボウルディン――父親はそう言ってニールに抱き付き、背中をポンポンと叩いてくる。


 「え、ニールなの⁉ うわ~ぁ心配だったわよ~ぉホントに~ぃ!」


 そう言いながら近づいてきたのは、金髪の女性。

 名はミウ・ストリエーラ。

 桜色の瞳は焦点が定まっていないのに、見事に真っ直ぐこちらへ進むことができていた。


 「久しぶりだな」


 「うぅん~っ」


 今度は母親にきつく抱き付かれ、次第には額にチューされた。


 「ほら入って入って」


 促されるまま中へ。


 我らが家。

 実家ともいう。

 粗末だ。

 都市に住み始めてからは尚更感じる。


 天井からぶら下がった頼りない電灯が、室内を淡く照らしている。

 家の左半分には、綿が中に詰められた絹袋が無数に搔き集められていて、寝床とされている。

 あとは天井や棚上に飾られた、妹の幾多もの粗雑な“美術作品”ぐらいしかない。

 長居すると喉が痛くなる。

 カビ臭い。


 「良かった~ぁホントに良かった~ぁ」と母親に頭を撫でられていると、奥のクローゼットが急にバンッ!と開かれ、中から妹の顔面が現れた。

 妹――ユィディ・ストリエーラ。

 ニールよりもボサボサな長髪は、奇麗に伸ばせば黄と黒の縞模様をつくる。

 赤色の瞳に見据えられ、その真ん丸とした顔には歪な笑みが張り付いていた。


 ユィディはクローゼットから飛び降り、床を這うようにして一瞬の内にニールの眼の前までやって来た。


 「おい二―、ゲームだら!」


 挨拶もせずにそう言い張って、ニールに指を突き立てて来る。


 「ああ、そうしよう。ただ、少し後でだ。ちょっとすることがある」


 ユィディは、家族でよくするボードゲームの事を指してゲームと言っている。

 たまに都市から携帯型ゲーム機を持ってきて見せることもあるが、それらは帰宅と共にニールが持ち帰る。

 ここに置いて帰っては危険な事情がある故だ。


 「は? クソしょーもねーなお前。まあ仕方ねえ! ミーが待てるかぎり待ってあげら!」


 「言葉が荒いわよユィデ~ィ!」


 表情をころころ変えながら言い返すユィディに、母がそう叱責した。

 ユィディはそのまま綿の詰め袋の方へ飛び込んでいった。


 「よう、ニール。良く戻ってきた、だな」


 寝床に埋もれた妹の傍らに、もう一人――兄がいる。

 薄色の目を細め、冷えた微笑みで挨拶してきた。


 彼はよく寝床で座って、小さな台座の上で機械類を弄っている。

 そして今も例外ではなかった。


 「それは何を弄ってるんだ?」


 「これか? アンテナってやつ、だな。空中を漂う情報を、捕えることが、できるんだぜ? 上手く行けば、都市に住んでるヤツの、個人情報だって、捕えられるかも、知れないんだぜ? へへへッ」


 ボサボサな髪を指でクルクルと弄りながら冷たく笑う兄。

 彼の髪も奇麗に伸ばせば、緑と黒の縞模様をつくる。

 名は、ビュキツ・ストリエーラ。


 「そんな物騒なもん直せよ」


 「へへッ、心配性、だな?」


 父のボウルディン、母のミウ、妹のユィディ、兄のビュキツ、そして、ニール。

 五人家族。

 ニールにとって、最も掛け替えのない存在だ。

 家族を救うためなら、なんでも出来る。

 命を懸けてもだ。


 だから現状の、場末という泥沼に苦しむ家族の様態が見ていられない。

 困窮に、境遇に、非力さに、ゆっくりと生命力を削られている。

 場末というのは、住む人々も同じく腐朽しているのだ。

 健康体に難があるこの家族は、特に危うい。


 この家族にはニールの支援が必要で、なければきっと崩落し果ててしまう。

 それはあってはならない。

 この中の誰一人をも、境遇の餌食にさせてはならない。

 随分と昔に、ニールはそう決意していた。


 「ちょうどスープを作ってたところだから~ぁ、ご飯はもう少し待っててね~ぇ?」


 「分かった、ありがとう。……ところで、父さん」


 「ん? あーまたまたー。いやー、本当に助かるよ……」


 ニールは背負っていたリュックを床に下し、中からズッシリと重たい銭袋を取り出す。

 紐を緩め中身を見せる。


 「これでまた一ヶ月ぐらいは持つと思う」


 ニールが都市で稼いだ貨幣を削るだけ削って詰め込んである。

 場末の市場を考慮し、意図的にある程度汚して光沢感を抑えてもいる。


 両親から熱く感謝の言葉を貰いながら、銭袋をとある“隠し場所”に納めた。


 「ところでニール。――壁の外は、どんな感じだったんだ?」


 皆が気になっていたであろうことを、ここにきて父親に尋ねられた。

 隅にあった小椅子を動かして座り、ニールは(そと)で見たことあったことを皆に語って聞かせた。


 「世間は、どんな反応をしてるんだ? 新聞がなかなか手に入らなくてね……」


 一通り話し、父親がそう尋ねた。


 「そのことなんだが、見て欲しいものがある。今日もこれを持って来た」


 ニールはそう言って、掌に納まるサイズの機材をリュックから取り出した。


 「おっ、テレビか。久しぶりに見るね」


 「違うな、父ちゃん。“携帯型空中走査モニター”、だな」


 小椅子から退いてそれを設置した。

 電源を付けると、装置のカラクリで空中に映像が映し出される。

 映っているのは、豪華な部屋を背景にデスクに座る、中年辺りの男性だ。


 「数時間前にあった、俺らに関する報道だ」


 「へーっ、これはいいな!」


 「ウチのニールも~ぉ、世界に名を馳せちゃったのかな~ぁ?」


 両親は興奮した様子だ。

 とりあせず動画を再生させる。


 『民の者、ごきげんよう』


 映像内の男――ここ、地久(ちきゅう)全土を占めるラマンノール溶接都(ようせつと)の王がそう挨拶する。

 上品に整えられた油色の髪に、厳かな鉄色の目。

 名をティアーゴ・カルチャロフという。


 『今日は一味違った報道になる。それも重大で、人類史に残る貴重な報道だ。我ながら気持ちの昂揚が治まらないでいる』


 「おーっ! すごいぞニール!」


 騒ぐ父に、ビュキツが「シーッ!」と口に指を当てていた。


 『今日の午前11時11分、壁の外へ渡った禁忌実行隊の十名が、なんと、全員、無事に帰還することに成功した。それも、膨大で有益な情報を収得してくれている』


 言うと同時、画面の右上に、航空機から降りてくるニール達の画像が載せられる。

 顔や個人を特定できる要素は映っていない。

 家族は恍惚とした様子で聞き入っている。


 『この成果は、我々人類にとって大きな希望だ。この狭苦しい地久(ちきゅう)の外側へと、遂に手を伸ばすことができている』


 王――ティアーゴ・カルチャロフ王は、片方の口角を上げたまま続ける。


 『無論、これは簡単な作業ではない。未知の領域の開拓とは、一夜越しに成せられるものでは当然ない。推測されていた通り、外側には人間を襲う凶暴な生き物が夥しく生息していると確認された。禁忌実行隊には引き続き活動してもらい、これらの生命体を駆除、そして抹消してくれるよう期待している』


 父の表情に険しさが宿る。

 ニールが一度生還したところで終わりではないと、今さら気付いただろうか。


 『その名の通り、忌み嫌われ、そして恐れられていた行為を実行に移し、更には功績を得られている部隊に、私は心の底から感謝している。彼らの生還は、さも暗闇に溺れゆく我々に光を照らしてくれた。地久温暖化、地下・大気汚染など、救いようがないように思われていたものだ。誰もが終焉を目前に感じていたかも知れない。だが、もう安心していい』


 王が紡ぐ。


 『我々は壁を越える。そして、無限の大地を手に入れる』


 それでは、またの日にお会いしよう――と、最後にそう言って、録画は終了した。

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