1:2 『出て見た世界』
禁忌実行隊一同は、雪降る森に降り立った。
「ほぁー、なんかすげぇな」
「……不気味よね」
トギトウやシアラも、ニールと似た感想を抱いただろうか。
皆が一様に辺りを見回している。
隊長のガデゥリスが最後に航空機から出てくると、各々の視線が彼に集まる。
彼は、隊員の表情を見渡した後、一息吐くと、航空機をひょいっと登った。
殆ど動作一つで、いつの間にか航空機の上に乗っていたのだ。
その位置から跪き、隊員たちを俯瞰する。
「それじゃあ、頼んだぞ、お前ら。言ってた通り、オレはここに残って航空機の監視を担う。連携を乱さず、常に集中を怠るな。何かと遭難して力及ばずと判断したら直ちにここへ戻ることだ。いいな?」
途端――バシッ!と、服が擦れるような音が複数、同時に響いた。
音源を窺えば、敬礼の姿勢を取った者が三人――潜行隊から来たと言う、助っ人のあの三人だ。
一秒ほどして、また同時にバシッと敬礼が解かれた。
「……君達三人は、背後から援助する形を取れ。無理に前に出なくていい」
ガデュリスのその指示からして、やはり彼も潜行隊の三人には厚い信頼は抱いていない。
彼らとは、微妙なズレを感じる。
返事としてか、再び息ぴったりな挙手が三つ、響いていた。
◇ ◇ ◇
「とりあえず、反応が強かった辺りを調査したいかな。危険だと思うし、じわじわ近づく形が理想だと思う」
ボツのその提案に一同は頷き、部隊は動き出した。
冷風に煽られながら、積雪に足音を立てて進んでいく――。
「前提として、僕たちが何と対処しているのかを知るところから始まるしね……」
禁忌実行隊、初のミッション。
この“異世界”を開拓し、人類の領土とすることが目的だ。
――漠然とした方針だ。
そもそも、それを達成する為には何をしなければならないのか、何を対処すべきか。
未知の攻略においては、それらを知るところから始まる。
「俺っち、行き先の状況を確認しに行くんだよ」
群青髪の幼女――ナイリが、たばこ菓子を最後まで口に入れてそう言った。
「あ、うん! お願いするよ」
ボツの返事を受け、ナイリは装着しているジェットパックで浮遊し、ニールたちの進む先々へと飛んで行った。
――内作だが、良くできた質素なジェットパックだ。
「どう? 何か見える?」
しばらく経って、ボツがインカムを通してナイリに尋ねた。
こめかみ辺りの簡素な操作を基に、通話する形だ。
指定の個人に声を送信するか、一度に隊員全員へと送信するか、選択ができる。
『狼のようなモンスターの群れを見つけたんだ。君達から東の方角にある、そこそこ大きな群れなんだよ』
インカムからナイリの声が聞こえてくる。
ナイリは隊員全員へ一度に声を送っているようだが、あくまでボツに対して話を振っている。
「狼のモンスター、なのか……」
“モンスター”と、小説の類に出て来る単語が用いられ、それらしき見た目が連想される。
『俺っちに気付いたのがいるんだけど、明らかに牙を剥き出しにして威嚇してきてるんだよ』
「……やっぱり、有無を言わず人間を襲おうとするんだね。人語が伝わるなんて可能性も無視した方がよさそうだし……。どう? 僕たちで対処できそうに見える?」
『三十匹辺りに見えるんだ。強さは、見た目から推測しちゃうけど多分弱いんだよ。手慣らし感覚に対戦しても損はないと思うんだ』
ボツが「戦う?」と、インカムを通さずこの場にいる皆に問い掛ける。
「ナイリの言う通り、情報収集ぐらいは済ませるべきだ」
ニールが頷いてそう返した。
初見の敵に――それも、不思議溢れる世界を徘徊する敵に歯向かうほど危険な行為はないが、部隊の名に則り四の五の言ってられない。
戦えそうなら引く理由もなく、ナイリの見つけたその群れを対処することで、方針は定まった。
「分かった! そっちに向かう!」
『了解なんだ。あと、ちょうど奴らが俺っちに気付いてて、進行方向を俺っちに向けてるんだけど、誘導して欲しい方向とかあるんかね?』
「あ、そうだね。……北西に誘導してくれると嬉しい」
正面衝突を避けるような誘導を依頼するボツに、『了解なんだ』とナイリが返した。
ボツを先頭に、部隊は歩を進めていく。
「……あれだね」
しばらく歩いていると、ボツが呟くようにしてそう言っていた。
ナイリの言う“狼の群れ”を見つけたのだ。
ニール達は、地形の影に身を潜めるようにして屈み、群れを窺う。
森というには間隔の開いた樹々の奥――白い狼の大群が右から左へと進軍している。
ナイリは身を隠したのか、狼たちは獲物を追っているようには見えず、だた歩行している。
「……確かに、量は多いが小手試しぐらいなら無理ない相手だろう。少なくとも見た限りだと」
ニールの感覚的な話になるが、ここから見た限りだとサイズ感や肌で感じられる雰囲気からして、何匹いても苦労しそうな獣には見えない。
『俺っちが擲弾で奴らの注意を逸らすから、その隙に攻撃できる?』
「ああ、そうしよう。その爆発を合図にして奇襲を掛ける」
ナイリの提案した戦略に、ニールは皆の賛同を視線で確認しながらそう返答した。
そして、一同が侵攻の体勢を構える。
少しすると――大群のその奥の方で橙色の光明が閃き、爆発音が響き渡った。
ナイリが空中から落とした擲弾が破裂したのだ。
狼たちの意識がそちらへ逸れ、大多数が爆発地点へ移動し始める。
その時、トギトウが、拾った小石を一番近くにいた狼へ投げ当てた。
その一匹だけが、こちらへ視線を向けて我々を認識すれば、牙を剥き出しにして襲って来る。
「――うっしゃッ!」
トギトウが最初に踏み切り、皆が後に続いた。
狼――のような怪獣が、“剛腕”を起動させながら突進してくるトギトウと一対一の形で衝突する。
黄色く鋭利な双眼。
白い体毛に、波打つ尻尾。
体毛の内側で硬質感のある光沢が見て取れた。
鱗を連想させる。
狼に、鱗がついているのだろうか。
初めて見る動物種であることは間違いない。
鱗狼とでも呼ぼうか。
サイズは、典型的な狼よりは大きいだろう。
「うっらぁあ‼」
口を大きく開けて食らい付かんとする鱗狼の頭部を、トギトウの“剛腕”による殴打が破砕し、鮮血を四散させた。
そうして、他の鱗狼たちも次々と黄色い双眼をニール達へ向けてくる。
何かスイッチでも入ったかのように、そられが一気に襲い掛かってくる。
知性といったものは窺えず、人間が居たら殺す機能でも付いているかのようだった。
――ナイリの擲弾によって隊列を乱されていた大群は、先頭が劣勢な形でニール達へ襲い掛かってくるのだ。
出だしから包囲されずに済む。
眼前、ニールに狙いを定めて突き進んでくる、最初の一匹。
刀というには刃の短い刀――“脇差”を背後の鞘から引き抜き、タイミングを見計らって横へ一歩踏み込んで屈む。
柄を握る右手に愉悦感を覚えながら、あえて鱗の厚そうな胴部目掛けて下から刃を振り上げる。
――スカッと、バターを斬るような感覚で、鱗狼は容易に両断された。
そして、直後に食らい付かんとする鱗狼に対しても横に一閃――頭部から尻まで引いた赤線がそれを断つ。
そして次。
そして次――。
左右から同時に飛び掛かる鱗狼を斬り、蹴りで往なしたりと、ニールは勢いを劣らせない。
禁忌実行隊の訓練場でこのようなシミュレーション鍛錬を幾度となく熟してきた故に、どこか計画通りに進んでいる感慨があって気持ちがいい。
「ほいっ! ほらっよっとー!」
もろ、敵の群れに潜り込むようにして奔走するミカに至っては、どう見ても楽しそうに戦っている。
自ら“魔二遊子等”と名付けた双銃を、まるで体の一部のように使いこなしている。
“銃”といっても、彼女のそれは一般的な銃とは異なり、銃弾は赤いペイントのような小さな塊だ。
それが鱗狼の体内に入るたびに小さな破裂を来し、内側からも体を破壊している。
興味深いもので、人間は打たれても体内での破裂は発生しないらしい。
痛いことに変わりはないだろうが。
「――おい! どこ狙ってんだよ! 危ねぇだろうが‼」
トギトウが叫ぶ。
叫んだ先は、大群に向かってライフル銃を連射する“あの三人”だ。
問題なのが、彼らの撃つ銃弾のほとんどが、狼たちの鱗に弾かれていることだ。
弾の軌道も変わるから危ない。
それに加えて、ライフル銃は単純にニール達との相性も悪いから欠点しかない。
何故かと言われたら説明は難しいが、強いて言えばただ編成と噛み合わない。
「もうその物騒なもん引っ込んでろ‼」
トギトウがそうやって怒鳴るのも無理はない。
彼らも分の悪さを感じていたのか、位置取りを下げて乱射を抑えた。
「――よしっ!」
着々と敵を斬っていると、ふとボツの声が鼓膜に触れた。
この中で参謀的な役割を担っている彼だが、ただ後ろで見守っている訳ではない。
何か、これまた小さな機材を鱗狼に向けて撃っているようだった。
察するに、あれは敵を倒そうとしているよりも、恐らく血液か何らかを採取していると思われる。
有益な情報として今後に役立つのだろうか。
ともあれ。
禁忌の執行は今のところ滞りないと言える。
微妙に雪風が強まるのを感じながらも、こうして、特に複雑な連携も必要とせずにせっせと敵を排除している。
が、やはり、おかしかった。
「敵の数がなかなか減らない……」
「おれもそれ言おうとしたわ。てか増えてんじゃねこれ?」
トギトウやミカも同感を示してくれたが、彼らは、本当に切りがないと確信が持てるまでは殺戮を続ける気でいるようだった。
出来れば鱗狼が減っていない原因を突き止めたいニールも、賛同する。
「――おっと」
眼前に迫った無防備な鱗狼を斬ろうとしたところを、刃より先に、横合いから飛んできた矢が鱗狼を射して殺めていた。
無様に倒れるそれの胴体に刺さっているのは、青白い燐光を持つ特異な矢。
純白髪の少女――シアラの矢だ。
「……まぁ、ありがとう」
彼女の方を一瞥し、届かない声で感謝の言葉を呟いた。
「なぁ、シアラのやつ大丈夫かよ?」
「確かにな。本来の力を発揮できていないようには見える」
トギトウに投げかけられた疑問は、ニールも少なからず抱えていたものだった。
はっきり言うと、今の矢は無駄だった。
ニール一人で十二分に対応できていたものを、シアラは狙いやすかったのか知らないが、サポートする形でそこに矢を放った。
引っ掛かる。
いつもの彼女なら無駄がない。
位置取りも、いつもより随分と引き目だ。
「シアラぁ! 遠すぎるってぇ! お前はもっと近い方が強ぇだろ!」
ニールが思い描いていたアドバイスを、丁度トギトウが代わって大声にしてくれていた。
シアラは難しい顔をしながらも、恐る恐るといった感じで位置取りを少し寄せた。
それは僅か数歩だけで、本領はもっと近いが……。
「トギトウ。もう気にしない方がいい」
「あぁ、そうだな……。――ふんっ!」
トギトウが再び、“剛腕”で赤い花を咲かせながら意識を殺戮に戻す。
ニール、トギトウ、ミカの奔走。
ナイリ、シアラのサポートに、ボツの情報収集。
ナイリは今も定期的に擲弾を落とし、閃光と爆音で大群を牽制している。
離れたところで“あの三人”が苦戦しているところを時折見るが、戦犯されるよりかはマシだった。
――無数の、獣のか細い断末魔。
刃が肉を裂く音。
弱肉強食とも捉えられる戦いの中を、無数の響きが交錯している。
白かった世界も随分と赤く染まった。
徐々に、雪風が強まっている――。
「ねえ、ちょっと疲れてきたわあ。もうそろ上がんなあい?」
最も動き回っていたであろう、ミカの声。
「あぁ、おれも折り合い時な気がするわぁ! どぉだ? ニール。気持ちぃならおめぇだけ一人で戦い続けたっていぃんだぜ?」
「いや、別にいい」
「ふ」
自分の冗談に一人で笑って、トギトウは余裕を見せていた。
……余裕。
今まで壁を越えてきた者たちが全員力尽きたという事実に違和感が芽生えないと言ったら嘘になる。
当時のこの“雪降る森”が、今よりも更に過酷な環境だったのかも知れない。
それとも、洗練された武器性能や、武術への精進が功を為しているのかも知れない。
「ボツ! 切り上げるぞ!」
トギトウがこめかみにある操作に一度、触れてから言う。
インカムを通してボツ個人に声を送っているのだと察せられる。
しかし、
「おい? どうしたんだよ!」
「……ボツの様子がおかしい」
「見れば分かるっつぅねん。ボツ! 黙ってねぇで答えろや!」
雪の中を遠目からでも、ボツの焦燥した表情が見て取れた。
瞠目し、ノートPCのキーボードと画面を交互に見返している。
『あぁあっ、と、とにかく速くここを離れよう! 速くっ! 今すぐに‼』
「は?」
肉声とインカム受信が同時に鼓膜に届く中、トギトウがそう吐いていた。
「ねえ、なんかあった?」
後ろ。
離れた位置から、そう問い掛けてきたミカの方を、振り返る。
オーバーオールのジーンズも、肌も、桃色の髪も、全てが赤く塗りたくられていた。
吹雪の中、そんな彼女がこちらへと近づいて来る。
そして、ニールが違和感の正体に気付いた、その時――、
「――避けろ、ミカ‼」
トギトウが叫んでいた。
しかし、既に遅かった。
――ミカが、仄暗い空から忽然と現れた猛獣に潰されていた。