8話
拓哉は真新しいスマホをポケットの中に入れた。
「瑠璃ちゃん、よろしく頼みます」
「……はい」
古ぼけた掛け時計の下には粗大ゴミで捨てられてもおかしくないような焦げ茶色の長い棚があり、その上に日本刀が2本飾られていた。柄の部分が白く何処かで見たような気がした。
「あれか。覚えてるか? 昔、VIP席に飾ってあったろ」
ジグソーパズルが一瞬で解けたような感覚だった。あの頃の景色、あの頃の香り、あの頃の関係者達が頭の中を駆け巡っていた。当時、VIPルームを使用出来る客は限られていた。その中に角田のエースだった女社長がいた。そのエースの趣味でVIPルームの雰囲気に全く合わない日本刀を飾らされていた。2本セットで数百万と言われても返答に困った事を思い出した。
「あの女社長はお元気ですか?」
「知らね。歌舞伎町界隈には出没してんじゃないかな。あの人、男いないと生きていけないだろうし」
「そろそろ行くよ! 夕飯の準備もあるんだからね」
「はいはい。とりあえず、瑠璃と行ってこいよ」
「分かりました。暗くなる前には帰ります」
まだ少し肌寒い4月初頭、瑠璃は角田の黒いアウターを貸してくれた。事務所の外に出た瞬間、そのアウターの有り難さが沁みた。
「拓哉さん、とりあえずコインランドリーに行きませんか?」
「そうですね。絶対に必要ですし」
「お風呂は会社のシャワーで我慢してください。洗濯も一人分ぐらい増えても私的には問題ないのですが」
「いやいや、そんな迷惑かけられない」
「お父さんから頼まれているし。それに……」
「それに?」
「言いにくいけど、私より不幸な人がいるんだなと思って。気の毒だなって」
拓哉は腹が捩れるぐらい笑った。幼少期はもちろんの事、少年時代、ホスト時代と心の底から笑った事などなかった。いつも誰かに気を使い、どう出し抜くか、どう従わせるかしか頭になかった。だから、何の利害関係もない瑠璃の一言が心のとても柔らかい場所を刺激した。
「瑠璃ちゃん、不幸なんだ」
「そうですね。多分、めちゃくちゃ引きますよ」
「引かないよ。これ以上ない事も経験済みだしさ」