葛藤
上田カイリの転落事故から3日が経つ──拓哉は、得体の知れた倦怠感に見舞われていた。執行猶予期間でなければ、それほどでもない事だ。セフレがホームから転落して死んだに過ぎない。“アリバイ”とまで言うと重たくなるが、事件の瞬間にはその場所にはいなかった。証言してくれる人も何人かいる。だが、心の中のモヤモヤは治らない。彼女が死んだ事は心よりご冥福をお祈りするが、一粒の火の粉が紅蓮の炎に変わり、全てを焼き尽くすのではないかと気を揉んでいた。仕事中も何処か上の空で、スマホばかり気にしている。
出来れば早く事情聴取をしてほしい──当然無実であるし、彼女とは深い関係だけれど、その日は別の場所にいたんだと主張したい。
仕事が終わり、アパートに帰る。瑠璃には平気なフリを続けている。まだ起きていない事で、生活が脅かされるほど不安定になっている事を悟られたくなかった。年齢差を考えても、常に励ます側であってもおかしくない。出来るだけ瑠璃に負担をかけたくないし、このモヤモヤに一人で立ち向かい、そして勝ちたいと思っていた。
「すいません、桐敷さんご在宅でしょうか?」
部屋に入って直ぐに、古びた木製のドアがノックされる。その音を聞いてピンと来た。『警察に違いない』と。
「はい、どなた様でしょうか?」
メッキが剥がれたドアノブをまわす──スマホで時間を確認した。18時15分を少し過ぎたところだ。
「すいません。警視庁の捜査一課、田渕と言います」
警察手帳を右手で開き、こちらに見せる。目を凝らして見ようとするが、折りたたみ式のそれを直ぐに胸ポケットにしまわれてしまう。
この田渕という男、歳は40代後半であろうか、紺色のスーツに少し曲がった黄土色のネクタイ、白髪の割合の方が多い短髪の刑事だ。細身で身長も170センチそこそこといったところだ。
「先日のホーム転落事故の件でお話しを聞かせていただきたいなと思いまして」
「はい。どうぞ、お入りになってください。狭いですけど」
「すいません。失礼します」
拓哉は田渕を部屋に入れる。猫の額ほどの玄関先で話す事ではない。じっくり腰を据えて堂々と話しをしたかった。




