2話
拓哉は刑事ドラマ等でよく使われる台詞を思い出していた。
『現場は出来るだけ荒らさぬように』
あいりの左腕がだらんとベッドの横からはみ出していたが、そのままにした。ワインレッドの絨毯の上に血のついたカッターナイフが落ちている。文房具店や100均などで売っていそうなチープなものだ。まるで眠っているかのようなあいりの身体はとても美しく、小ぶりな乳房はまだまだ未成熟で、拓哉の目には蝋人形と化したそれが今までで一番魅力的に見えた。拓哉はかつてない興奮の渦の中にいた。今まではいつでも呼べばその場所に来る。だが、そんな従順なあいりはもうこの世に存在しない。もう二度と会う事も出来ないし、この身体を貪る事も出来ない。そう考えただけで、心の中に潜む悪魔が騒ぎ始めていた。
『これが最後になるかもしれない』
拓哉は人の道を大きく外れようとしていたが、寸前で思い留まった。殺してはいないが、死人を犯した痕跡を残してしまうと、罪に問われるかもしれないと思ったからだ。拓哉は、血だらけの左腕を風呂場で洗った。強く擦りすぎて傷口から血が少し流れたが、黒いバスタオルで左腕を押さえてフロントに電話をした。
「すっすいません。連れが血を流して死んでいるんです」
拓哉は、普通体験しないであろうこの空間に少し慣れてしまって、電話の対応が妙に落ち着いていた。ラブホテルの従業員らしき人は慌てた様子だった。
「けっ警察を呼ぶのでそのままそこにいてください! お願いします!」
拓哉はこの状況を警察にどう説明するかを考えていた。考えるも何も、起きたら死んでいたのだ。おまけに自分の手首も切られている。
『待てよ……』
無理心中だと疑われるのではないか──
あいりはいつの時代も言われている、今時の女子高生の代名詞のような出立ちである。肩まで伸びた金色の髪、拓哉に合わせようと必死に背伸びしたメイク、身長も160センチで、表参道で歩いていると何枚もプロダクションから名刺をもらえそうな女である。拓哉は、彼女は何故死ななければならなかったのか分からなかった。
『そう言えば……』
過去に一度だけ妙な事を言っていた事をふと思い出していた。
「私はいらない人間なの。ていうか、透明なんだよ」
「いや、俺にはしっかり見えてるよ。あいり」
「本当? 嬉しすぎるんだけど。拓哉の血の色が見たい。私は透明だから」
「いやいや、生理とかで見るだろうが。大差ないよ」
「そういやそっか」
自分は透明であるだとか、愛した人の血の色を見るのが幸せであるとかよく分からない変な奴だと思っていたが、エースに対してネガティブな発言は御法度であるし、シンプルにどうでもよかった。金さえ払ってくれて、自分を高みに連れて行ってくれるならどんな女でも。