5話
「お母さん、ちょっとアイスクリームを買ってくるから、この中で待ってなさい」
当時、小学生だった拓哉はその言葉を信じて、見知らぬ建物の中で待っていた。その言葉が嘘だと知るのにそう時間は掛からなかった。拓哉は一般的な子供らしさなどからは遠くかけ離れていた。泣けば飴玉を沢山貰える訳ではなかったし、強く叱られる訳でもなかった。ただ疲れるだけ、打てども響かない除夜の鐘のようで虚しさだけが残る事を知っていた。騒ぐだけ無駄だと痛いほど味わってきたのだ。
期待などしない──母親にとって、子供の存在などは二の次で、自分が満たされない苛立ちと、若さを保つ為の欲だけで形成されていたと言っても過言ではない人であった。ただ、最後の母親の後ろ姿が震えているように見えた。気のせいかも知れないし、あまりにも惨めな自分を受け入れたくない思いがそう見えただけかもしれない。いずれにしても、女という生き物に一才期待などしない。アイスクリームを買いに行った母親の後ろ姿に似たものをまた受け入れるスペースは拓哉にはもうなかった。
「もしもし?」
携帯が鳴った。電話の向こうで瑠璃が苛ついているのが直ぐ分かった。拓哉はすぐに事情を話した。
「何っ! その女、ムカつくっ!」
「いっいや、無茶な事を言われたから」
「なに言われたの?」
「駅までノーヘルで送ってくれって」
「はい? 舐めてるね。ほんとムカつく!」
「瑠璃ちゃん、ごめん、次の現場は?」
「知らないっ!」
一方的に電話を切られた。いつもなら後2、3件は配達の仕事があるはずだ。拓哉は目の前にある自動販売機でブラックコーヒーを買い、バイクにもたれかかった。瑠璃から直ぐに連絡があるはずだと思っていたが、電話は鳴らない。蒸し暑いせいで冷たい缶コーヒーを一気に飲み干した。拓哉は先ほどの赤いキャップの女の子が携帯に何をしたのかが気になった。まだ電話をかける事とメッセージの送受信ぐらいしか知らない。色々な機能があるはずだが、自分には必要ないと思っていた。執行猶予が明けるまでは息を殺して生きていく事に全勢力を注ぐ、それが最優先事項であると。




