3話
8時50分──アパートの前で待つ。空っ風が吹き抜ける冬の夜、下町には似つかわしくないユリの白いセダンが停まる。助手席側のパワーウインドウが下がる。
「お待たせしました。寒かったでしょう?」
ドアロックが解除され、車内に入った。秋に静岡でこの車のパンク修理をした。何故か随分昔の事のように感じた。
「すいません。来て頂きまして」
瑠璃に買ってもらったカーキのミリタリージャケットは着て来れなかった。彼女に対しての後ろめたい気持ちがそうさせた。中の羽毛が少し飛び出ている黒いダウンジャケットと、安物のデニム、履き崩した灰色のスニーカー、いつもの普段着だ。正確にはそれしか持っていない。この高級車の助手席に全く釣り合っていない男である事は承知している。プライベートで会うのはこの間が最後と思っていたが、今回は特例だ。
「桐敷さん、ご飯食べました?」
黒いタートルネックのセーターがユリの胸の膨らみを強調する。白いレザーのミニスカートから伸びる長い足は、暖かそうな厚手の黒いストッキングで防寒されている。
「いや、食欲なくて……」
「私もです。何だか落ち着かないというか」
車内はユリの香水が充満している。とても落ち着くフローラルな香りだ。そしてハンドル周りやルームミラー無駄なものが一切ない。変なアクセサリー等はこの高級車には合わない。
「すいません。音楽消しますね」
ヒップホップが流れていた。意外な趣味に驚いた。
「ヒップホップ好きなんですか?」
「はい、いつもは爆音で聴きます」
「そうなんですね。意外です」
「意外ですか?」
「はい。クラッシックとか聴いてそうです」
「そんなエレガントじゃないですよ。とりあえず、私がいつも一人で行く場所があるんですが……」
「場所?」
「はい。港にある倉庫の裏なんです」
「渋いすね。よくドラマとかで麻薬の取引きとかで使われそうな?」
ユリの笑い声が車内に響いた。
「可笑しい。久々に笑いました」
「忙しかったんですか?」
「誰かさんが連絡くれないから……」
拓哉は目を逸らして窓の外を流れる景色を見た。




