真理男の血族 〜 異能力兄弟喧嘩 〜
家を出る時、兄貴が声を掛けてきた。
「和輝、今週も天衣ちゃんとデートか?」
冷やかすような表情に、ついそっぽを向いてしまう。
「いいよなあ〜、幼馴染みがあんなに可愛く育って。ラッキーだよな。俺も幼い頃は可愛がってやったのに」
妬ましそうにそう言う。
面倒臭いので振り切るように玄関を出ようとした。軽いリュックにはほぼ何も入っていない。
「和輝」
聞き慣れない大人の声がしたので、誰かと思って振り向いた。
「天衣というのは、无宝家の一人娘のことか?」
叔父の出雲さんだった。二年ぶりぐらいに会った。いつの間に家にいたのだろう? 作務衣姿なのは、昨夜は泊まっていたということなのだろうか?
「う……、うん。知ってるの? ってか、出雲さん、いつの間に来てたの?」
「昨夜遅くに来た」
母さんは深夜のパートに出ていなかったはずだ。兄さんが入れたのだろうか。
「いいな、若いというのは」
冷やかすようではなく、なんだか嫌に真剣な口調で出雲さんが言う。
「俺も若い頃はお前の父さんと一人の女を巡って争ったもんだ」
そんなことを言われても俺は父さんのことを覚えていない。俺が産まれた時には既にこの世にいなかった人のことなど……。
っていうか、それは聞きたくない話だった。
「君枝さん……。お前のお母さんのことを巡ってな」
気持ち悪い。
べつに出雲さんのことは嫌いではないが、叔父さんと母さんの間のそんな話を聞くのは気持ちが悪かった。
「ごめん。ちょっと急ぐんだ。行ってくる」
そう言って俺が靴を履くと、背後で兄貴が叔父さんに言うのが聞こえた。
「出雲さん。あいつ、まだ目覚めてないんだよ」
目覚めて……? なんの話だか。もう朝起きてから2時間も経ってる。とっくに目覚めてるっての。
外はよく晴れていた。
待ち合わせの駅までは歩いて15分ほどだ。
自転車で行けばすぐだが、俺はこの15分を楽しみながら歩く。
目にするものがなんでもキラキラして見える。好きな女の子に会いに行くって、いいものだ。
日曜日の公園にはもう子供連れのお母さんがいっぱいで、賑わっていた。お父さんはあまり見当たらない。
俺は天衣ともしも結婚したら子供と一緒に遊んでやるんだ。まだ高校生なのに、そんな気の早いことを考えてしまう。
おばさん二人が談笑しながら、歩道を塞ぎ、並んで前をゆっくりと歩いていた。
俺は車道に出てそれを追い越すと、「失礼します」とおばさん二人に謝った。
歩道に戻った時、目の前に不審な男が立っていた。
黒いパーカーのフードを被った中に黒いキャップを被り、顔が見えない。
そいつはまるで俺に用があるかのように、待ち構えるようにそこに立っている。
なんだか嫌なオーラのようなものを発していた。
距離をとってそいつの横を早足で通り過ぎようとした時、そいつが待ったをかけるように、右手を俺のほうへ差し出してきた。
なんだか嫌な予感がして、俺は咄嗟にそいつが広げたてのひらから身体をそらす。
すると俺が避けた後ろから、さっきのおばさん二人が歩いてきた。
俺は自分の目を疑った。
おばさんが、二人とも、笑顔のまま、あっという間に粉々になり、砕けた硝子が塵となって消えるように、跡形もなく、そこから姿を消したのだ。
男のほうを見ると、何やら自分の右腕に左手を当てて、銃弾を装填するように、上下に『ガチャリ』という音でもしそうな動作をしている。
素速く俺のほうを向く。その顔が見えた。真っ黒な鬼の面を被っていた。
「ヒィッ!?」
情けない悲鳴を上げてしまった。
そいつが再び俺に右手を向ける。
俺は左にかわす動きをしながら駆け出した。
するとそいつは右腕を下げ、悠々と歩いて追いかけてくる。
めちゃくちゃに走った。
全力疾走なのに、そいつは歩きながらついてくる。
「なっ……! 雲にでも乗ってやがんのか!?」
そんな感じだった。あるいは動く歩道にでも乗っているかのように、悠々とした歩き方で、俺の駆け足に追いついてくる。
俺は罵声を浴びせてやるしか出来なかった。
「なんだよお前!? なんで俺についてくんだよ!?」
そいつがまた右腕を前に出してきた。
「ヒッ!?」
俺は角を右へ曲がる。
この先に交番があった。そこへ逃げ込もうと思った。
「おまわりさーん!」
この交番は無人なことが多いが、幸いなことに二人も警察官がいてくれた。
駆け込んできた俺にびっくりしながら警官の一人が聞く。
「どうした!? 君?」
「アイツ、人殺しです!」
俺は振り返り、指を差した。
「おばさんを二人、殺しました! 俺の目の前で! どうやったかはわかんないけど!」
黒いパーカーの男がゆっくりと交番の入り口に姿を見せた。
右腕を前に向けてくる。
警官が男に聞く。
「なんだね、君は? ちょっとこっちへ来なさい」
俺は慌てて言った。
「おまわりさんっ! アイツ変な武器持ってる! 避けて!」
遅かった。俺の前に立つ警官の後ろ姿が、硝子のように砕け散り、跡形もなく消失した。
「は!?」
もう一人の警官が驚いてから、警棒を抜く。
「貴様っ! 何をした!?」
銃弾を装填するように右腕をさすっていた男が再び砂をかけるような動きで右手を前に出すと、もう一人の警官も砕け散った。
「うわあああ!」
俺は交番の奥へ逃げ込むしかなかった。
逃げながら、武器を探したが、ゴム長靴とかホウキとか、ろくなものしかなかった。
そいつは後を追ってきた。しかしのろのろとしている。
どうやら建物の中では動きがのろくなるように思えた。
とはいえ交番の中にずっといれば追い詰められて、きっと俺も消去されてしまう。
裏口のドアを見つけると、勢いよくそれを開いて外へ飛び出した。
飛び出した先は駅だ。
天衣と待ち合わせているその駅は大きく、人がたくさん歩いていた。
外を逃げていては追いつかれる。
建物の中へ逃げ込めばアイツの動きはのろくなる。
それを信じて、俺は駅の中に駆け込むと、隣接するデパートのほうへ向かった。
俺の判断は間違っていた。
アイツは建物内でも広いところなら速い移動が可能なようだ。
何より俺の背後で、次々と、罪もない人達が消去されていく。
俺の判断は間違っていた。
これだけ人がいれば皆でアイツを取り押さえてくれてもよさそうなものなのに、ビビって皆及び腰だ。
たまに勇気ある人が怒声を上げながら立ち向かっていって、声もなく消された。それを眺めていた人達は逃げるかへたり込むか以外の力をなくし、パニックになった。
天衣の顔が頭に浮かんだ。
輝くような、その笑顔が。
絶対に、天衣との待ち合わせの駅東口にだけは近づいちゃいけない。
俺は西へ、北へ、南へと走り続け、ぐるぐると回ってしまったようだ。
気がつくと前方に、東口の外の景色が見えていた。
「和輝!」
走り続ける俺を呼び止める女の声が響いた。
絶望の色を目に浮かべてそちらを振り向くと、天使のような白いワンピースに青いキャップを被り、肩からバッグを下げた愛しいその姿があった。
丸い目をさらに大きく丸くして、俺のほうへ駆けてくる。
「こっち来んな! 天衣! 逃げろ!」
そう叫んでも構わず駆け寄ってくる。
「どうしたの? 何があったの? 何、この騒ぎ?」
「来んなって! あっち行け!」
「なんで!? なんであたしから逃げるの!? 和輝!?」
背の高い、そいつの姿が見えた。
海を割るように人混みを割って、黒いパーカーが揺れながら、まっすぐ俺のほうへやってくる。
それに気を取られているうちに、天衣にしがみつかれてしまった。
「なんなの? 何に怯えてんの?」
すぐ俺の目の前で、天衣の白い顔が俺に答えを求めている。
パーカーの男が近づいてくる。
ゆっくりと、右腕を、前に差し出した。
「逃げ……ろっ!」
俺は天衣を突き飛ばそうとした。
「痛いっ!」
彼女は声を上げたが、しかしその手が俺のシャツをしっかり掴んでいて、突き離せなかった。
男がすぐ側までやってきた。
男の右手が、俺を捉えた。
俺は必死で天衣を背中に隠し、守った。死んだな、と思った。
しかし、何も起こらない。
よく見ると、男が被っている真っ黒な鬼の面の下から赤いものが滴っている。鼻血だろうか。
「あ……」
天衣が何かに気づいたように、俺の横からパーカーの男をしげしげと見た。
「あなた……」
天衣にそう言われると、何かを恐れるように、黒いパーカーの男は背中を見せて、急いで向こうへ行ってしまった。
ようやく駆けつけたパトカーのサイレンの音を聞きながら、俺はホッとしてしまって、その場に崩れそうになる足をなんとか支えて立っていた。
「なんか知らないけど……助かった!」
「和輝……気づかなかったの?」
天衣が心配するように俺の身体を支えてくれながら、そんなことを言う。
「な……何に?」
「あれ、直ちゃんだよ?」
その言葉に、俺の脳が思考を停止した。
直ちゃんって……誰だっけ?
いや、考えなくてもわかることを、認めたくなかっただけかもしれない。
天衣が『直ちゃん』と呼ぶ人間は一人しかいない。
鳳堂寺直輝、ただ一人だけだ。
つまりは俺──鳳堂寺和輝の、兄貴のことだ。他にはいない。
デパート内はお客さんも店員も逃げ出して、音楽も止まり、警察関係者や制服姿の人が疎らに歩いているくらいだった。
俺達は和菓子売場の、ショーケースに囲まれた店員スペースに隠れていた。もしアイツが戻って来ても、ここなら見つからないだろう。もし見つかっても四隅のどこからでも出られる。何より周りの通路が狭いので、やつの動きはのろのろになるはずだ。
自動販売機で買ったお茶とジュースをそれぞれ持って、試食の和菓子でエネルギー補給をする。
「あれが兄貴だなんて……。いや、それ、なんでわかったの?」
白あんのまんじゅうのかけらを食べながら俺が聞くと、天衣はなんだか言いにくそうに口ごもった。
羽二重餅を小さく齧ると、しばらくもっちもっちと口を動かしていたが、やがて重たい口を開いた。
「あたしの家……无宝家はね、じつは和輝の家、つまり鳳堂寺家の、補助的存在なの」
意味がわからなかったので「は?」と聞き直した。
天衣がかわいい動きでレジカウンターをぽかぽかと叩きながら、困った顔をする。
「うぅ〜! どう言ったらいいのかな……」
「ここにいたか……、和輝」
突然、男の声で名前を呼ばれたので飛び上がりそうになった。兄貴かと思ったのだ。しかし違った。
叔父の鳳堂寺出雲さんの髭面がショーケースの外からこちらを覗き込んでいた。今朝見たまんまの作務衣姿だ。
「出雲さん!」
力強い味方が現れてくれたと思って、俺は喜びの声を上げた。
「そっちの女の子は……。无宝家の?」
「あ。鳳堂寺家の方ですね?」
天衣が出雲さんにぺこりと挨拶した。
「お初にお目にかかります。无宝天衣と申します」
出雲さんも店員スペースに入って来て、3人で話をした。
突然おかしなパーカー男が現れて、次々と人を消しながら俺を執拗に追って来たこと、天衣があれを俺の兄貴だなんて言うこと……。
「そうだ」
出雲さんがうなずいた。
「彼女の言う通りだ。そいつは直輝だ」
「はあ……? 兄貴はただの高校3年生だぞ? なんで兄貴が人殺すんだ……?」
「今朝、お前が出た後、直輝の様子が怪しかった。お前が力に目覚めていないことを馬鹿にするように言い、そして……彼女とお前が触れ合うことを恐れていた」
「俺が……天衣と?」
意味がわからなかった。
「どういうこと? ヤキモチか?」
天衣のほうを見ると、なんだか俺と視線を合わせてくれない。
「そうか……。直輝と違っておまえは何も知らないんだな」
出雲さんがカルシウムせんべいを噛りながら、話しはじめた。
「我々鳳堂寺一族は代々、特殊な力の才能を受け継いでいるんだ」
「特殊な能力……って」
「そう。直輝が使ったような力だ」
「お……、俺にもあるの?」
「間違いなくあるはずだ。この力は今までのところ、私の祖父である鳳堂寺真理男の血を継ぐすべての者に伝わっている」
「真理男……。俺のひいじいちゃんか」
写真で見たことはあった。ちょっと怖そうだけど、ふつうのじーちゃんだったはず。
「そうだ。だからおまえにも間違いなくこの力がある」
そう言うと出雲さんは、手に持ったカルシウムせんべいを前に差し出した。
噛めばパリパリ音のする乾燥したせんべいが、一瞬でドロドロの液体になり、床にべちゃりと落ちた。
俺は腰が引けてしまいながら、言った。
「しゅ……出雲さん、こ、こんなこと出来たんだ……?」
「祖父真理男はミュータントだったのだ。その血は消えることなく、我々に受け継がれている。この力を祖父は『鳳堂力』と名づけた」
「ほ……、ほうどうりょく?」
ダサいと思った。正直センスがなさすぎると思った。俺ら一族の名前がもし『田中』だったら『田中力』になってたんだろうか。
「……にしても、そんな力、何に使うんだよ?」
「先祖も、私も兄も、世間に知られないよう、この力は隠してきた」
出雲さんは言った。
「ただ一度の戦闘の時を除いては……な」
「戦闘って?」
宇宙人とでも戦うのかと思ったら、出雲さんの口から意外な言葉が飛び出した。
「兄弟喧嘩だ」
「きょ……?」
「もちろんただの兄弟喧嘩ではない。巫女を奪い合うための、命をかけた兄弟喧嘩だ」
「巫女って……」
嫌な予感がした。
「无宝家に産まれた女の子はまた、不思議な力を持つ。我々は生まれつき鳳堂力の『才能』しか持っていない。それを開花させるのが、巫女の接吻だ」
俺の思考が止まった。
天衣のほうを見ると、俺と視線を合わせようとしてなかったのが、さらに顔を背けていて、表情がまったく見えない。
「えっと……」
俺は思いついたことを、まさかと思いながらも、口にしてみた。
「それってつまり……、兄貴がほーどーりょくとやらを使えるのは、つまり……、天衣とキスしたからってこと?」
「あ……。いや……」
出雲さんが慌てたように、取り繕うように言う。
「巫女は无宝家にばかり産まれるとは限らん。天真家にも巫女が産まれることがあると聞く」
兄貴の同級生に天真蘭麻さんという美人がいるのを思い出した。
しかし違うと俺は直感した。目の前の、天衣の様子が、おかしすぎる。
「とりあえず……直輝はやりすぎた。こんな不祥事、真理男の血族始まって以来、初めてのことだ」
「兄貴をどうにか出来る? 出雲さん」
「いや、おまえがやるんだ。和輝」
「え……! でも……」
「言っただろう? これは巫女を奪い合うための兄弟喧嘩だと。代々伝わる兄弟喧嘩に叔父の私が力を貸すことなど出来ん」
「でも……俺……、何の力もないよ!?」
「だからそれを目覚めさせるのだ」
出雲さんは何でもないことのように、言った。
「彼女との接吻で」
兄貴を探しに行くと言って、出雲さんは行ってしまった。
残された俺達二人は試食のお菓子を食べることもやめ、しばらくの間、沈黙していた。
チラリと天衣を見ると、向こうもとても何かを言いたそうにこちらを見ていたが、急いで向こうを向いた。頬が赤かった。
「おまえ……」
勇気を出して、聞いてみた。
「兄貴と……キスしたの?」
すると土下座するように床に手をついて、激しく弁解しはじめた。
「直ちゃんが……! 急に……っ! 襲ってきたの!」
目から涙が溢れていた。
「こないだ……っ! 和輝んとこ遊びに行って……! ちょっと和輝が席外した時……っ! あったじゃん!?」
あった気がする。そうだ、飲み物が何もなかったから、外の自販機に買いに行ったんだった。
「その間に……! 直ちゃんが部屋に入ってきて……っ! 冗談みたいに、無理やりっ……!」
そう言えばジュースを買って戻ったら、天衣がなんだかどよーんと涙目になっていた。何かあったのかと聞いたら作ったような笑顔で不自然にはしゃぎ出したっけ。
俺は歯軋りをひとつすると、天衣を許した。その代わりに、兄貴のことを許すまいと思った。
「なるほど……。それで兄貴はあの力を手に入れた。……それにしても、なぜ俺のことを消そうとする? なぜ、関係ない人達まで殺した?」
「怖いんだと思う……直ちゃん」
「怖い?」
「うん」
べそをかきながら天衣がうなずく。
「和輝が力に目覚める前に消しておかないと、自分が消されるかもって思ってるんだ」
「な……、なんで!? 俺が兄貴を殺すわけないだろう?」
「叔父さんも昔、和輝のお父さんと、そういう兄弟喧嘩したんだよ」
はっとした。
俺に物心ついた時から父親がいないのは……
「でっ……、でもっ! 俺も兄貴も父さんの子供で……。叔父さんが喧嘩に勝ったんだったら……それ、おかしいじゃん!?」
「そのへんのことは……私も知らない」
「事故で死んだって聞いたぞ、俺は。母さんから。親父は俺がお腹にいる時に、交通事故で死んだって」
「じゃあ、そうなんだと思う」
気遣うように、天衣は言った。
「でも……直ちゃんは、和輝を殺そうとしてる」
わけがわからなくなった。俺は自分の頭の毛をかきむしるしか出来なかった。
「キスして、和輝」
はっとして見ると、天衣の顔が近づいてきていた。
「それで、和輝も、力に目覚める」
天衣の唇をじっと見た。ピンク色のツヤツヤしたそれを尖らせている。目を閉じて、俺がそこに唇で触れるのを待っている。
俺は、のけぞって、両腕で彼女を遠ざけた。
「和輝……?」
「こんなの……ダメだよ! 力に目覚めるために……、兄貴と戦うためにするファーストキスなんて! 俺、もっと……ロマンチックなやつ妄想してたんだからっ!」
目を見開いて、びっくりしたように俺を見つめていた天衣が、クスッと笑う。
俺は彼女をさらに遠ざけながら、続けて喚いた。
「大体……っ! なんで? おまえとキスしたら力に目覚めるんだろ? 兄貴にとって、おまえはそういう……ただの道具……この言い方ムカつくけど……。力を目覚めさせるためのスイッチ押せたみたいなもんなんだから、もう、いいんじゃねーの? なんで俺を殺そうとする?」
「接吻は、力を目覚めさせるもの」
天衣が言った。
「そして結合は、その力を我が物とするもの」
「なんだ、それ?」
「无宝家に伝わる格言みたいなものよ。意味はわからないけど……。直ちゃんはその意味を知ってるんじゃない? だから和輝を……」
「『結合は、その力を我が物にする』……か。『結合』って何?」
「わかんない。けど、結婚じゃない?」
「君達、もうお菓子はたくさん食べただろう?」
警察官が、ニコニコしながらショーケースの上から覗き込んできた。
「そろそろここから出なさい。一応事件現場なんでね。なぜだか死体のひとつも見つからないが……」
追い出されるようにデパートを出ると、外は広々として明るかった。
どこから兄貴に狙われるかもわからないので、地下道を並んで歩いた。
家までは近いが、帰れるわけもなかった。
「畜生……。家に帰れねーよ。帰ったら兄貴に消去される」
もうすぐ俺の16歳の誕生日だ。
散々なことにされちまった。
ずっと平凡な日が続き、そんな平凡の中で天衣とラブラブな物語を紡いでいけると思っていたのに。
「どうしよう……。俺、これからどうしたらいいんだ……」
同情を引くような言い方をしてしまう。
すると天衣が少しどもりながら、言った。
「ウチ……来る?」
「……えっ?」
「行くとこないでしょ? おいでよ。一緒に寝よう」
「いっ……、一緒に!?」
「あ……。その……、一緒の屋根の下でってこと」
「なんだ……」
「何ガッカリしてんのよ」
ばん! と天衣が俺の背中を叩く。
だが、俺は固まってしまっていた。
砂を踏む足音を鳴らして、前方の地下道の角から、黒いパーカーを着た、黒い鬼の面を被った背の高い男が、現れたのだ。
白い蛍光灯を背に、俺に向かって右手をかざしてくる。
隠れる場所は、なかった。
脳裏に天衣と兄貴がキスをしている絵が浮かんだ。
「うりゃあ!」
俺は前へ向かって突進した。正直怒りに任せてのヤケクソだった。
「直ちゃん!」
後ろで天衣の声が叫んだ。
「やめて!」
兄貴の右手は俺を捕らえていた。
しかし俺は消去されることなく、相手の腰にそのままタックルをかました。
押し倒そうとしたが、足を踏ん張って倒れない。
俺は危険なその右腕を掴むと、俺のほうにも天衣のほうにも向かせないよう、ぎりぎりと力を込める。そうしながら、相手に問うた。
「兄貴……、なのか?」
「ハハッ……」
そいつが、黒い鬼の面の裏で、初めて声を出した。
「ばれてた?」
確かに兄貴の声だった。いつでもふざけているような、少しトーンが高めの、聞き慣れた声だった。
「なんでこんなことすんだよ!? 俺達、兄弟だろ!?」
「出雲さんも親父と喧嘩して、液体にして殺しちまったんだぜ?」
ふざけたような口調を変えずに兄貴が言う。
「出雲さんが何しにウチに来るか、知ってるか? 母さんのことが好きだからだぜ?」
そう言うなり、俺の腹を強く蹴り飛ばす。
俺はゲロを吐きそうになりながら後ろへ飛ばされた。
距離が空いた。兄貴の右手が再び差し出される。
「やめて! 直ちゃん!」
天衣が俺をかばって前へ出た。
腹を蹴られた苦しみに、俺は何も出来なかった。
「俺も天衣が好きだ」
兄貴が右手を引っ込め、珍しく真剣な口調で言った。
「子供の頃から好きだった。俺のものになってくれ、天衣」
天衣が首を横に振るのが見えた。
「そうか。じゃあ、和輝を消すしかないな」
兄貴はそう言うと、歩き出した。
「今日、初めて使ったんだ、この力。素晴らしいだろ? もう何人も殺しちまった。おまえのせいだ、和輝。おまえが逃げるからだ」
兄貴が黒い鬼の面を外した。
見慣れた顔が、別人のようだった。
殺気がその顔を、黒い鬼に変えていた。
天衣が兄貴に背を向け、俺に抱きついてきた。その身体が震えている。
「退け、天衣」
いつもお調子者の兄貴が、珍しく低い声で脅す。
「おまえまで消去するぞ。退け」
「あたしを盾にして、和輝」
耳元で天衣が震える声で囁く。
「あたしを盾にすれば……たぶん、直ちゃんは、力を使えない」
「人質みたいにおまえを使えってのか?」
彼女の肩を掴み、引き剥がすようにその顔を見た。
「できねーよ!」
天衣が泣いていた。白い頬を涙が汚してしまっている。人差し指で拭ってやると、愛しくなった。
「俺……、戦う。おまえを守るっ!」
再び引き寄せると、その愛しい唇に、自分の唇を重ねた。
「あっ……!」
兄貴の焦ったような声が地下道に響く。
天衣の唇は、名前の通り甘かった。甘くて、炭酸の効いたオレンジジュースのように、俺の中に染み込んでくる。
俺の中で、爆発が起こった。
曽祖父真理男のものらしき声が、頭の中のどこかから聞こえてきた。
『鳳堂力に目覚めよ』
それとともに、俺の右腕がキシリと音を立てて、内側から激しく痛んだ。焼けるような痛みだった。その痛みに俺は、
「ウオォ……ッ!」
一声獣のように吠えると、右肘からそれを出現させた。
俺は自分の右肘を見て、目を見開いた。
そこからまるでサーベルタイガーの牙のような、一本の長い光の剣が生えていた。
兄貴の舌打ちが聞こえた。
「きゃっ!?」
左手で兄貴が天衣のワンピースの背中を掴んで引き離そうとする。
「来い! 天衣! おまえを俺のものにする!」
俺のシャツを掴んでいた天衣の手が、引きちぎられるように、離れた。すぐに兄貴の右のてのひらが俺に向けられる。
兄貴が、硝子片のように人間を消去するその力を、俺に向かって放った気配があった。しかしそれを俺は斬り裂いた。
「魚魚ッ!?」
兄貴が変な声を上げて驚く。
俺は産まれたばかりの自分の力の使い方を、教えられるまでもなく知っていた。
肘を伸ばせばそれは鞘に収まるように、俺の二の腕の中に収まる。
肘を縦に曲げれば出現し、敵へ向く。
肘を横に曲げればそれは水平になり、敵のどんな攻撃であろうと、斬り裂く。
今、俺は肘を横に曲げただけで、それだけで兄貴の力を斬り裂いたのだ。
「もう、兄貴のその力は、俺には通用しないぜ」
俺は肘を縦に曲げ、下段から兄貴の右手首を斬りに行った。躊躇はなかった。
咄嗟に兄貴は後ろへ飛んだ。足はほとんど動かさずに。あの、雲に乗るような移動法だ。天衣を掴んでいた左手が離れる。
慌てて兄貴が再び天衣を奪おうと、滑るように前へ突進してきた。
「来るんだ!」
「いやあっ!」
俺は地下道の天井に立っていた。
まるで重力を無視するように、俺の足は地下道の天井に貼りついていた。
そこから兄貴めがけて急降下し、その身体を縦に真っ二つにしてやろうと剣を振る。
シャリィン!
刃と刃が擦れるような音がして、お互い吹っ飛ばされた。兄貴は壁に叩きつけられ、俺は天井に叩きつけられる。
「歩法までもう会得しやがったか!」
憎々しそうに兄貴が言う。
「俺は三日かかったのに!」
兄貴が足をほとんど動かすことなく、横へ素速く移動する。地下道の角に姿を消した。階段のほうへ行った。外へ逃げるつもりと察して、俺は後を追った。心配するように天衣の声が俺を追いかける。
「和輝!」
俺は飛んでいた。
ただ走っているつもりの一歩で、数十メートルを一気に飛べる。
二十段はある地下道の急な階段を、一歩で飛び上がった。
外はいつの間にか薄暗くなっていた。
まだ昼過ぎのはずだが、太陽が翳り、雨でも降り出しそうな暗さだ。
出たところは大きな公園の脇で、木が立ち並んでいる。それを見た瞬間、兄貴の策にはまったことに気がついた。
「やべ……っ」
兄貴はどこかに潜み、おそらくは木の陰から俺を狙っている。射程距離がどのくらいか知らないが、これは遠隔攻撃が可能な兄貴に有利な状況だ。
たまらず俺は、飛んだ。
トーン……!
ひとっ飛びで俺は20メートルほど高く飛び上がっていた。
身体が軽い。雲のようだ。
ふわりと空中に留まりながら、下を見渡す。鳥の視点で公園を俯瞰した。
どこだ──
どこにいる? 兄貴──
そこへ地下道の階段を上がって、天衣が出てくるのが見えた。きょろきょろと左右を見回し、俺を探しているようだ。
「和輝……? どこ……?」
黒い影が動いた。
木の陰から飛び出したそいつは、幽霊みたいに滑るような動きで天衣に腕を伸ばして近づいていく。
「つかまえた!」
嬉しそうにそう叫びながら、兄貴が天衣の首を、左腕で絡め取る。
「な……っ、直ちゃん!」
「もうおまえは俺のものだ!」
俺は空中で、上下逆さまの、急降下の姿勢になると、足の裏からジェットを噴射するように、もつれ合う二人をめがけて飛んだ。
兄貴は気づいていた。俺のほうを見上げると、右手を向けてくる。俺は肘を横に曲げた。
パキィン!
兄貴の力を斬り裂いた手応えがあった。
何度でも兄貴は右手を差し出してくる。
パキッ……! パキパキ! パキィン!
面白いように斬れる。俺はそのまま上から兄貴の右手首を切断しようと、肘を縦に曲げ、剣を振り下ろした。
シャリィン……ッ!
「ぐわっ……!?」
「ムウ……ッ!」
まただ。力同士がぶつかり合うと、お互い激しく弾き飛ばされてしまう。
兄貴は木に背中を打ちつけ、俺は地面に激突して止まった。
「ハァ……、ハァ……」
「クッ……」
立ち上がった俺達を交互に見て、天衣が、笑った。
「……プッ。あは、あははは!」
びっくりして俺は思わず天衣を見た。気でもふれてしまったのかと思った。でも、どうやらそうではなかった。
しまったと思った。兄貴から注意をそらしてしまったことに気づき、剣を横に構えようとした。しかし、なぜだか剣が出てこない。
鼻から何かが垂れていた。手の甲で拭うと、べっとり血がついた。
見ると、兄貴も鼻から血を大量に流しながら呆然としている。
「二人とも、おかしい〜!」
天衣が俺達を交互に指差して、お腹を抱えて笑う。
そういえば、あの駅で、兄貴は黒い鬼の面の中から血を流していた。その後すぐに逃げ出した。
この力は使いすぎると力の源が枯渇するのか、発動できなくなるらしいと知った。それを知らせるものが、この、みっともない鼻血なのだと。
兄貴も雲に乗るような移動法が使えなくなったと見えて、木にもたれて荒く呼吸をしている。
「ねえ……、二人とも」
天衣が笑いながら、言った。
「もう……こんな喧嘩、やめてよ。昔から仲のいい兄弟だったでしょ?」
天衣の俺達を日常に引き戻すような明るい声に、俺はつい、兄貴と仲直りしてしまいそうになる。
しかし、そうは行かないのだった。
「兄貴は……人殺しになったんだ。警察に任せるわけには行かない。これ以上犠牲者を出すわけに行かない」
俺はフラフラと兄貴に向かって歩き出したが、消耗激しく、すぐに足が止まってしまった。
兄貴に向けて強く、指を差してやることが出来るだけだった。
「おまえは絶対、俺が、この力で、裁く!」
「天衣は絶対に俺のものにする」
兄貴がヨロヨロと横に歩きながら、言った。
「天衣を手に入れた者が、この力を独り占めできるのだ」
「そんな天衣のこと道具みてーに見てるヤツに渡せるわけねーだろ!」
兄貴を睨みつけてやった。
「俺は天衣のこと、愛してんだ!」
「もう、やめてって!!」
突然、天衣が泣き叫んだ。
「あたしのことなんかで……、殺し合いなんてするの、やめて……。あたしをこれ以上、悲しませないで」
「また……おまえを殺しに来る」
兄貴が俺を見て、笑う。
「天衣は俺のものだ」
「なんでだよ……。兄貴のクラスにも巫女がいるんだろ? 天真蘭麻さん……。美人じゃねぇか……。あの人じゃ、いけねぇのかよ?」
「言っただろう……。俺も、ガキの頃から、天衣だけが好きだったんだ」
「そうか……」
俺は兄貴の気持ちがわかる気がした。
「じゃ、しょうがねぇな……」
ハハ……と、兄貴が笑った。
「次……会った時は……殺す」
「兄貴を殺したくはねぇけど……俺も殺すしかねぇようだな」
兄貴が木立の中に消えて行った。
俺は追うことができなかった。
「クッ……」
力を使い果たし、くずおれかけた俺の身体を、天衣が支えてくれた。
泣きながら、天衣が言う。
「なんで……こんなことになっちゃったの……」
「どうやらウチの一族の宿命のようだ」
厄介な血が、俺の身体中を駆け巡るのがわかった。
「ヤベェ……。なんか、楽しくなってきた」
キハ様、お題をありがとうございましたm(_ _)m