4、無詠唱魔法
「ティア……なの?」
両手くらいの手のひらサイズの小さな犬。小さくなったティアを、そっと抱き上げてみる。
「我は自由に大きさを変えられるのです。サンドラ様の側を片時も離れたくないので、我も連れて行ってください」
この子が、あの森まで来られた理由が分かった気がする。この姿なら、誰も魔物だなんて思わない。
「ティアは、どうしてこの国に入れたの?」
あの森まで来られた理由は分かったけど、弱まっていたとはいえ、結界が張られていたこの国に入れた理由が分からない。
「我程の魔物なら、あの程度の結界を通り抜けるのは簡単です。まあ、他の魔物は無理でしょうけど」
……性格まで変わってない?
上位の魔物なら、弱まった結界を通り抜ける事が出来るのね。だけど、今までティア以外の魔物が結界の中に現れたという話は聞いた事がない。という事は、結界を通り抜ける事が出来るくらい、ティアが強いという事ね。
「ティア、おいで」
両手を広げると、ピョンとジャンプして腕の中に飛び込んで来た。余りの可愛さに、偉そうな性格でも許せてしまう。
ティアを肩に乗せ、町に買い出しに行く。すれ違う人達が、私の事をジロジロ見てくる。ティアが珍しいから……とかではなさそう。視線が、ティアではなく私に向けられている。この見た目では、目立つみたい。
お金はあまりないけど、食料より先に、髪や顔を隠せるような上着を買った方がいいかも……
服屋を探しながら歩いていると、小さな店の入口付近にかけられている黒いローブが目に入った。フードを被れば、髪も顔も隠せそう。
ローブを手に取ってみると、着心地が良さそうで、値段も手頃だった事もあり、迷わず購入した。早速、購入したローブを羽織り、フードを被る。
これで少しは、落ち着いて町の中を歩けそうね。
予定通り、食料を買ってから森の中に入って行く。野宿出来そうな場所を探しながら歩いていると、湖を見つけた。
「今日は、ここで休もう」
ティアを肩の上から降ろし、薪を集める。ある程度集まった所で、火の付け方が分からない事に気付いた。
「サンドラ様は、火魔法を使えないのですか?」
魔法……は、どうなんだろう?
聖女の力でさえ数回しか使った事がないから、他に魔法が使えるかさえ分からない。というより、他の魔法って、どうやったら使えるの?
「ティアは、どんな魔法が使えるの? 私、今まで普通の魔法を使った事がないから、使い方が分からないの。教えてくれる?」
聖女の力は、他の魔法とは違う。初歩の魔法は、練習すれば誰にでも使える。誰にでも使えるけど、属性縛りはある。だからティアは、私に火魔法を使えないのかと聞いて来た。
「我がサンドラ様に教えるのですか!?」
「ダメかな?」
前に、アリーが少しだけ魔法を教えようとしてくれた事がある。だけど私は、魔力を使う事が怖かった。最初は、魔法が使えなかったらどうしようという気持ちがあった。これでも昔は、父に認めて欲しいと思っていた。
魔法を習ったのに、全く出来ないと分かってしまったら、私の生きている意味がなくなる……そう思っていたのだ。
アリーが亡くなり、エヴァン様にバカにされ、あの邸で透明人間のようになったあの日から、私は変わった。そして力が覚醒した時、父に認められたいなどとは全く思わなくなっていた。
「犬に魔法を教わるのか?」
振り返ると、冒険者らしき男性が木に寄りかかりながら、こちらを見ていた。
「誰?」
こんなに近くに居たのに、全く気配を感じなかった。ティアを見ても、警戒している様子はない。
「あんたがそこの犬に乗ってる所を見ちゃったからさ、様子を見させてもらってたんだ。魔獣使いなんて珍しいもの見たら、警戒しない冒険者はいないからな」
魔獣使い……そう思われていたんだ。
確かに、弱まっていたとはいえ、結界が張られている国の中で魔獣を連れて入れる人間なんて警戒するわね。ティアは自分で入って来たんだけど……
「話しかけて来たという事は、警戒は解けたという事?」
警戒されて、兵に報告されるのは避けたい。
「少なくとも、悪事を働くようには見えないからな。魔法も使えないようだし」
魔法を使えない事が、こんな風に役に立つとは思わなかった。
「それで、あなたは何者なの? 」
赤みがかった茶色い髪に薄茶色の大きな目、鼻筋が通っていて形のいい唇。エヴァン様とは種類が違う美形。冒険者みたいだけど、そんなに強そうには見えない。それなのに、私は気配に気付かなかった。
「俺の名は、ジュード。ただの冒険者だ」
ジュードと名乗った男性は、私達に近付いてきて腰を下ろし、炎魔法で薪に火を付けてくれた。
「ありがとう」
ジュードが使った魔法は、初歩魔法だけど無詠唱で使っていた。無詠唱魔法は、上級の魔術士でも難しいとされている。聖女が希少なのは、魔を遠ざける事が出来るという唯一の存在という理由もあるが、それを無詠唱で行う事が出来るほどの膨大な魔力を有しているからだ。つまり、無詠唱魔法を使える者は、魔力量が多いという事。
ただの冒険者には、とても思えない……
「その容姿、ヒルダの王族だな。この国の王太子の婚約者が、なぜこんな所に居るんだ?」
ジュードは最初から、私の事を知っていて話しかけて来たようだ。
「私はもう、エヴァン様の婚約者ではないわ。役立たずの私は、必要ないそうよ」
「追い出されたのか?」
私は道具なのだから、それはありえない。私が役立たずでも、子を生ませればいいと思っているはず。
今まで見張りをつけてこなかったのは、私に力がないと思っているからだ。力もなく、友人もいない私が、まさか逃げ出すとは思わなかったのだろう。
「冗談だ。ギルドにあんたの捜索依頼が出されていた」
「捜索依頼が!?」
そんなのありえない!
私が邸を出てから、半日しか経っていない。あの父がそんなに早く気付くはずはないし、アンナも私が逃げるとは思わなかったはず。それに、ここまではティアの背に乗って来た。あのスピードより早く、この辺りのギルドに依頼が出されるなんておかしい。
もし本当に依頼が出されているとしたら、私が邸を出る事を予想して、逃げる前から依頼が出されていた事になる。