表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

第四話


 この一週間、ずっと美由紀の粗を探していた。小説内にそれを臭わせる何かがないかと、彼女の最新作を読み込んだ。けれど、投稿済みの『夫を不倫相手から取り戻したい』を全て読み、さらに三回も読み返したが、それらしいものはなかった。


 美由紀の小説で分かったのは、彼女がどれだけ俺のことを愛しているのかということ。どれだけ、俺が不倫することで不安になっているのか、ということ。


 美由紀の、無表情に隠れた本心が知れて、多少なりとも罪悪感を覚えた。俺のことを愛しているからこそ、ここまで完璧な妻でいられるんだ、と。そんな彼女を、俺は裏切っているんだ、と。


 それでも、どうしようもない。俺は、もう、美由紀に、女としての魅力を感じないんだ。亜弥には、それを感じる。亜弥と一緒にいるとき、俺はひとりの男だと自覚できる。


 美由紀には悪いが、俺は、これからは亜弥と生きていたいんだ。生涯、ひとりの男でいたいんだ。


 かといって、会社での地位を脅かされるわけにもいかない。俺と美由紀が離婚する、正当な理由がほしい。俺が亜弥と再婚する、正当な理由がほしい。


 だから俺は、美由紀の小説を読み込んだ。彼女の粗を探し、俺の望む結果へ結びつけるために。


 昼休み。


 俺は、食堂で美由紀が作った弁当を食べながら、彼女の小説にアクセスした。


『夫を不倫相手から取り戻したい』


 最新話が更新されていた。


 これまで更新されていた内容は、暗記できるほど読み込んだ。けれど、そこにあったのは、美由紀の俺に対する気持ちだけ。


 何かないか。いっそ、俺と無理心中をする計画でもいい。どうにか粗を探したい。


 期待を抱いて、俺は『夫を不倫相手から取り戻したい』の最新話にアクセスした。


 ※ ※ ※ ※ ※


 興信所からの報告を受けて、私はまた落ち込んだ。


 夫は相変わらず、綾さんと会っている。会社を出てすぐに彼女と待ち合わせて、時間がないときはすぐにホテルに行って。


 私には、残業だと言っている時間。


 でも、きっと、あたなにとっては、仕事よりも大事な時間なのね。


 悲しい。苦しい。辛い。胸が、ギュッって締め付けられる。


 でもね、私、どこか変なの。


 すごく嫉妬してるのに。

 すごく胸が痛いのに。


 あなたが綾さんとセックスしていると思うと、興奮するの。体が熱くなってくるの。


 悲しすぎて、頭がおかしくなったのかな。


 もう数え切れないくらい届いた、興信所からの報告。あなたが、綾さんとホテルに入っていく写真。二人でピッタリとくっついて、体を寄せ合って。


 これから、二人で、ホテルに入って。

 これから、二人で、裸になって。

 これから、二人で、肌と肌を重ねて。

 これから、二人で、互いに求め合うのね。


 あなたは、自分の下にいる綾さんに、何を囁くの?

 あなたの下にいる綾さんは、どう応えるの?


 つい、想像してしまう。

 私にとって、悲しくて、苦しくて、不安を煽る光景。

 でも、それなのに、私の体は熱くなるの。

 息が荒くなって、堪え切れなくなるの。


 涙が、ボロボロと零れる。

 泣きながら、興奮してるの。


 私はつい、手を動かした。

 あなたと付き合うまで、セックスなんてしたことのなかった体。

 あなた以外の男の人を、知らない体。


 その体に、私は、生まれて初めて自分の指を伸ばした。

 驚くほど濡れていて。

 初めて、自分で自分を慰めた。


 初めてのオナニーは、とても不器用で。

 自分を刺激する場所が分かっているはずなのに、上手くいかなくて。


 満足できるまで、一時間もかかった。


 自分の中の興奮が落ち着いて、頭の中が冷静になって。

 そうしたら、凄く惨めで。

 自分が、情けなくて。

 大泣きしちゃった。

 子供みたいにわんわん声を出して、泣いちゃった。


 自分の心がおかしい。そう自覚できる。

 一通り泣いたら、今度は、ひどく悔しくなった。胸が焼けるように熱くなって、何かに気持ちをぶつけないと治まりそうにない。怒りにも似た感情だった。


「あっ……ああああ……」


 涙声が出た。涙声だけど、悲しい気持ちだけじゃない。


 私は、下半身だけ裸の間抜けな姿で立ち上がった。


 目についたのは、リビングの窓際の、鈴蘭の鉢植えだった。

 

 可愛い蕾をつけた鈴蘭。その可愛さに、なんだか苛立った。まるで、あなたが可愛がっている綾さんのようで。


 ほとんど無意識のうちに、私は鉢植えを持ち上げた。頭の上まで大きく振りかぶって、思い切り床に叩き付けた。


 ガシャンと音を立てて、鉢植えは割れた。土がフローリングの床に散らばって、蕾をつけた可愛い鈴蘭が横たわった。根がむき出しになって、放っておくと死んじゃうことが分かる姿で。


 これは、意味のない八つ当たりだ。鈴蘭の姿を見た途端、そう自覚してしまった。


 可愛い鈴蘭。このままだと、本当に死んじゃう。でも、うちには、代わりの鉢植えなんてない。


 一生懸命土を集めて、山のようにして、そこに鈴蘭を植え直した。ごめんなさい、ごめんなさい、って謝りながら。


 急いで出掛ける用意をして、新しい鉢植えを買ってきた。


 でも、帰ってきたときには、鈴蘭はもう萎れていて。


 私は、また泣いた。ごめんなさいと何度も繰り返しながら泣いた。


 可愛い鈴蘭。あなたは悪くないの。

 可愛くない私が悪いの。


 私は、綾さんのように可愛くなれない。上手に自分の気持ちを表現できない。夫に「好き」と伝えられない。「好き」という感情を、表に出せない。


 でも、失いたくないの。


 お願いだから、私から夫を奪わないで。

 お願いだから、私を捨てないで。


 このままだと、私、あなたを道連れに死んでしまいたくなるから。


 ※ ※ ※ ※ ※

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ